岡田斗司夫のひとり夜話6 その2
(前回の続きです)
ノート術:左ページについて
- ノート術、左ページが難しいとよく言われる。右ページには論理的なことを書くわけだが、左ページにもついつい論理的なものを書いてしまう、と。確かに難しいかもしれない。
- 大阪芸術大学で客員教授をやっているのだが、そこの学部長である小池一夫が「人を惹きつける技術」という新書を出した。その本の中で、マンガを書こうという人間は毎日三つキャラを描け! と書いていた。一年続ければ確実にキャラ力が上がる、と。
人を惹きつける技術 -カリスマ劇画原作者が指南する売れる「キャラ」の創り方- (講談社+α新書)
- そういうわけで、ノートの左ページにもキャラを三人描くのが良いと思う。
- それで、右ページに描いたことをやらせたり、ツッコミを言わせたりする。とにかく何かやらせる。
- 同時に、三人の間の関係性みたいなものを台詞で書く。ヒヨコを描いて卵を描けば、ひよこのリアクションを描くことになる。
- キャラを借りて、自分の言いたいことを言わせる。描くキャラは毎日同じでもいい。とにかく毎日描く。するとどんどんキャラが立ってくるようになる。自分の言いたいことを様々な形で表現でする訓練になる。
ノート術:事実と真実
- 右ページには「事実」ではなく「真実」を書く。「事実」と「真実」は違う。
- 「真実」とは、『プロジェクトX』みたいなもの。幾つもある。永遠に正解が無い。あやふやで、話し方や表現の仕方でも違う。
- 「事実」とは、一つしかない。単純で間違いが無いけれど、面白みが無い。
- そそっかしい人は「事実」と「真実」を混同する。
- 「事実」から「真実」を導きだすというのは、物語を導き出すということ。脳内で物語のカケラを幾つも作り、それらの間にハイパーリンクを幾つも作る。
- 言うなれば、「真実」というのは狂った論理。
- ただ、「正しい論理・間違った論理」よりも、「好かれる論理・嫌われる論理」の方が重要かもしれない。
- 疲れたらノートをつけるのを休んでもいい。逆に、どんどん書けちゃうという人は、なにがなんでも一見開きにおさめる──編集する努力をすること。
『ドラゴンボール』のフリーザ問題-1
われわれサイヤ人は戦闘民族だ
環境のよい星を探し そこに住む者を絶滅させてから
適当な星を求めている異星人たちに高く売るのが仕事だ
でも、それはウソ。「異星人たちに高く売る」ということは、実際は販売民族、というか総合商社。ただ仕入れ担当が暴れん坊なだけ(笑)。
でも、『ドラゴンボール』で穴があるのはここだけ。鳥山明は頭が良い。
たとえば『リングにかけろ』は馬鹿マンガ。論理よりも勢いが勝つ作品世界。
『ドラゴンボール』は、戦闘力とか、界王拳とか、新しいワザとか……勝つ根拠がはっきりしている。論理的だし、透明性が高い。
だから後半苦しくなってくるのが良く分かる。魔人ブゥとか……。
『ドラゴンボール』のフリーザ問題-2
- 島本和彦というマンガ家は、馬鹿マンガに憧れながらも、不幸なことに頭が良い(笑)。だから最後に大声や大ゴマで誤魔化すが、読者も自分も騙せない(笑)。
- 島本和彦を大阪芸大の講義のゲストに呼んだことがあるのだが、その時「『20世紀少年』が羨ましい」というようなことを言っていた。
- 普通のマンガは、一つお話の盛り上がりを書いたら、次の盛り上がりはより大きくする必要がある。これを繰り返すとお話の盛り上がり──「波」がどんどん大きくなって、インフレを起こす。
- その代わり、最後の最後で波を全部まとめる。大きい波に小さい波をまとめる。
『ドラゴンボール』のフリーザ問題-3
- その後、色々あってラディッツは倒され、ベジータが登場する。もう皆忘れてると思うが、初登場時、変な異星人の腕を食っている。この時、鳥山明の頭の中には、最初は悪い奴と思わせつつもその後悟空と仲良くなって……という展開が頭の中にあったのだろうが、いくらなんでも悪く描きすぎ(笑)。
- ベジータ敗北→タンクみたいなのにつかってケガ治療。多分、この変な液体に浸かるとケガが直るという描写を最初にやったのは『帝国の逆襲』だと思う。
- フリーザ登場。本当の販売民族はフリーザだった! ここでサイヤ人は販売民族ですらなくて、ただの下請け民族だったことが分かる(笑)。
- 何が悪いのか? は書かない。上手く逃げている。ちゃんとやるとドストエフスキーみたいに面倒なことになるから。
(以下、ネタバレ等に配慮して省略)
『ジョジョの奇妙な冒険』の凄さについて
STEEL BALL RUN vol.20―ジョジョの奇妙な冒険Part7 (20) (ジャンプコミックス)
- 『ジョジョ』第二部が好き。普通は第三部や四部が好きな人が多いらしい。マニアックな人は第五部のイタリア編が好きだという。
- 『マンガ夜話』にて、いしかわじゅんや夏目房之介は大友克洋の凄さについて、「初めて超能力を絵でみせた」点を評価していた。エネルギーでコンクリ壁にヒビが入るとか、周囲の空間が押し広げられる描写が、超能力の表現として新しかった、と。
- 『ジョジョ』は大友の表現を一歩進めて、超能力をキャラ化した。超能力者同士の戦いを、甲冑つけた変な奴がオラオラと殴り合ったり、右手に付けた剣で斬り合うという形で表現した(笑)。これを思いついたのは凄い。
- でも、正確にいうとキャラ化してない。スタンドは喋らない。スタープラチナとシルバーチャリオッツが世間話したりしない。
- 本当は、喋らせた方が話を進め易い。『デスノート』のリュークとかが良い例。
- しかし『ジョジョ』は、これはあくまで現象だとクールに割り切ってる。編集は絶対に喋らせろとアドバイスした筈だが、作者は踏ん張ったに違いない。
- ここで荒木飛呂彦が踏ん張ったからこそ、『シャーマンキング』や『遊戯王』といった「能力を喋らないキャラで表す」マンガの流れが生まれた。
『THIS IS IT』にみるマイケル・ジャクソンの孤独-1
マイケル・ジャクソン THIS IS IT デラックス・コレクターズ・エディション(2枚組) [DVD]
- この中で『THIS IS IT』観た人はどれくらい? おお、やっぱり多いですね。この映画を観て、マイケルって孤独だと感じたので、ちょっとその話をします。
- 『美味しんぼ』には根本で大きな嘘をついている。それは「美味しいものは誰でも理解できる」ということ。子供とか赤ちゃんとかが無農薬野菜で作った料理を食べて「美味しい!」という描写がいっぱいある。
- でも、本当はそうじゃない。フレンチだったらフレンチの美味しさを勉強する必要がある。日本人シェフはフランスに留学したら半年くらい食事制限して舌から醤油――アミノ酸を抜くというし、フランスのおじさんおばさんも「この料理は下ごしらえが云々」と、味を分解して楽しんでいる。
- マイケルの凄さや素晴らしさもこれと同じで、勉強しないと分からない。今の僕らには分からない。
- 『THIS IS IT』は、マイケルの凄さを分かってる人の話を聞くところから始まる。自分こそ世界一と思っている世界中の一流ダンサーがボロボロ泣き出してマイケルを賞賛する。良いスタート。
- マイケルはリハーサルなので普段着で踊っているのだが、明らかに凄い。Perfumeやモーニング娘は唄を歌う時と踊る時を分けている。でもマイケルは歌いながら踊る! 掌が大きいので、必要最小限の動きでニュアンスを伝えられることが一因。
- しかもマイケルは指示が的確。おまけに厳しい。「キミの限界はそこじゃないよ」とアドバイスするだけで、「もう限界!」と言っているコーラスの姉ちゃんが上手くなり、ダンサーの動きが良くなる。同じような天才にアドバイスして、潜在能力を引き出すことができる。マイケル拳二倍、マイケル拳三倍みたいな(笑)。皆がマイケルと仕事したがるのが良く分かる。
- でも、中には辞めた方が良いものの……。『スリラー3D』はダメ映画の見本みたい。あれは実現しなくて良かった(笑)。
『THIS IS IT』にみるマイケル・ジャクソンの孤独-2
- コンサートのニ、三週前、皆で手を繋いで誓いの言葉をいうシーンがある。
- マイケルは言う。「僕らがこのコンサートをやるのは、環境破壊を止めるため。4年ある。4年で環境破壊を止めるんだ」
- マイケルは本気で環境破壊を止めようとしている。実際、マイケルが手をこうやると緑が蘇る、都合の良いナウシカみたいなプロモーションビデオも作ったりしている(笑)。
- でも、誰も本気にしていない。マイケルが一番信頼していて、一番助けてくれるケニー・オルテガでさえも。
- きっと皆、心の中で「また〜」とか思っている。「またマイケルは純粋だから」だからウンウンと頷いている。でも、マイケルのことは好きだし、マイケルがこんな夢物語を信じているからこそ、このようなステージをできることは理解している。
- ここで僕はゾッとした。
(以下、ネタバレ等に配慮して省略)
質問:アメリカの大学で講演したと聞きましたが、英語話せるんですか?
「ひとり夜話」の今後について
- このイベントに来てくれたり、ブログを読んでくれているのはいったいどういう人達なんだろう? ということでメール交換大作戦をした。
http://okada.otaden.jp/d2010-01.html
- 面白かった感想として、このイベントに参加した人の中で、「周囲でノートをとってる人達の気迫が凄くて怖いです」というのがあった。「でも、ブログにアップされたメールをみて、あの人達も悪い人では無いのではないかと思いました」と続けていた(笑)。
- その他、「新宿が怖い」「地下が怖い」「歌舞伎町が怖い」というのもあった(笑)。
- 「内容が分からないと参加しにくい」というのもあった。でも、事前に詳細に説明するのは無理。ネタバレになる。
- 初めて岡田斗司夫を知ったのが大昔に出演した『真剣10代しゃべり場』だったり、『朝生』だったり。言い方悪いけど定着率が意外に良い。もう一生つきあってやる! と覚悟を決めた。
- 冷たい言い方をすればマーケティングなのだが、お客さんではなく仲間という考え方でやっていきたい。でも、僕自身も30年くらいかけてやってきた、お客さんに対するという意識が消えない。
- 今の「ひとり夜話」は効率が悪い。何が聞きたいかは人によって違う。じゃ、どうするか……
(以下省略)
感想
というわけで、今回はここまで。
モテの話は「人は見た目が9割」を思い起こした。あの本から受ける大方のリアクションは、「だからこそ、自分の見た目を変えよう!」ということだと想像するのだが、岡田が提唱しているのは「見た目で落としていた人をもう一回見直そう」ということだと思う。老人ホーム云々は、笑い話ではなくマジ話だとも思った。
『ドラゴンボール』話は、オチ云々というよりも島本和彦の浦沢直樹論が面白かった。決着をつけないまま別のエピソードを始めるという評は、正にその通りだと思う。そういや、『20世紀少年』は『モーレツ! オトナ帝国の逆襲』が二時間でやった話をコミックス40巻近くかけてやった、という言説もあった。
多分、浦沢直樹は『MONSTER』あたりでこの方法論を確立して、『20世紀少年』→『PLUTO』→『BILLY BAT』とどんどん応用していったんだろうな。特に、原作のある『PLUTO』は『パイナップルARMY』や『MASTERキートン』的手法でも全然イケると思うのだが、そうはしなかった所に浦沢直樹の自信みたいなものがあるんじゃなかろうか。
『ジョジョ』話も面白かった。実際は、『ジョジョ』や『シャーマンキング』でも喋るスタンドや喋る霊というのが少数ながら出てくるのだが、前者はあくまで能力の一端としてスタンドと心を通わせあったりしないし、後者は喋る描写がどんどん減っていった。やっぱ、『マンガ夜話』はもっとジャンプ作品をやるべきだよな。
「ひとり夜話」の今後については近日中に岡田斗司夫本人からアナウンスがある筈なので、それを参照して欲しい。もしくは、今週末行われる「ひとり夜話7」に参加するというのも良いかも。一足飛びに感想を書くと、岡田斗司夫の器のデカさに驚きつつも、この話にノれない自分の甲斐性の無さに絶望したという感じか。