ゲロとレイプとアンチ007:『ドラゴン・タトゥーの女』

ゲロシーンとレイプシーンをきちんと描く映画は傑作ばかりの法則を一人で提唱しているのだが、『ドラゴン・タトゥーの女』は傑作だった。最近のデヴィッド・フィンチャーは若い頃にも増して才気走ってるなぁ。


きちんとしたゲロ&レイプシーンってなんやねん! と疑問を浮かべるお方も多かろう。
まず「きちんとしたゲロシーン」、おれに言わせりゃ的お話なのだが、口から吐瀉物が地面や便器に流れるさまを、きちんとカメラで捉えたシーンということだ。洋便器の前で屈みこんでゲーゲーやってるところを背後から捉えるとか、いきなり頭がフレーム下に下がってゲーゲーいう音だけ聞こえるとか、そういった描写では足りない。口と吐瀉物、この二つがきちんと画面に映っていることが肝要だ。つまり、カメラに向かって吐かなくては「きちんとしたゲロシーン」とはいえないのだ!(断言)
それでは、「きちんとしたレイプシーン」とは何かというと、むりやり挿入されている瞬間を描いているシーンを指す。「や、やめてー!」→「暗転」→「泣きながらシャワー」なんてシークエンスは認められない。不可だ! や、別にちんことまんこを画面に出せと言っているわけじゃないよ。苦痛に耐える女優の顔や、快楽に笑う男優の顔を画面に映さなければ、それはレイプではない、と主張したいわけだ。


具体例を挙げよう。近年の映画でいうと「きちんとしたレイプシーン」は『ジョニー・マッド・ドッグ』や『レディ・ウェポン』に出てくるそれになるだろう。何れも傑作であることは本ブログをお読みのボンクラ読者の皆さんなら理解してくれることと思うのだが、前者の「冒頭から主人公が局アナをレイプ」や、後者の「ハイタッチしながらのレイプ」等々は映画の面白さに寄与していると思う。
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一方で「きちんとしたゲロシーン」はというと、これはもう世界一偉大な映画監督ポール・バーホーベンの独壇場だ! ……ったのだが、昨年は『ピラニア3D』なんて嬉しい傑作もあった。男優ではなく綺麗な女優が吐くところがポイントだ。
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で、本題である『ドラゴン・タトゥーの女』なのだけれども、最近のシネコン映画には珍しくも充実したゲロ&レイプシーンが嬉しい映画だったよ! そのおかげでちょう面白くなっている! と思うよ、自分は。
まず本作でのゲロシーン。いかにもなデブにイマラチオされた後、リスベットが透明な液体を口から吐き出すこのアングル! 女優がきっちりカメラに向かってゲロを吐く、バーホーベン印とみた。 イマラチオの後なので、もしかしたらうがい液なのかもしれないが、この際ゲロでも水でも関係ない。女優が苦痛に顔を歪めながら口から液体を吐くことが大事なのだ。
レイプシーンはというと、こともあろうかベッドに磔にされ、件のデブがパンツをひきちぎるとおしりが「ぷりん!」。ゴス衣装を剥ぎ取られたリスベットの意外にも少女らしい肢体*1にドキドキしていると、そこでデブが指に唾をつけて一言「アナルは初めてか?」。なに、このゲス演出? ここまで下品な描写、久方ぶりにみたよ!!


勿論、ここまでのゲスで下品で最悪なゲロ&レイプ描写があるからこそ、その後のリスベットのやりすぎともいえる復讐の数々に、存分に感情移入できるわけだ。つまり、「きちんとしたゲロ&レイプ描写」は、感情を映像で表すメディアであるところの映画がとりえる最上の手法――最上の映画的手法であるわけだね。うん、そうだそうだ、間違いない!


以下、なるべくネタバレしないようにするけどネタバレ。


もう一つ感じたのは、『007』シリーズへの目配せだ。
本作のオープニング・タイトル映像は、CGで黒く加工された女性が男性に犯されたり、殴られたりするというものだ。いずれも、映画の中のリスベットの状況を表しているといって良い。BGMとして流れるのは『移民の歌』のカバーで、”We come from the land of the ice and snow”という歌詞も、都会であるストックホルムに住む主人公達に、「氷と雪の地」である地方都市ハーデスタから、獄門島の犬神家みたく襲いくる因習や悪意という意味で、映画の内容を暗示している*2。このようなオープニング・タイトルは『007』のそれを強く想起させられる。
このタイトル映像の直後に登場するのは、現役ボンド俳優であるところのダニエル・クレイグだ。
だが、ボンドにしてはパっとしない。良い車に乗り、良い服や時計を身に着け、格好良くアクションをこなして良い女をコマす、ジェームス・ボンドは男の夢の一つなのだが、本作のミカエルはしょぼくれている。ヒーローらしくない。映画が始まる前から負けている。おまけにバツイチである。アクションもできない。銃弾が頭を掠めただけで風呂場でブルブル震えるし、絶体絶命のピンチを女に救われる始末だ。007なら女を救う側である筈なのに*3
一方で、リスベットもボンドガールからは程遠い存在だ。前述の通り常にゴス衣装で「武装」しているし、脱げば成熟した女とは言い難い肉体だ。他人と上手くコミュニケーションをとれないし、眉毛は無いし、おまけにレズビアンだ。


しかし、そんな二人が協力すれば、ボンドになれる。傷追い人がヒーローになれる。本作は、そんな映画じゃなかろうか。


風呂で震えるミカエルをリスベットがセックスで慰めるさまは、リスベットが自分と同じ弱さをミカエルに見出したからなのだが、同時に、『カジノ・ロワイヤル』でダニエル・クレイグ演じるボンドがエヴァ・グリーンを抱くシチュエーションの逆バージョンとも捉えることが可能だ。
最後の最後で、ハリウッド的三幕構成が終わったにも関わらず、リスベットがみせる007的エスピオナージ的活動は、ミカエルへの愛故の行動だろう。


多分、ハッカーとしても調査員としても優秀だけど、他人と上手くコミュニケーションをとれないリスベットは、若い頃のフィンチャーを反映していると思うんだよね。いわば前作『ソーシャル・ネットワーク』におけるマーク・ザッカーバーグの女版だ。
一方で、ミカエルは、常にカルト的にしてカリスマ的人気を得ているにも関わらず、メディアを賑わすビッグマウスや、キューブリックや黒澤に相通じる完璧主義への批判に、人知れず傷ついている現在のフィンチャーの、ある面を反映しているのではなかろうか。



そんな風に考えると、本作のラストはより一層切ない。と同時に、『ゾディアック』以降、映像的面白さよりも、映像で人間ドラマを語ること優先させつつあるようにみえるフィンチャーの、次作が楽しみでもある。嗚呼、三部作全部映画化して欲しいなぁ。

*1:スウェーデン版はおばさんっぽかった

*2:同時に「スウェーデンのコンテンツがハリウッドにやってくる!」という意味も内包しているだろう

*3:でも、結構鍛えている体なのはご愛嬌か。ちょっと腹でも出ていて欲しいところ