ポスト911ドラゴン:『ヒックとドラゴン』

ヒックとドラゴン』鑑賞。おおお面白かった! もう、どのシネコンも午前一回のみの上映になってしまったのだが、今年絶対観るべき映画の一つだと思う。


そもそもドラゴンという存在は西洋文明における敵対者だよね。だからベオウルフやジークフリートや聖ゲオルクはドラゴンを倒して英雄となったわけだ。映画でいえば、『ドラゴンスレイヤー』はまんまそういう話だよね。
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その後、単にドラゴンを倒すだけじゃマンネリだ! っつーことで、ドラゴンの役割が多様になってきた。単なる敵対者から主人公に情報を与える第三者として、完全には信用できないけれども有益な情報を与えてくれる商人とか、人生の指針となる叡智を授ける仙人的役割なんかを演じるようになってきた(最初にこれを意識的にやったのは『ゲド戦記』じゃないかと思う)。
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この延長線上で、ドラゴンをユニットとかアイテムとして扱うTRPGの影響も相まって、ドラゴンと友達になるとかドラゴンに乗るとかいうお話が出てきた。映画だと『ドラゴンハート』や『エラゴン』なんかがそういう話だったよね。
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勢い、「ドラゴンと友達になる」タイプのお話は敵対者との和解や異文明との交流というものがテーマとなるわけなのだが、『ヒックとドラゴン』の特徴はポスト911な味付けにあると思う。


まずヒックの住むバイキング村なのだけれども、これがどう考えてもアメリカの片田舎なんだよね。
主人公の同級生には『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でいうところの意地悪グループとか、『スタンド・バイ・ミー』でいうところのお菓子ばっかり食ってるデブみたいなのもいる。キャリア志向なブロンドでショートカットな娘がヒロインだ。
主人公はボンクラ高校生。ハリウッド映画のハイスクールものといえば、主人公はボンクラと決まっているので当然だ(父親は族長なのだが、これは親子二世代の対立をシンボリックに演出する為の仕掛けだと後で分かる)。大人がバイキングらしく斧やハンマーといった近接格闘武器で戦う中、いかにもボンクラっぽく自作のヘンテコなガラクタ兵器で戦うさまが実に楽しい。


で、そんな中、ヒロインが「私たちも早く大人になってドラゴンを殺さなきゃ!」みたいな台詞を吐くに至って、ドキリとするんだよね。このバイキング村は大昔からずーっとドラゴンと戦い続けているという。この村は、アメリカはアメリカでも、建国以来異文明と戦争をし続けているアメリカだったのだ!


その後、ドラゴンテイマーのスキルが上がってしまい、ウソの自分を演じ続けなければならなくなった結果巻き起こる騒動という三谷幸喜みたいな展開を挟んで、父と子が向き合うシーンがある。
ここで、ドラゴンという異種族や異文明と和解しようと持ちかけるヒックに対して、そんなこととんでもない! と怒る父、という構図が立ち現れるのだけれど、これが「仲間のバイキングがたくさん殺されたんだぞ!」「こっちだって何千頭も殺したろ?!」という、ドキドキする台詞のやりとりでなされるんだよね。
この映画はピクサーを仮想的とするドリームワークスが作った、子供向けCG映画なわけだ、名目上は。だから、悪人は一人も出ないし、直接的な死の描写も無い。
でも、スクリーンに直接映ることは無いけれども、この世界は実のところ殺したり殺されたりで、それは我々が生きている現実の反映であるのだなぁということが想像される、実に良い演出だった。主人公が提示する、未知なるモノへの必要以上の恐怖が元凶であるという『ボウリング•フォー・コロンバイン』な指摘を「一見、凶暴そうなドラゴンと仲良くなる」「族長である親父がドラゴンを助ける」という子供でも分かるビジュアルでみせるのも良い。


ビジュアルといえば、この映画の飛行シーンは本当に凄い。空中や宇宙や水中でのアクションといった分野では、カメラ位置を自由に設定できる3DCG映画にアドバンテージがあるのは当たり前なのだが、自作のドラゴン装具やペダルをガチャガチャやって始めて離陸するシーンは『紅の豚』、浮遊感は『ラピュタ』や『ナウシカ』、ラスボスはギガントと、宮崎アニメの飛行シーンを下敷きにした構図やカット割りといった演出が連続する。これはパクりというよりはリスペクトだよな。


あと本作で何よりもドキドキするのはそのラストだ。この映画もイノセントなだけだった少年が傷つくことで大人になるというビルドゥングス・ロマンなプロットで、しかも大人世代の意識や価値観をひっくり返すことで大人になるのだけれど、ここまでやりきるのは珍しい。しかも、それが二人が真のパートナーとなったことを表現する演出にもなっている。


いや、でも、そういえば『スター・ウォーズ』というシリーズでも同じような演出があった。あれは少年がイノセントじゃなくなる象徴であると共に、二人が真の親子であることの証明でもあった。デキの良いファンタジーではこの種の演出は不可欠ってことだよね。やりすぎると『どろろ』になってしまうのだろうけれど。え? 勿論、映画版の方に決まってるじゃん!