マクロスとビッグダディのあいだ:『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』

自分はアイドルと聞けば恵比寿マスカッツのことを真っ先に連想するくらい、アイドルというものに1ミリも興味が無い人間だ。そんな自分の友人の中にも、やれももクロだ、やれ腐女子シスターズだのと、口を開けばアイドルの話ばかりするアイドルオタがいるわけだが、そんなアイドルオタを、オタの中でも一段低い存在として心の中で見下したりしてした(正直スマン)。


だから、AKBのドキュメンタリーなぞ観るつもりも無かったのだが、毎週楽しく聞いているタマフルのシネマハスラーにて宇多丸がちょっとどうかと思うくらい熱く語っていて、驚いた。

「アイドル映画の金字塔にして臨界点」
「おれたちBUBKAチームが長年待ち望んできた映画……だが、本当に実現して良かったのか?」
「西部ドームコンサートにてどんどんメンバーが倒れていくさまは、ほとんど戦争映画」
「日本型アイドルの到達点として、今絶対に観ておくべき映画」


大根仁もDigのポッドキャストにて、これまたちょっとどうかと思うくらい激賞していた。
大根が堤幸彦佐藤大などと一緒に秋元康の下で弟子的に学んでいたというのは有名な話だ。大根は秋元のやり口を熟知しているので、AKBには全く興味が無かったのだが、映画をみて驚いたという。秋元を初めとする運営の思惑を飛び越えた魅力が詰まっている、と。


もう一つ、いつも楽しく読んでいるkatokitzさんのブログでも、またまたちょっとどうかと思うくらいのテンションで書かれたエントリが上がっていた。
Twitterで「観ようかどうか迷っている」なんてうっかりツイートしたら、多数の人に「是非観てください!!!」なんて返信されたりもした。



そういうわけで『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』を鑑賞。多くの劇場では今月で公開終了らしいので、近所のシネコンでも一日一回の上映だったのだが、結構客がいて驚いた。聞きしに勝る、凄い映画だった。勢い余って土曜夜にNHKで再放送されていた『DOCUMENTARY of AKB48AKB48+1』』まで観てしまった。


何が凄かったかって、やっぱり西部ドームのライブを描いたパートが凄かった。
過呼吸熱中症で、少女たちがバッタバッタと倒れていくのだ。普通にテレビのバラエティー番組なんかでよく見かける少女が、どんどん倒れていく。圧巻は大島優子で、大根仁と同じく自分もテンパリながら倒れていく人間というのを初めてみた。また、自分は『Fallout3』や『The Elder Scrolls』といった洋ゲーにて、女性が死体で横たわる姿にちょっと興奮したりする変態なのだが、本作にてAKBの少女たちが苦しそうに喘ぎながら肉体を床や椅子に預けるシーンにも、やっぱり興奮した。や、誰も興奮しなかったなんて言わせないぞ!


AKBメンバーたちへのインタビューパートも面白かった。
総選挙やじゃんけんによるセンター争奪といったジャンプ連載枠争い並みの競争システムはAKBの特徴の一つとして知られている。「CD○万枚売れなかったら解散!」みたいな盛り上げ企画を最初にやったのは90年代のモーニング娘。だった。一方で、『バトル・ロワイヤル』や『ライアーゲーム』といった不条理デスゲームは、ゼロ年代初頭の激化した就職活動の反映でもあった。AKBの競争システムはこの二つの流れを、前者を意識的に、後者を無意識的に、受け継いでいると思う。
で、AKBメンバーは全員この競争システムに自覚的なんだよね。
ステージの裏で捻挫した後、大丈夫? 大丈夫?と声をかけられながら楽屋へ運ばれていく。他のメンバーから慰められたり、仲良さげに写真を撮ったりする。でも、楽屋でテレビを観て、自分が躍っていた場所に、他のメンバーが納まっているのを観ると不安になる。ネ申とか伝説とか煽てられているが、後輩は着実に実力をつけている。自分の代わりはいくらでもいるし、アイドルとしての寿命も分かっている。私がいないほうがAKBの人気が出るんならそれで良いんじゃないか、そんなことを当人がいう。指原莉乃がやっていた「エキストラごっこ」には笑ったが、これには笑えなかった。表立ってメンバー同士で争わないのはゼロ年代をサバイブしたアイドルとして当然のことだ。だが、この場面には、観客であるこっちまでゾっとした。



そういったシチュエーションの中で、国民的アイドルとして振舞おうと奮闘する少女たちの姿が一番の見所といえるだろう。


まず高橋みなみだ。自分は高橋みなみと峰岸みなみの区別もつかなかった男なのだが、初めてたかみなを認識した。AKBの中に一人モーニング娘が紛れてるよm9(^Д^)プギャー!……などと思っていた娘が高橋みなみだったのだ。
たかみなのリーダーシップは尋常でない。常にAKBのリーダーとして振る舞い、問題が起これば自分ごととして受け止め、秋元康ともサシで交渉する。SKEやHKTといった他グループを含めた数百人の人間がぐるりと周りを囲む状況下で、女社長のように指示を出す。グループにとって何が大切か常に把握しており、総選挙やコンサートの際に自分を見失ったり、倒れたりする他のメンバーへの気づかいも凄い。これで年齢は二十歳やそこら程度という。なんて女なんだ!


更に、もっと驚いたのが前田敦子だ。本作はインタビューパートとドキュメンタリーパートに別れるのだが、ドキュメンタリー部分の前田敦子は、スケジュール詰め込みすぎで忙しいのか、プレッシャーでテンパリすぎなのか分からないが、常に目がイっちゃってるんだよね。で、すぐに過呼吸で倒れる。でも、前田敦子は「センター」なので、彼女がいないとコンサートが成り立たない。どうにか前田の穴をカバーしようと奮闘するメンバーたち。ここで奮闘するのは当然高橋みなみだ。
コンサートの開幕直前、最後の最後、前田抜きで円陣を組み、なんとか前田抜きでやりきろうと声を掛け合うメンバー。そこに、のっしのっしとやってくる前田。回復したのだ。彼女が何も言わず円陣に入り、誰も何も言わず受入れる。正直、ちょっと感動した。もう言葉なんていらないのだ。
その後、他のメンバーが会場アナウンスする声が響き渡る中、壁を前に一人練習する前田。前田の孤独と奮闘がくっきりと浮かび上がる名シーンだった。宇多丸の「壁、近すぎるよ!」なんて評には笑ったけれども。


ただ、この前田敦子の頑張りも、運営側が用意し、ファンが維持しているAKBの競争システムを念頭に入れるのと入れないのとでは、意味が変わってくる。前田敦子が「センター」なのも、AKB総選挙を勝ち抜いた結果なのだ。



ビヨンド・ザ・マット [DVD]
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自分は、アイドルとプロレスって受け手が自覚的にゲームを楽しむという意味で似ていると思うのだけれど、本作はアイドル版『ビヨンド・ザ・マット』みたいだと思った。あの映画で、試合で大怪我したマンカインドが、心配して駆け寄る家族に対し「ごめんな、それでもプロレスが大好きで、辞められないんだ」と謝るシーンがあった。本作の前田敦子を観て連想したのはそのシーンだ。


だが、『ビヨンド・ザ・マット』を観たWWFの社長ヴィンス・マクマホン Jrは大激怒したらしいが、本作は違う。『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on……』は、運営側が企画段階から参加している、いわば「公式」映画だ。


だから、実のところ、決定的なシーンは、見せていない。宇多丸が指摘している通り、運営側の失態や、アイドルというシステムが抱える搾取の構造に触れていない。前田敦子大島優子が倒れてゆく中、アンコールを要求する残酷な観客は映画の観客である「自分たち」であるのだが、その顔も絶対にみせない*1
NHKで放送された『DOCUMENTARY of AKB48AKB48+1』』と比較すると分かりやすいだろう。
映画に比べれば『AKB48+1』はヌルい。西部ドームの裏側も見せないし、AKBの競争システムへの言及もない。だが、NHKが製作に少なからず関与したと思われる『AKB48+1』は、映画に無かった運営側、そして「望まれぬ客」側の姿が、少なからず納められている。AKB48劇場支配人である戸賀崎智信のインタビューがある、というだけの話ではない。「もっと堂々としろよ」とか「”また来てください”じゃねぇよ。”また来ます”だろ。そういう気持ちが出ちゃうんだよ!」と厳しく指導する運営側(ディレクター?)の声が、しっかり入っているのだ。更に、握手会にて握手したままアイドルと話し込む客を引き離す「剥がし」のスタッフまで映りこんでいた。こういったシーンは映画には無い。おそらく、運営側の姿を入れ込みたくない以上に、運営側が「要らない客」を想定していることを、意識させたくないのだ。それが商売の基本なのだから。



モーニング娘からこちら、アイドルの魅力には宇多丸曰く「残酷ショー」の一面が加わった。だが、それは自然な流れだったのだろう。
以前、フーターズに行った際に印象的だったことがある。連れて行ってくれたオタ友の一人が、フーターズの給与や配膳といったオペレーションシステムについて一席ぶち始めたのだ。「あの娘、おっぱいおおきいねぇ」みたいな感じで普通に楽しめば良いのに、なんて思ったのだが、今なら彼の気持ちがわかる。
もはや、アイドルを普通に消費するだけでは飽き足らない。運営側や、アイドル側の視点で楽しむ、メタ的な視点も消費の一部として組み込まれたのだ。
当然、この本エントリもAKB消費の一環ということになろう。別に自分はCDもDVDもAKBグッズも購入しておらず、シネコンの割引価格で映画を一本観ただけなのだが、ブログで話題にすることにより、新しい消費の枠組みに組み込まれているのだ。
新しい消費とは何か。それは、ユーザーがゲームを作る、みたいなものではなかろうか。おニャン子クラブモーニング娘。の時代は、運営側が与えたゲームを楽しむだけだった。だが、現代は客がゲームを作る時代なのだ。
そして、そのゲームを運営側が広い、フィードバックさせるところにAKBの特徴があるだろう。前述したプロレスと比較してみると分かり易い。プロレスも、運営側がギミックを仕掛け、レスラー同士の友情や確執といったドラマを読み取るゲームが存在している。しかし、マクマホン Jrが激怒したように、プロレスの運営側はそういったユーザーによるゲームに反発し、嫌がっている。
ラーメンと愛国 (講談社現代新書)
速水 健朗
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蛇足かもしれないが、比較してみると面白い例の一つに「ラーメン二郎」があるだろう。「ジロリアン」と呼ばれるユーザーによる「ロットバトル」や「ギルティ」や「二郎コピペ」といった遊びは、ユーザーによるゲームだ。だが、ラーメン二郎の運営側はそういったゲームを完全に無視している。フィードバックでも反発でもなく、無視だ。


DOCUMENTARY of AKB48 to be continued 10年後、少女たちは今の自分に何を思うのだろう? スペシャル・エディション(2枚組) [DVD]
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本作は映画二作目で、一作目をブラッシュアップしたような内容だという。もしかするとAKBのドキュメンタリー映画の行き着く先は、『ビッグダディ』なのかもしれない。インフレが進めば、運営側が登場するのかもしれない。『電波少年』の土田プロデューサーのように、キャラ化した戸賀崎マネージャーが登場することもあるだろう。平成ライダー同士が殺しあうように、AKBメンバー同士の確執が描かれることもあるだろう。チーム4の大場美奈の熱愛・飲酒スキャンダルを超える、高橋みなみの母逮捕が描かれることもあるだろう。
だが、客であるAKBオタが登場することは絶対に無い。『ビッグダディ』を茶の間でギャハギャハ哂う客がテレビ画面に登場することが絶対に無いように。


クイック・ジャパン100
AKB48 秋元 康 入江 悠 樋口 毅宏 劇団ひとり 綾小路 翔 高城 れに 中村 珍
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一方で、なんとAKB48は4月にアニメ化するらしい。タイトルは『ガンダム00』じゃなかった『AKB0048』。舞台は「全てのアイドル活動が禁止された未来」で、「非合法アイドル」として活動するAKBが主人公なのだという。政府から「テロリスト」と見做され妨害を受けるも、自分たちのステージやファンを守る為に武器を手にとり戦うという話なのだという。しかも総監督は河森正治! これ、絶対に後半で変形ロボットが登場するね!


AKBがアニメ化。これはブッシュ大統領サッチャー首相の半生が映画化されるのとはわけが違う。またまたプロレスを例に出すが、タイガーマスク獣神サンダー・ライガーのアニメ化に近い。だが、ちょっと違う部分もある。単純なタイアップというよりは、運営側による公式な二次創作だ。アニメのキャラは、前田敦子高橋みなみ本人の個性を反映したものとなるのだろうが、単純な反映ではない。あくまで客が受け止めた「前田敦子高橋みなみのキャラクター」を反映したものとなるのだ。
で、そのアニメのキャラが、本人に影響を与えることもあるのかもしれないし、その逆もあるのかもしれない。本人たちが恋愛スキャンダルや脱退スキャンダルを起こしたら、それをアニメに取り込むのかもしれない。



一方で、メディアを通して露出したキャラクターがネットを通して当人にフィードバックされ、それを楽しむキャラクター消費がある。もう一方で泥臭いまでの人間の素のリアクションを楽しむシステムがある。AKBの行き着く先は、『マクロスF』と『ビッグダディ』の二極化なのかもしれないな。で、我々はその両端を行ったり来たりしつつ、Twitterやブログで話題にしたりしつつ、AKBというコンテンツを楽しむわけだ。それを運営側が映画やアニメやドラマやバラエティーやステージといったコンテンツにフィードバックする。なんてステキな永久機関なのだろう。もう自分はAKBの虜になりそうだ。少なくともアニメは絶対観るね!


そうそう。翌日は阿佐ヶ谷で『渡辺宙明トークライブ』を観覧してきたのだが、宙明がAKB48をチェックしているというのには驚いた。好きな曲は「Everyday、カチューシャ」らしい。宙明もAKBの虜だ。間違いない。

*1:被災地の客はAKBの評価を上げる「良い客」なのだ。台湾や香港の客はきちんとみせていたが、あれは日本人じゃないからか?