紳助さん、「笑いと感動」をありがとう!

紳助引退。なんだか気持ち悪い感じがするのは、やっぱり謹慎でも謝罪でもなく引退であったことだと思う。
会見で語られた理由が「暴力団とメール」でしかないのが余計に気持ち悪い。10年前くらいにたけしが「ヤクザに絡まれる」というドッキリを仕掛けられた際、「おい、おれ○○組の組長と知り合いだぞ!」と口走ってしまったのでお蔵入りしたという話を何回かしていた。これ、たけしならOKってことなのか。それとも、10年前だからOKってことなのか。や、別にたけしなら今でもOKだろうな。



ダウンタウンに漫才を託してからの紳助は、最も早く「お笑いタレント」となった「芸人」の一人だった。役者業や監督業に手をつけたものの自分に才が無いと知るや早々に見切りをつけ、司会業とプロデューサー業に自らの道を見出す。そして、紳助は21世紀に入ってから勝利の方程式をみつける。それはバラエティー界における「笑い」と「涙」や「感動」との融合だった。


バラエティー界における「笑いと感動」が始めて意識されたのは『電波少年』のヒッチハイク企画からだろう。だが、紳助が考えたのは、「笑いと感動」はヒッチハイクするまでもなく作れる、ということなのではなかろうか。


行列のできる法律相談所』、『人生が変わる1分間の深イイ話』。『クイズ!ヘキサゴンII』……これらに共通するのは時に「紳助ファミリー」と揶揄される出演タレント同士の仲のよさのアピールだ。「笑い」を介した仲のよさアピールは、タレント同士の人間関係を視聴者にしっかりと把握させる効果がある。彼ら彼女らのエピソードを回想VTRや過去素材の引用といったテレビ的手法で紹介し、「笑いと感動」を作っていく。時に「CDデビュー」や「マラソン」といった乗り越えるべきイベント(すなわちヒッチハイクの代替物だ)を用意する。「参議院選挙」というこれまでのバラエティー史からいえばほとんど反則ともいえるイベントまで用意された。
そして、紳助自らはプロデューサーとしてそれらすべてに関わっていく。異業種から参入し、番組で育ったタレントは、紳助に恩義を感じる。当然視聴率は高いので、局や番組スタッフからの評価も高い。まさに「紳助ファミリー」が王制を敷く「紳助王国」の誕生だった。


これを支えていたのは「大衆」による圧倒的な支持だ。テレビでギラギラした若手芸人がやる「笑い」など観たくない。どぎつくて下品な「笑い」など観たくないという「大衆」――夕飯の片手間にテレビを視聴し、児童ポルノ規制に賛成し、ゲーム脳に恐怖を覚え、暴力事件を起こした紳助が記者会見で泣きじゃくって謝罪するさまに同情し共感するような「大衆」が最終的に支持したのは「笑いと感動」だったのだ。
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我が家は生協の宅配サービスを利用しているのだが(共働きには強い味方)、カタログにてヘキサゴンファミリーのCDが商品として扱われているのをみて、心底驚いたことがある。司会者が毒舌であるにも関わらず、「紳助王国」を構成する番組の、なんと無毒なことか。


勿論、どぎつくて下品でギラギラした「笑い」を求めるマイノリティも一定数存在する。そういった層ですらM-1のプロデュースという形である程度フォローしていたのが紳助の強さだった。


「大衆」向けの「笑いと感動」。それは紳助竜介の漫才で一世を風靡した紳助の笑いの本質とは全く違うものであった。紳助は純粋に「勝つ」為にそれを選択したのだ。
だが、紳助が勘違いしていたことがある。実は「大衆」など存在しなかったのだ。ゴールデンタイムの無毒なバラエティー番組で笑い、ネットなど観ず、テレビが紹介する商品を買いまくる層なぞ、一定数に過ぎない。毎晩ニコニコ動画Youtubeで笑い、Twitterでつぶやいて2ちゃんのまとめサイトを確認し、P2Pでコンテンツをダウンロードする層も、ほとんど同じだけ存在する。
そういった層にとって紳助は憎悪と軽蔑の対象だ。紳助の戦略が見抜かれているのことが原因ではない。紳助が、自身が好きでもなく信じてもいない「笑いと感動」で成功しているさまが気に食わないのだ*1。「暴力団とのメール」を引退の理由としているが、そんなこと誰一人信じていない。犯罪者と友達だったら自分も犯罪者なのか。誰を友達にしようと紳助の自由だ。本当に金勘定や損得抜きの友達づきあいだけなら、引退しないはずだ。



紳助や吉本は最後まで勘違いしていた。暴力団とのメール連絡を「悪」とすることで全てを解決できると考えたのだ。だが、同じように暴力団とつきあっていようとも、ビートたけしは決して糾弾されない。たけしが金勘定や損得抜きで暴力団と友達づきあいしてると説明すれば、信じる人間は多いだろう*2。同じように、ヤンキー上がりで暴力的であろうとも、浜田雅功バッドボーイズ佐田やスマイリー菊池が紳助ほど嫌われることは無い。21世紀の「大衆」とは一つの価値観や属性で定義したり誘導できるようなものではない。そして、WikiLeaksや一般の海上保安官が国家機密を開示できる時代に、たとえ記者会見で泣きじゃくったり神妙に反省した色をみせようとも、心性を隠すことはできない。


多分、好きな映画やマンガを公言するのと同じように、好きなAV女優やオナニーの回数を公言するホリエモンのやり方が、21世紀のコンプライアンスとして正しいのだろう。



だが、紳助の狙いは他にあるのかもしれない。

「なんとなれば、政治の世界には選挙という免罪装置がビルトインされているからだ」
「というよりも、ある程度の傷を負った有名人は、選挙に通ることでしか名誉を回復できないのかもしれない」
「選挙は、人気を競うコンテストではない。知名度を争う戦争だ。好きであれ嫌いであれ、名前と顔を知られている候補者が勝つ」「1万人に嫌われて、50万人に好かれている候補者と、100万人に嫌われていて80万人に好かれている候補者が、同じ選挙区で選挙戦を戦った場合、必ず後者が勝つ」
「とすれば、紳助は無敵だ」

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という論には、恐ろしいほどのリアリティがある。
テレビ界にはもはや「大衆」は存在しないが、「選挙」ではまだまだマジョリティを形成しているからだ。だからこそ石原慎太郎森田健作橋下徹そのまんま東も丸山弁護士も当選してきた。紳助の金ではなく名誉や権力をもとめる性向も政治家向きだ。


紳助さん。もう一度「笑いと感動」のテレビの世界に戻ってきて下さい!

*1:品川の映画やロンブー敦のネット活動にイラっとし、松本の映画や爆問太田の文筆活動が評価されているのも、同様の構造があると思う

*2:「映画の取材」の方が理由としては大きいのだろうが