追悼 田中敦子

追悼 田中敦子

声優の田中敦子さん(以下敬称略)が20日、亡くなったことが所属事務所により発表されました。61歳。同日、声優の田中光がXを更新し、田中敦子の息子であること、田中敦子が1年に及ぶ闘病生活を送っていたことを明かしました。


田中敦子といえば、つい数ヶ月前に『勇気爆発バーンブレイバーン』でクーヌスの声を担当していました。現役バリバリの一流声優だったわけで、訃報に驚きました。
それ以上に驚いたのは、結婚していて息子がいて、その息子も声優だったことです。
自分は、というか我々は、田中敦子のことを何も知らなかったのかもしれません。

自分が初めて田中敦子のことを認識したのは95年の東京ファンタスティック映画祭でした。その頃から押井守のファンだった自分は、どうしても『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』をいち早く観たく、ぴあでチケットを予約して、今は亡き渋谷パンテオンに観に行ったのです。

上映の前か後、正確に覚えていないのですが(おそらく上映前)舞台挨拶があり、押井守と主演の田中敦子大塚明夫が登壇していました。その頃から大塚明夫は大人気で、グラサン着用に凝った衣装とスター声優としての華があり、客席から黄色い声援が飛んでいました。
一方で、それまで洋画の吹替を中心に活動していた田中敦子知名度は低く、地味なロングスカートも相まって、どこかのOLみたいという印象を受けたものです。確か「マテバとかセブロとかいった普段使わない劇中専門用語の発声が難しくて困った」みたいな話をしていて、それもOL感をいや増していましたものです。
その後の田中敦子の活躍は、皆さんご存じの通りです。草薙素子は当たり役となり、以後アニメでも洋画吹替でも存在感を発揮して、ゼロ年代には名実共に一流声優となりました。
これははっきりと覚えているのですが、ステージを降りて控室に戻ろうとする田中敦子に一人のオタクが駆け寄り、サインをねだったことを今でも覚えています。自分はその頃からTPOを考えずに著名人にサインをねだるファンを心の底で馬鹿にしていて、その時も迷惑なオタクだなあと思ったものですが、田中敦子神対応で嬉しそうにサインをしていました。今考えれば、おれもあの時サインを貰っておけばよかったなあ。
あれから約30年が過ぎ、その間に田中敦子は一流声優になり、プライベートでは結婚して、子供を産み、その子供も声優になったわけです。対して、おれはなにをしているのか……みたいなことも考えたりもしてしまいます。

田中敦子による草薙素子

田中敦子が凄かったのは、この時点で彼女独自の草薙素子像を確立していたことです。

度々SNS等で話題になるのですが、原作漫画『攻殻機動隊』はかなりの割合でギャグが入っています。少佐は自分が死んだと思ったかどうかを部下に確認しておどけてみたり、「私に有給をー」と大袈裟に嘆いてみせたり、女友達とバーチャル空間でエロいことをやりまくったりしています。数話の例外を除いて、どんなにシリアスなことをやっていても最後のコマは必ず笑いで落とす構成になっています。『アップルシード』や『ドミニオン』と同じように、80年代のオタク系SF漫画の流れを引き継いでいる士郎正宗の作風がそういうものであるといわれればそれまでなのですが、「恨み辛みのようなネガティブで強い感情は描きたくない」「どんなにシリアスなネタを扱っていても漫画とは明るく楽しいものでなくてはならない」というシロマサの80’s哲学が垣間見えるようです。(こちらで比較として『銃夢』が言及されていることにも納得です)
ところが映画『GHOST IN THE SHELL / 攻殻機動隊』は、原作にある台詞やエピソードを極力そのまま使っている一方で、キャラクターの性格をアレンジし、全ての事件に黒幕である「人形使い」が絡んでいるよう再構成し、お得意の聖書からの引用を使いまくり……と、完全にハードでシリアスな映画になりました。原作漫画でマスコット的に登場しギャグの多くを担うフチコマは完全にカットし、原作では最後にギャグシーンで救ってみせたゴミ回収の男の末路は人生の終りのように演出する、という徹底ぶりです。「物語・台詞はほとんど変わらないけど、キャラクター・世界観を微妙に変化させることで全然違う方向に持っていく」という改変ぶりは、今だったら「原作レイプ」と呼ばれるかもしれませんが、95年当時はそういった日本製アニメ――後に(国内でのみ)ジャパニメーションと呼ばれることになる「世界で通用する(ように思える)日本のアニメ」が求められていたのです。
そして田中敦子は、この原作とは異なるが映画が求める草薙素子――一言たりともおどけないしギャグシーンは皆無だが、皮肉や自嘲は時たま口にする、外見は若い女性にみえるが内面はより老成した、男か女かも分からないサイボーグ――をこの時点で完璧に演じてみせました。

この改変ぶりは、二年後にPlayStationのゲームソフト『攻殻機動隊 GHOST IN THE SHELL』内のムービーとして作られたアニメと比較すると、より分かりやすいです。鶴ひろみ草薙素子を演じ、フチコマに乗り、ギャグもそれなりにあるこのアニメパートは、原作の雰囲気そのままです。
攻殻機動隊』の映像化はこの後、テレビアニメ『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』『S.A.C. 2nd GIG』『S.A.C. SSS』『SAC_2045』……と続いていったわけですが、前日譚である『ARISE』を除いて全て田中敦子が担当してします。アニメ版フチコマであるタチコマが登場し、時にはコメディパートもある『S.A.C.』、3DCG作品となった『SAC_2045』、ハリウッド製実写映画『ゴースト・イン・ザ・シェル』の吹替と、よく聴き比べると田中敦子は作品の特性に合わせてそれぞれの「草薙素子」を全て演じ分けており、流石と言うほかありません。

田中敦子と闘病

田中敦子の訃報のニュースの後、2023年11月に行われた『攻殻機動隊 SAC_2045 最後の人間』の舞台挨拶が話題になりました。

約一年間闘病してたそうなので、田中敦子が死期を意識していた時期です。「最後の草薙素子になるかもしれません」と涙ぐんでいたのは、2026年に予定されているサイエンスSARU製作のテレビアニメ『攻殻機動隊』は作風を(おそらく原作寄りに)変えるため、自身が声優を務めるのは最後になるかもしれないという意味だと皆思っていたのですが、まさか闘病中で死を覚悟していたという意味だったとは。

もう一つ気になるのは、前記したとおり『勇気爆発バーンブレイバーン』で悪役の一人クーヌスを演じていたことです。
『バーンブレイバーン』についてはニコ生でも特集しましたが、2024年上期に大ヒットしたロボットアニメです。敵は「デスドライヴズ」と呼ばれる機械知的生命体で、地球を侵略するために宇宙の彼方からワープでやってきます。
で、地球を侵略する理由というのが、この手のロボットアニメとしては凝った設定になっています。デスドライヴズ達は永き進化の果てに知性を獲得したのですが、機械知的生命体であるため寿命がなく、「死」という概念を持っていません。故に、自らが望む形での最上の「死」を遂げるため、自分たちを滅ぼしえる生命体を求めて宇宙をさすらっており、侵略行動も最上の「死」を遂げるためのものでしかないのです。
指揮官はそれぞれ七つの大罪のうち一つを由来として名前を持ち、「強欲」担当のクピリダス(ラテン語で貪欲を意味する)なら「滅茶苦茶でハチャメチャな死」、「虚栄」担当のヴァニタス(ラテン語で虚栄心)なら「まばゆい光に照らされた死」を求めて目的に行動している、という設定です。早い話、変態ロボット生命体を敵にしたわけですね。
「淫蕩」担当のクーヌス(ラテン語で女性器)は「宇宙一の快楽の果ての死」を求めている、と設定されているのですが、時期的に田中敦子が闘病生活を開始した後に声を収録した可能性が高いことを考えると、複雑な気持ちになってしまいます。デスドライヴズ幹部たちは全員一流声優が声を担当し、ノリノリのコメントを寄せているのですが、田中敦子だけそっけない感じなのも、また複雑な気分になってしまいます。

しかし、だからといってクーヌスの演技が微妙だったということはなく、性癖が歪んだロボットアニメの敵として100点満点の演技だったのです。
「強い女性」「戦う女」を得意とする田中敦子ですが、『銀魂』のフミ子とか、『ビーストウォーズリターンズ』のボタニカとか、下ネタ満載の役も得意なのでした。


田中敦子さんのご冥福をお祈り申し上げます……と書いてクールに締めたいところですが、『文芸あねもねR』の追悼回を聴いたら泣いてしまうかもしれない今日この頃です。