真・おれがウルトラマンだ:『ウルトラマンサーガ』

その昔、ウルトラマンは神や仏と同種の存在だった。しかし現在、彼の凋落ぶりたるや、目を覆わんばかりだ。プロダクションが買収されるや、ミニチュア無しのローコスト番組製作を余儀なくされる。ウルトラマンキングの声を政治家がアてる。星空に向かってラーメンをかかげるばかりか、携帯電話会社の要請に応えて郵便配達や携帯ゲームにまで進出し、ついにはAKBに頼るまでになる。……実にしょっぱい時代ですよ。
……そんな先入観たっぷりで観た『ウルトラマンサーガ』だったが、意外にも面白かった。ちょっと感動した。時代を映した良い映画だったとまでいっても良いだろう。なにしろ、震災メタファー世界を舞台にするという、「いま」を取り入れた傑作だったのだから。


やっぱりさ、どんなに『ティガ』や『マックス』が大好きな自分でも、『80』より後のウルトラマン、すなわち平成ウルトラマンには、ある種の「ニセモノ感」を感じてしまうんだよな。特に今回の映画は、島田紳助の遺児であるところの「おバカタレント」に、史上初めて視聴者に侘びを入れたウルトラマンに、「うぃっしゅ!」だけでバラエティー番組を乗り切るテレビタレントだよ。プラス、菓子でもコーヒーでも家庭教師でも、どんな商品でも彼女たちが宣伝すれば売れるといわれるAKBだよ。ここ数年のウルトラ映画は準備期間や制作費をきちんととっていたせいか*1良作揃いだったけれども、遂に底抜け超大作が作られる時が来たのか……そんなふうに思っていたわけですよ。


でも、本作はそのような先入観や悪い意味でのタイプキャストによる陳腐化を、(おそらく製作陣の)知恵と志で跳ね除けていた。



以下、ネタバレだけどネタバレしても面白いように書く。



まず、世界観が良い。
世界中の人間がいなくなった無人の地球で、子供たちのために偽の守護者――ヒロインを演じ続ける少女たちの姿は、当然のように現実のAKBの姿に重なる。先日『DOCUMENTARY of AKB48』を観た際にも思ったのだが、AKBってのは、彼女たちが自覚的にアイドルを演じていることに対して、ファンも運営側も自覚的なんだよな。そもそも昔からアイドルとはそういった存在だったのかもしれないが、いま彼女たちがTシャツにジーンズというシンプルなスタイルで被災地慰問のライブをするという行為*2にそれ以上の意味が加わってしまうのは、「国民的」アイドルであるからだろう。
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また、製作側が「ニセモノ」と「ほんもの」の区別に自覚的であるのも良い。
ウルトラの国で長老の如く相談しているウルトラマンウルトラセブン――黒部進森次晃嗣といったオリジナルキャストの面々が演じる彼らは、まごうことなき「ほんもの」だ。ウルトラマンタロウがいないことがその反証のようにも思える。おそらく、『大決戦!超ウルトラ8兄弟』の時と同じく、篠田三郎オファーを断ったのだと想像するのだが、石丸博也の声で登場させるなんて真似は決してしない。分かる。分かるぞ! だって『タロウ』放映時に石丸博也がタロウの声をアてるなんてことなかったもの!


で、本作の主人公であるところのタイガ青年は『ダイナ』世界の住人であることが示される。おそらく、『ダイナ』世界はウルトラの星があるオリジナル世界とも、『ウルトラマンサーガ』でAKBたちが住む世界とも違う。誤解を恐れずにいってしまえば、『ダイナ』世界は、昭和ウルトラマンもおらず、震災の直接的被害も受けなかった、テレビの前の「おれたち」が住む世界だ。帰マンによる「すべての平行世界を守ることは無理です」という台詞は象徴的だ。東北の人たちが津波で現われた家を去り、避難所で眠れぬ夜を過ごしていたころ、自分の布団で寝ていたおれたちは、まるで別の世界にいたようではなかったか。あるいは、計画停電の闇に包まれていた時、煌々と電気が灯っていた東京に住んでいたおれたちは、まるで別の島宇宙に住んでいたようではなかったか。


そんなタイガ青年が『ウルトラマンサーガ』世界に降り立つ。そこは苦しんでいる女と子供しかいない寓話的世界だ。「実験」と称し、定期的*3に怪獣を送り込むバット星人。不気味な胎動をあげ、むくむくと成長してゆくゼットンが象徴するものは明らかだろう。
参考:ライダー先進国・怪獣後進国 - 冒険野郎マクガイヤー@はてな


そのまんま東へ
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バット星人の声を東国原英夫ことそのまんま東がアてているのも実に良い。上手いとか違和感が無いとかいうのは勿論だが、ウルトラマンキングの声を小泉純一郎がアてていたのとは全く逆の意味で良い。「あの時」、その場限りの人気取りやパフォーマンスに終始していた政治家たちは、まるでバラエティー番組でその場限りの笑いをとりにゆくことだけに熱心な芸人のようではなかったか。芸人が政治家を演じているようではなかったか。


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ウルトラマンサーガ』世界に降り立つ男たちは全員ウルトラマンだ。史上初めて暴力事件を起こしたウルトラ主人公が、怪獣を優しさの光で落ち着かせる、穏健派のウルトラマンに変身する。ものすごーく無理して「皆のアニキ」を演じる羞恥心の生き残り――「おバカタレント」と言われていた男が、「伝説のウルトラマン(これもまた「ニセモノ」にすぎない)」に変身する。まさかあの、途中で変更されたエンディング・テーマが、あのような使われ方をされようとは! 「世界は終わらない」って、放映時は大仰すぎて寒く聞こえた歌詞が、今ではなんと心に刺さるように響くことだろう。


そして、タイガ青年を演じるのは、これ以上薄っぺらい男がいたのかというくらい薄いキャラクターを演じている、テレビタレントのDAIGOだ。結果、『レスラー』や『ブラックスワン』と同じ効果が発生する。パニックに陥り、「助けて、ウルトラマン!」と叫ぶタイガ青年。「しっかりしろ、今はおまえがウルトラマンだ!」という台詞が熱い。熱すぎる。なんだよこの映画。そうだよ。今はおれが、おれたちが、こんなに薄っぺらくて、こんなに「ニセモノ感」に溢れるおれたちが、ウルトラマンなんだよ!


ドラマチックサウンド DXウルトラマンサーガ
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その他、しっかり女優として開眼したオカロとか、さりげなくUローダーが重機としての存在する世界観を説明する最初のカットとか、絶対に成田亨が激怒しそうなウルトラマンサーガのデザイン(これもまた「ニセモノ」なのだ)とか、製作陣の『ネクサス』愛をまたしても示すお母さんのキャスティングとか、見所に溢れた映画であった。震災要素もそうなのだけれど、AKBが今の立ち位置じゃなくなる10年後や20年後に見直すと、ちょっと味わい深いんじゃなかろうか。


【東宝特撮Blu-rayセレクション】 ゴジラ(昭和29年度作品)
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よくできた怪獣映画における怪獣とは「戦争」や「災害」や「暴力」や「社会問題」といったもののメタファーだった。最初の『ゴジラ』や『ウルトラマン』や『セブン』に力が溢れていたのは、そのような理由による。そして、最近のウルトラマンゴジラが人気や興業の面でライダーや戦隊に負け続けているのも、同様の理由によるだろう。
でも、『ウルトラマンサーガ』にある種の力が漲っているのは、そこら辺が上手く行ってるからだろう。これは『ゴジラ』があの時代に作られるべくして作られたのと同様に、「いま」作られるべくして作られた映画なんじゃなかろうか。


ただ、こんなに最高な映画なのに、それでもライダーや戦隊よりも客が少ないのは寂しいなぁ。やっぱり新作をテレビでやらないと厳しいんだろうな。

*1:だからといってウルトラ映画よりも短い期間と安い制作費で作っているライダーや戦隊映画がつまらないというわけではないところが面白いところだ

*2:『DOCYMENTARY OF AKB』にそういうシーンがあったのだ

*3:おそらく週一ペース