『デッドプール&ウルヴァリン』は『Over Quartzer』パクリ説

デッドプールウルヴァリン』はメタフィクション

先日の町山さんとのニコ生じゃなかった Youtubeライブでもお話しましたが、『デッドプールウルヴァリン』、面白かったですね!
20世紀FOXがディズニーに買収され、デッドプールのみがMCUに参入する、一方でヒュー・ジャックマンというスターがいないFOXのX-MENシリーズは終わる――という話を、TVAがデッドプールのみをスカウトし、一方でウルヴァリンというアンカーがいなくなったアース10005(TRN414かもしれません)は崩壊する、という話で表現してるわけです。メタな話が上手いとしか言いようがありません。第四の壁を破るデッドプールのキャラクター性と、TVAというタイムパトロール隊ならぬマルチバース・パトロール隊をメタ的な要素をまとめるために組み合わせる上手さ! 豪華すぎるカメオ出演の数々! 「ヒュー・ジャックマンウルヴァリン役再演を決意しなかったら断念していた」「作品の核は友情」といった作り手のコメントにも納得です。
巷では「ストーリーがよく分からない」などと言われてますが、完全に「メタフィクションをやる」という方向にリアリティラインを振り切っているせいか、自分は素直に楽しめました。「メタフィクションを素直に楽しむ」なんておかしいだろと思われるかもしれませんが、最近の仮面ライダー、特に一時期の平成ライダー劇場版は、こんな感じのメタな話ばかりやってたんですよね。

『劇場版 仮面ライダージオウ Over Quartzer』とは

その中でも『仮面ライダージオウ Over Quartzer』は『デッドプールウルヴァリン』によく似ています。
仮面ライダージオウ』は平成ライダー20作目であり、「平成ライダー」の最終作です。2018年9月から翌2019年8月――平成最終年(30、31年)から令和元年にかけて放送されたテレビドラマです。平成ライダー10作目である『ディケイド』と同じくシリーズの節目となる作品であり、歴代平成仮面ライダーレジェンドライダー)たちが何らかの形で登場するクロスオーバー作品です。
で、その放送中に製作された映画『仮面ライダージオウ Over Quartzer』は、「平成ライダーとは何だったのか」を描くメタフィクションとなっています。
これまで数々の時代・世界を巡ってレジェンドライダーたちと出会い、新たな関係性を結んできた主人公常磐ソウゴたちは、「歴史の管理者」を名乗る謎の集団、クォーツァーたちと出合います。クォーツァーのリーダーであるSOUGO(演じるのはライダーのファンとして知られ、『ジオウ』のテレビ・劇場版両方の主題歌も歌っているDA PUMPのリーダーISSAです)は、とんでもない台詞を口にするのです。

「お前たちの平成って、醜くないか? まるでデコボコで、石ころだらけの道だ……」
「お前ら……おかげで平成ライダーの歴史はむちゃくちゃだ!」

クォーツァーたちは、平成ライダーによって紡がれた歴史が「醜い」と感じ、平成という時代そのものを消し去ろうとするのですが、なぜ「醜い」と感じるのかについては詳細に語られることはありません。
しかし、平成ライダーに20年もつきあってきた観客たちにとっては、ISSAじゃなかったSOUGOの気持ちはなんとなく理解できるのです。
仮面ライダークウガ』の成功で始まった平成ライダーシリーズですが、何作も作られるうちに、皆が考える「仮面ライダー」とは違うものも出てきました。ライダー同士が殺し合う、口から火を吹いて太鼓を叩く、バイクではなく電車や車に乗る、フルーツと鎧がモチーフ……これらは全てマンネリを防止し、常に人気を獲得し続けるためですが、そのなりふり構わなさを「醜い」と感じる人もいるでしょう。
主人公ソウゴはSOUGOの影武者でした。失意のうちに捕えられ、クォーツァーの牢屋に幽閉されてしまうソウゴ。そんなソウゴを、隣の牢屋に捕えられていた囚人の男が励まします。
その男はなんと木梨猛――平成という歴史と版権に埋もれた仮面ノリダーの変身者なのでした。演じているのは木梨憲武本人です。

仮面ノリダー』とは

仮面ノリダー』は、80年代末から90年代に末にかけて放送されたバラエティー番組『とんねるずのみなさんのおかげです』内のパロディドラマです。ゆるいパロディコントといっても良いかもしれません。
なんのパロディかというと当然『仮面ライダー』のパロディなのですが、『仮面ノリダー』が作られた当時(88~90年)のとんねるずは若手No.1の人気を持ち視聴率を稼げる芸人だったこと、バブル経済最盛期に作られたフジテレビの番組だったこともあり、今思い返すとめちゃめちゃ豪華でした。
まず本家『仮面ライダー』でおやっさんこと立花藤兵衛を演じていた小林昭二がレギュラー出演。ナレーターも中江真司が起用されました。悪の軍団「ジョッカー」の幹部「ファンファン大佐」を演じるのは岡田眞澄で、小林昭二と同じくレギュラーでした。ゲストも死ぬほど豪華で、特に終盤はマンネリ打破(とプロモーション)で毒蝮三太夫嶋田久作田中好子等々が出演していました。
毎回登場するラッコ男、カルガモ男といった「怪人」たちはきちんと着ぐるみを作製し、戦闘シーンはきちんと岩船山でロケしています。ジョッカー戦闘員を演じるのは倉田保昭が創設した倉田プロモーションのスタントマンたちで、当時所属していた坂本浩一ジョッカー戦闘員として出演した経験があるそうです。これを週一回、毎回怪人を変えて必ず放送していたのは、当時のとんねるずの仕事量を考えなくても凄いことです。
また、爆発にはちゃんと火薬・爆薬を使っていました。当時は『ジュラシック・パーク』(1993)でCG活用が一般化する前だったので当たり前といえば当たり前ですが、『みなさんのおかげです』や『天才・たけしの元気が出るテレビ!!』といった当時の先進的バラエティー番組は競い合うように大量の火薬・爆薬を使っており、結構なトラブルになっていたのです。今のテレビしか知らない人にとっては、想像もできないことかもしれません。
当時のとんねるずがテレビにおける大スターだったこと、大人も子供も観やすいパロディだったこともあり、『仮面ノリダー』は大人気になりました。
ただこの『仮面ノリダー』、東映にも石森プロにも許可をとらなかった「無断パロディ」であることは有名な話です。特に同時に放送していた『仮面ライダーBLACK』のスタッフは『仮面ノリダー』を意識しまくり、撮影現場では「ノリダー」という言葉は禁句、プロデューサーは倉田てつをの『仮面ノリダー』出演を許可しませんでした
当時の東映はフジテレビに正式に抗議を行い(特に主題歌のパロディは見過ごせないはずなので当然です)、作品のソフト化は禁じられたそうです。
若オタだった当時の自分も、パロディのくせに正統ライダーである『BLACK』の100倍くらい人気も知名度もある『仮面ノリダー』のことを快く思っていませんでした。それでも観ていたのは、当時のとんねるずと『みなさんのおかげです』がそれだけのパワーを持っていたということなのですが、当時は気づきませんでした。
『みなさんのおかげです』はこれ以外にも「富士山麓の天然記念物が生息する氷穴で発泡スチロール製の石を爆破し、破片を片付けなかった事件」「木梨憲武追悼コントで抗議殺到事件」「「帰りなおばちゃん」セクハラ訴訟」と様々なトラブルが起こっていたのですが、今考えればそれらの源となるチャレンジを許しリスクを許容していた当時のフジテレビが持っていたパワーだったのだなと思います。
しかし「無断パロディ」であったこと、版権問題があったことから、『仮面ノリダー』は現在までソフト化されていません。2007年以降、とんねるずの番組内などで映像が再使用される際は「協力:石森プロ・東映」のクレジットが表示され、2013年には東映が正式に『仮面ノリダー』の商標登録を行いました。後者は東映が無断で『仮面ノリダー』を使わせないためだと言われています。

仮面ノリダー』とメタフィクション

そんなわけで、自分は仮面ライダーでも世界を破滅から救う「王様」でも無かったことに気づいたソウゴを、ノリダーこと木梨猛が隣の牢屋から励ますシーンはメタフィクションとして秀逸です。

「ぶっとばすぞぉ!」
「誰?」
「平成の時代、悪と戦った、改造人間さ……」
仮面ライダー?」
「いや、俺は仮面ライダーと認められなかった、だからずーっとここにいる」
「俺と、同じ」
「……お前と一緒にするな!」
「え……いや、でも、俺はたまたま選ばれた普通の高校生で……」
「それでも、選ばれた……仮面ライダーに選ばれたんだよ、お前は!」
「選ばれなかった……選ばれなかった奴はごちゃまんといる!」
「選ばれた者には、その責任があるんじゃないのか?」
「今平成ライダーを背負っているのは、お前だろう!」

つまりこれは、ヒーローに大切なのは能力や資格ではなく行動ということを、歴史に埋もれたヒーローである仮面ノリダーからジオウへの激励という形で表しているわけです。多くのスーパーヒーローが「ヒーローとしての特別な能力や社会的な資格を失った際にどう行動するか」という話をやっているのと同じです。なぜ歴史に埋もれたかというと、「無断パロディ」を起原とする版権問題があったからなのですが。
しかし、観客の何割にこういったメッセージが正しく伝わったのかというと、そこは定かではありません。『ジオウ』がターゲットとしていた小中学生には全く理解できなかったのかもしれません。付き添いで来ていた親御さんは確実に『仮面ノリダー』のことを覚えていた筈ですが、多くは「無断パロディ」や版権問題について知らなかった筈です。
されどしかし、メタフィクションをやる限り、木梨憲武にオファーを出して快諾された限り、きちんとやる。観客の数割にしか伝わらなくても、作り手の間でこの思いが共有されている限り、その意地や緊張感といったものは伝わるし、それが作品の力になる――というのが、東映の考えなのでしょう。

チャニング・テイタム版『ガンビット』とメタフィクション

同じことが『デッドプールウルヴァリン』における数々のカメオ出演者たちにもいえます。
デッドプールウルヴァリン』には沢山のカメオ出演者たちが出てきます。そのほとんどは『X-MEN』シリーズや『エレクトラ』、『ファンタスティック・フォー』といった20世紀フォックスが製作していたマーベル映画に出ていたキャラクターを演じています。や、『ブレイド』のみニュー・ライン・シネマ製作であること、コンセプト段階では計画されていたベンアフ版デアデビルやニコケイ版ゴーストライダー(コロンビア製作)が出演していないことを考え合わせると、MCUに合流できなかったマーベル映画の中でライアン・レイノルズショーン・レヴィと関係性のある役者が出演した映画、といって良いかもしれません。
中でもチャニング・テイタムが演じたガンビットの出演には驚かされました。
チャニング・テイタムは長年、自身を単独主演とする『ガンビット』の映画化を熱望していました。自身がプロデューサーの一人を務め、2015年のサンディエゴ・コミコンで大々的に製作発表しました。しかし監督を予定していたルパート・ワイアットが降板、その後を引き継ぐと報道されたダグ・リーマンゴア・ヴァービンスキーも降板、業を煮やしたチャニング・テイタム自身が脚本を書きつつ監督もするという話もあったのですが、2019年に20世紀FOXがディズニーに買収された際、企画自体がキャンセルされてしまったのです。長年入れ込んだ企画が亡くなったショックから、「トラウマになった、マーベル映画が観られない」とチャニング・テイタムはコメントしています。
ガンビットというキャラクターに、なぜそこまでチャニング・テイタムが入れ込んでいたかについてははっきりしません。
アラバマ州ミシシッピ州で育ったチャニング・テイタムにとって、ルイジアナ州ケイジャンのスーパーヒーローという背景に思い入れがあるのかもしれません。『デッドプールウルヴァリン』での誇張したケイジャン・フレンチ訛りの英語には、爆笑してしまいました。
2015年のコミコンで同時に製作発表した他の4つの映画――『LOGAN/ローガン』『デッドプール』『X-MEN:アポカリプス』『ファンタスティック・フォー』は、その後の評価はどうあれ、しっかりと製作され公開されています。「おれの映画だけ上手くいかなかった」という負い目や烙印のようなものがあるのかもしれません。
ともかく、『デッドプールウルヴァリン』で、チャニング・テイタムが演じたガンビットの「俺はここ(虚無)で生まれた気がする」という台詞には、こういった背景があるのでした。
しかしこれも、『仮面ノリダー』と同じく、観客の何割にこういったメッセージが正しく伝わったのかは定かではありません。されどしかし、FOXのヒーローたちをメタ的に救うのがテーマならば、ちゃんとやる。2015年のコミコンでの発表時、同じステージにライアン・レイノルズヒュー・ジャックマンもいたのが前フリになるし、思いが共有されている。その意地や緊張感といったものは伝わるし、それが作品の力になる。『Over Quartzer』をパクろう……と思ったのではないと思いますし、そもそもライアン・レイノルズショーン・レヴィも日本の特撮なんて観てないと思いますが、『Over Quartzer』の作り手たちと同じように考えたのではないでしょうか。
本作が「MCUを救う」かどうかはちょっとよく分かりませんが、ディズニーによる20世紀FOX買収(と仕切り直し)により失われたヒーローコンテンツに哀悼を捧げたい、という気持ちは伝わってきました。

世界が楽屋である

現在、『デッドプールウルヴァリン』は世界中で大ヒットしています。特に、マーベル映画が全て公開されておらず、アメコミ映画の文脈を把握するのが難しい中国でもヒットしていることは驚きです。観客の大半がメタ的な意味をなんとなくのレベルでしか知らないのにヒットしているのは、やはり作り手の意地や緊張感のようなものが伝わっているからではないでしょうか。
町山さんとのYoutubeライブではジェームズ・ガン作品との類似――「一度負けた人たちが疑似家族を作って再挑戦する」という構造が話題になりました。どちらも作り手が本当に経験したことを背景にしているからこそ、作品に力が宿るのでしょう。


その昔、たしか80年代だったと思うのですが、吾妻ひでおいしかわじゅんとり・みき江口寿史といった漫画家たちが楽屋オチ――身内の編集者や漫画家の友人を作品に出しまくったり、身内にしか理解できないネタを作品内で大量に使い始めた時期がありました。しかもその楽屋オチを、読者にきちんと伝わるかどうか関係なく入れていくのです。当時、楽屋オチは読者を狭めてしまうという理由で批判の対象となっていました。
しかしこの批判に対し「世界が大きな楽屋である」という屁理屈的な理由から、楽屋オチをやり続ける猛者たちがいたわけです。要は、読者を楽屋に引き込むほど魅力的な作品であれば、楽屋オチであろうとなかろうと関係ないということなのですが、このムーブメントがある程度受容されたからこそ、その後のエッセイ漫画や漫画家漫画のブームとジャンル化があるのではないかと思います。


アベンジャーズ/エンドゲーム』の世界興行収入は約3000億円、観客動員数は約2億人といわれています。単純計算で世界人口の約2.5%、繰り返し鑑賞を差し引いても約2%がMCU潜在的顧客といって良いでしょう。
世界人口の約2%が含まれる楽屋でのメタフィクション、それが『デッドプールウルヴァリン』なのではないかと思います。