全員悪人:『悪人』

悪人 シナリオ版 (朝日文庫)
吉田 修一 李相日
4022645628
時間合わせみたいな感じで『悪人』を観たのだが、いやこれが凄い映画だった。こんな面白い映画を危うく見逃す所だったよ。


まず、制作陣の「これは映画なんだぜ!」的に気合が入りまくった演出が素晴らしい。心象風景を表す雨や車の爆音。「死」を予感させる魚やイカ。駐輪場での涙。効果的に使われる逆光でのシルエット。「セカイの果て」を表す灯台周辺の寒さ寂しさと美しさ。上手いわー。『69』も『フラガール』も馬鹿にして観なかったのだけれども、こんなに演出が上手いのなら観ようかな。


また、自分は恋愛映画というのがどうも苦手なのだけれど、この映画で描かれる毒男と毒女の恋愛ってのは、どうしても肯定したくなる。率直にいえば、羨ましい。この映画の大きなテーマの一つは自分以外の他人(家族も「他人」に含まれる)と本気で関わり合うってことだと思うのだが、孤独な毒男と毒女が傷付き合いながらも関係性を作り上げていくさまが、映画的な省略技法を上手く使って描かれるところが素晴らしいと思うんだよね。


たとえば、毒女がいつもの仕事を終えて帰ると自宅にチェーンがかかっている。チェーンを同居の妹に開けてもらうと玄関に妹の彼氏の靴がある。しかも、妹はこんな夜遅くに彼氏と出かけるという。誕生日か何かだったのか、テーブルにはケーキが残っていて、食べて良いという。「チェーンはかけないでね」という言葉を残し、妹とその彼氏は出ていく。そこで毒女は気づくのだ。妹がわざとチェーンをかけ、服を着る時間を稼いでいたことに。映画史上、最も不味そうにケーキを頬張る毒女――深津絵里モンタージュに耐えうる微妙な演技が最高だ。


そうだ、深津絵里だ。この映画は深津絵里の映画といって良い。女優にとって最も嫌なことは裸で濡れ場をこなすことでもなく、醜女を演じることでもなく、シミやそばかすや吹き出物だらけの顔を大画面に晒されることだと想像するのだが、それを難なくこなしている。しかも、それが美しい。『踊る大捜査線』ではマンガ的キャラ*1を演じていた彼女が、本作では確かな肉体を手に入れた女を演じるのだ。


それも、ただの女ではない。登場人物全員が善人だった『ヒックとドラゴン』とは対照的に、本作では誰しもがどこかしら「悪人」であり、他人を傷付ける存在であることが描かれる。


その中でも、最も「悪人」なのは誰か。殺人を犯した妻夫木でもなければ、打算的に男を求める満島ひかりでもない。上辺だけの人間関係に逃げ込む岡田将生でも無ければ、復讐を果たそうとする柄本明でもない。
女としての「悪」に目覚め、殺人者であるところの毒男を苦しめる深津絵里こそが最高の「悪人」だ。
そして、他人と本気で関わり合うことが真の人間らしさであるという意味において、「悪」こそが人間の本質なのだ。
……そんなことを思いましたよ。

*1:成長も変質もしないという意味で