ネガの世界:伊上勝評伝

自分はこの歳になっても日曜朝の特撮タイムを一週間の楽しみの一つにしているおっさんなのだが、おっさんになる遥か昔からウルトラマンスーパー戦隊メタルヒーローの方がライダーよりも好みで、現在も平成ライダーの方が昭和ライダーよりも好きだったりする。
理由は簡単で、ライダーはウルトラマンスーパー戦隊ほど再放送しなかったからだし、ものごころついた時に放送されていたのがメタルヒーローだったし、昭和ライダー平成ライダーほどソフト化の機会に恵まれていないからだ。


そんな自分にとって、伊上勝は謎の男だった。
金城哲夫のように研究本が山と出版されているわけでもなければ、佐々木守のように著書や脚本を務める作品が死の間際まで発表され続けているわけでもなかった。当然、市川森一上原正三長坂秀佳のように今も存命なわけでもない。日本の特撮ドラマの原型を作ったと評されるにも関わらず、脚本家としての活動時期は二十年ばかりに過ぎない。私生活も謎につつまれていて、「酒の飲みすぎで死んだ」「野垂れ死にした」という話が時たま伝説のように業界人の口に上るくらいである。


仮面ライダー・仮面の忍者赤影・隠密剣士・・・ 伊上勝評伝 昭和ヒーロー像を作った男
井上 敏樹 竹中 清
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だが先日、『伊上勝評伝』という研究本が発売された。おお、これは珍しいと本屋でページをめくっていると、驚くべきものを目にした。実子にして父と同じく脚本家、井上敏樹が父について回想した原稿が載っているではないか。どこかの雑誌に「伊上勝の名前を出すだけで嫌がる」と書かれていたのに!


読んでみると、補講を含めて50ページほどでしかないにも関わらず、これがまた凄い内容だった。
以後、本エントリでは伊上勝を「伊上」、井上敏樹を「敏鬼」と親愛の情を込めて表記する。



本原稿は敏鬼による「何故父について書きたくなかったか」のエクスキューズからはじまる。

ある意味で伊上勝は面白過ぎた。だから書けない。面白く、生々しい。だから書きたくない。
それに父は常に私の反面教師だった。今もそうだ。つまり父について書くと言う事は私自身を語る事でもあるわけだ。ネガとポジの関係のように。こんな風に書くと恰好よく聞こえるかもしれないが、実は私の方がネガかもしれない。よくある事だ。


その後、まず伊上がどのような家庭人であったかについての回想が続く。お洒落で高級な小道具に拘りつつも、「人間関係を確立するのが下手」「心情面でなにか微妙な部分が欠落していたように思う」と息子に評される伊上。自信過剰にみえつつも、酒を呑んで自嘲の哂いを繰り返す父。原稿が書けなくなり、プロデューサーから逃げ回る伊上。金と女が原因で「糞を投げ合うような」夫婦喧嘩をする伊上。
「父は息子たちとどう接していいのか分からなかったのではないかと思う。だから遊ぶ事しかできなかったのだ」と書かれた挙句、デパートで盗んだ犬の首輪を自慢げに見せる伊上のエピソードには、俊鬼がよく自作に登場させるだらしなくてクセの強い登場人物を連想させられてしまう。


その後、脚本家としての伊上の評価が続く。「第一の特徴はその省略の仕方」「まだるっこしいシーンは書かず、面白いものだけをこれでもかと畳みかける」「紙芝居の方法論を無意識のうちに脚本にはめ込んだ天才性」と、現役脚本家による膝を打ちたくなるような分析が行われる。


そして、スランプに陥り、酒に溺れ、「野垂れ死に」した、死の真相が描かれる。そのさまもまた、俊鬼がよく自作で描写する、自業自得な破滅や壮絶な最期をどことなく連想させる。

この頃、私はまだ父のことを誤解していた。父は書けないのではなく、ただ書かないだけだと思っていたのだ。酒を控え、生活態度をあらためて怠け癖を直せばきっとまた書けるようになるだろうと信じていた。それは違う、と私に言ったのは母だった。母は「お前は馬鹿だね」というような呆れた顔をして私に言った。父は本当に書けないのだ。もうずっと前から書けなくて苦しんでいるのだ、と。書斎の布団の中で、どうしても書けない苦しみから、ひとりで泣いている父の姿を母は何度も見たという。


伊上がスランプに陥った理由もまた、俊鬼によって分析される。

父には詳細なハコを切る必要がなかった。父の頭の中にはシナリオのための鋳型があって、いくつかのアイデアをそこに流し込めば自動的に脚本になったのである。その鋳型は父が紙芝居で培った感性そのものだった。そこに限界があった。どの話も同じような味わいのものになってしまうからだ。心情描写の苦手な父にはシナリオの武器となる持駒が少なかった、とも言える。駒が少なければ動かすのは簡単だが、ワンパターンにならざるを得ない。
もちろん父の本は父にしか書けない理屈抜きの純粋な面白さに溢れていた。だからこそあれだけの人気を博したのだ。だが、それでもいずれ限界は来る。いつまでも紙芝居では飽きられてしまう。時代に、そして父自身も。
私は時々考える。時代が父を追い越したのか、それとも時代に関係なく父は書けなくなったのか。きっとどちらとも言える。いずれにせよ父は書けなくなったに違いない。ずっと同じ井戸を掘っていてはいずれ水は涸れてしまう。


ここで、ちょっと平成ライダーに詳しい方ならピンとくるだろう。
ワンパターンと評されるのは、敏鬼もまた同じではなかったか? 自信過剰な主人公、男勝りの勝気なヒロイン、勘違いと八つ当たりでつっかかってくるライバル、役割が済むとすぐさまコメディリリーフに堕する脇役、そして彼ら彼女らがおりなす三角関係に四角関係……自分の中の鋳型にアイディアを流し込み、脚本を生み出していたのは、敏鬼もまた同じではないのか?
ここへきて、この回想の最初に掲げられたエクスキューズを思い出す。そう、敏鬼が書いているのは、父・伊上のことであると同時に、脚本家としての自分のことでもあるのだ。


補講として付け加えられた、伊上脚本における昭和のヒーロー分析などその最たるものだ。

私たちがチンピラに絡まれたとしよう。そこに颯爽と強いお兄さんが現れて私たちを助けてくれる。さて、私たちにとってこのお兄さんが次に取る一番ありがたい行動はなにか。
黙って立ち去ってくれることだ。
「助けてやったんだからお礼をくれ」とか「これから君の友達になってあげよう」とかは言わない。なにしろお兄さんは強いので、友達になっても同等の立場ではいられないのだ。
(略)
その後、ヒーローたちはおずおずと理想の座から降り始める。気持ちは分かる。きっと尽くすだけの立場が馬鹿馬鹿しくなったのだ。ヒーローたちは我々に交流という報酬を求めるようになる。だが、これはまた別の話だ。

「別の話だ」などと誤魔化しているが、俊鬼のカミングアウトは明らかだ。尽くすだけの立場が馬鹿馬鹿しくなり、理想の座から降り、一般人に報酬や交流を求めるようになったヒーロー、ポジに対するネガ、平成に入って以降の俊鬼はそんな話ばかり書いているのだから。


これを読み、強く想起した敏鬼作品が二つある。


一つは『仮面ライダーキバ』だ。
仮面ライダーキバ VOL.1 [DVD]
B0016ZT9CI
あの作品における紅音也――女ばかり追いかけ、金にだらしなく、自信過剰で、自分を一流や天才と公言し、そのくせバイオリンだけは上手く、きちんとライダーに変身して怪物も倒す主人公の父は、敏鬼からみた伊上そのもの――理想の父と現実の父の間をうつろう存在のように思える。


もう一つはそれまでの平成ライダーの総括となる『仮面ライダーディケイド』にて脚本を担当した「ネガの世界」を舞台にした前後編、『ネガ世界の闇ライダー』『歩く完全ライダー図鑑』だ。
仮面ライダーディケイド Volume.5 [DVD]
B002G94VYY
ここで登場するのはダークカブトやダークキバ、オーガやリュウガといった、平成ライダー各作品において主人公ライダーの影法師となるダークライダーたちだ。彼らは特撮初期におけるにせウルトラマンやにせ仮面ライダーとは全く立ち位置が異なる。価値観が多様化し、大きな物語が消滅し、何が悪で何が正義か定義することが難しくなった現代において、ヒーローたちの正義の正当さに異議申し立てをする為に登場したダークヒーローやアンチヒーローたちだ。
そして、『ディケイド』という番組の主人公である仮面ライダーディケイドは、(主に資本主義的理由から)それまでの平成ライダーたちを倒してゆく、ダークライダーの中のダークライダーと呼ぶべき存在だ。
そしてディケイド――門矢士はネガの世界の支配者であるダークキバから、此処が「お前が生きるべき世界」と説明される。
ダークキバに変身するのは紅音也、しかも演じたのは『キバ』にて紅音也を演じた武田航平*1
「お前はここに住むのに相応しい人間だ。やがてお前は我々の宝を受け継ぐことになるだろう」
この台詞は、敏鬼が父から最も言われたい台詞なのではなかろうか。


正直なところ、この本の魅力は敏鬼の書いたこの原稿を読めるという一点につきる。今後、昭和ライダー平成ライダーを比較する上で、この本を無視することはできないだろう。
更に更に、敏鬼の最高傑作は脚本でも小説でもなく、父を回想したこの原稿なのではないかとさえ思う。
以前、敏鬼の書いた『555正伝』を読んだのだが、ちとガッカリした覚えがある。台詞や文章表現が脚本の書き方そのままで、ストーリーやプロットはともかくとして、「小説」としての形式に不十分に感じたのだ。
仮面ライダーファイズ正伝−異形の花々− (マガジン・ノベルス・スペシャル)
井上 敏樹 石ノ森 章太郎
4063304132
だからこの回想文は意外だった。全体の構成、日本語のリズム、表現の上手さ……。特に、「懺悔」や「告解」の文学的表現としての最後の蟹のエピソードなど素晴らしい。
父とは、男にとって最初のヒーローであると同時に、最大のライバルだ。自分のネガであると同時に、父のネガが自分かもしれない。
母親とは夢の中で許しあえる、でも、父親とはそうではない。道路に蟹を投げ捨てるかのように分かれた後は、テレビという花火の残像の中に父の姿をみるしかない。
敏鬼が書く小説をもっと読みたいとさえ感じた。


そんなわけで、昭和ライダーのみならず、平成ライダーにハマっている諸君はマストバイな本だ! ……と自信をもってお奨めしたい。
もっとも自分はこれ以上俊鬼に金を払うのがイヤなので、友人から借りたけどな!!!

*1:ここらへん、『ディケイド』を知らない方に説明するのがかなり面倒くさいのだが、『ディケイド』ではオリジナル作品にてその役柄を演じた役者が再登板することが少ない