抜け忍と変身とヒーロー:『仮面ライダースカル メッセージforダブル』と『仮面ライダーW RETURNS 仮面ライダーエターナル』

前々回の続きのような続きでないような日記。
というわけで、出来の良さは認めるものの、主に「キャラの立て方がコミック・アニメ的」という理由から、自分はあんまり三条陸坂本浩一の組み合わせによる『W』が好きではなかったんだよね。
なんといえば良いのか。三条陸のキャラクター造形は脚本段階でほとんど完璧だ。何の不足もない。だが、脚本段階で不足がないということは役者の存在感や製作スタッフの努力で付け加えることがあまりない――過剰さがない、ということでもある。そして自分はその過剰さ、エクストリームさこそが平成ライダーの魅力だと思っていたのだな。

いや、コトはそう単純でもないんだよなあ。ナニ系とか関係なしに、人物も物語も、造形にノイズが足りないんだ。W。コミック的・アニメーション的な情報整理感覚から来る「過不足なさ」というのは、三条陸というライターの明らかな長所ではある、のだけれど。特撮ドラマとしてどうなのか。俺には、どうしてもあと一歩、物足りない。加えて役者の芝居が、コミック的なキャラクターの型――肩書き・コスチューム・口癖、といった記号によって定義される――にキッチリ嵌まり過ぎた物になってしまっている点。これは、むしろプロデューサー塚田英明の資質であろうという気がする。デカレンジャーマジレンジャーで見せたような。これもまた、佳作に仕上げるための妥当な方法論で、批判には値しない、のだけれど。やっぱり、どうしても予想の範疇を超える爆発を見せてはくれない。


そこで、たとえば白倉+トシキ作品のキャラクターをコミック的で荒唐無稽であると評することは容易だと思うのだけど、あれは実は違う。常に役者を想定して、役者に合わせてキャラクター像も物語も流動していく「実写ありき」の姿勢だ。『コミック的』に役者を嵌める塚田式ではなく、「生身の役者(もしくは特定の『この役者』)がやったら面白い『コミック的』はこれだ」である。そして、このスタイルは結果として幾つもの破綻を生みながらも面白かった。面白すぎた。このスタイルこそが平成ライダーだった、と、俺は思っている。調教されてしまったのだから仕方ない。

土日は巻きつく烏賊折神。 - 高遠るいの日記


……という、高遠るい先生の意見を引用すれば分かってもらえるだろうか。
先生との意見の相違点としては、自分は『デカレンジャー』や『マジレンジャー』では、それほどこのコミック・アニメ的キャラ問題を感じなかったので、プロデューサー塚田英明よりも脚本家三条陸のせいではないかと考えているところだ。三条陸の書く脚本は、キャラ造形以外の点――構成やギミックの使い方といった点でも完成度に優れているので、余計にそう感じてしまうのかもしれない。


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でも、『MOVIE大戦CORE』の一編として製作された『仮面ライダースカル メッセージforダブル』や、この前Vシネとして発売された『仮面ライダーW RETURNS 仮面ライダーエターナル』は傑作だった。「戦隊OBが大挙出演していて、こっちの方がよっぽどレジェンド戦隊映画だぜ!!」という理由以外でも面白かった。脚本家三条陸は特撮番組を一年やったことで、何かを掴んだのだと思う。



日本のヒーローは大別して二つに分けられる。神や仏のような存在と、抜け忍タイプだ。
「神や仏」タイプの代表がウルトラマンだろう。人間が持てない圧倒的な力を最初から持ち、空の彼方からやってきて、自然の驚異から人間を守護する。人間同士の争いに介入することは決してないし、その心中を察することはほとんど不可能だ。
「抜け忍」タイプの代表が仮面ライダーだ。組織や集団に盲目的に従っていた男が、真の自由や復讐や大文字の正義や近代的自我に目覚めたりして組織を抜け、ヒーローになる。ヒーローが秘める力は本質的に悪役と同じものだが、志と手段が違うので、最初は復讐や緊急避難やサバイバルといった小文字の正義でも、物語が進むに連れて大文字の「正義」となる*1


ちなみに、欧米圏でのヒーローは圧倒的に「キリスト」になる。スーパーマンダーティハリー、名無しのガンマン……彼らはキリストの現代的な隠喩だ。よくスーパーマンと比較されるバットマンですら『ダークナイト』のラストでは民の為にキリスト教的原罪を背負っていた。ジャンルの解体を狙った作品である筈の『キック・アス』や『スーパー!』でさえ、主人公はキリストだった。……が、『ウォンテッド』は完全に抜け忍ものだったので、驚いた。原作はアメコミだけど、後半の展開は映画オリジナルと聞くし、監督のベクシンスキーはロシア人なので、そのせいなのかもしれん。
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……日本のヒーローに話を戻すと、平成ライダーの脚本家やプロデューサーは皆ヒーローのヒーローたる所以に自覚的なので、絶対にここだけは外さない。三条陸もその例に漏れず、Wやアクセルやスカルはミュージアムからの「抜け忍」であり、エターナルはその上部組織である財団からの抜け忍だった。財団から受けた仕打ちと同じような仕打ちをプロスペクトから受けているエスパーたちに感情移入してヒーローになるのがVシネ版の『エターナル』であり、財団から受けた仕打ちへの復讐から悪役になるのが劇場版の『運命のガイアメモリ』になるだろう。根底にある感情は同じものであるにも関らず、その発露の仕方が違うわけだ。ここいら辺は「抜け忍」タイプのヒーロー――ダークヒーローの解釈として、三条の腕のみせどころだ。最後の翔太郎の台詞やTV版オープニングを引用したカット割りも上手い。



だが、自分が一番グッときたのは、抜け忍がヒーローになるきっかけだ。


仮面ライダースカルを演じた吉川晃司は産経新聞のインタビューでこう答えている。

ライダーを演じてみて、考えることが多かった。
「子供たちには『失敗なんか恐れるな』と言いたい。夢がすべて破れても、失敗や挫折で心に傷ができても、いつかはかさぶたができる。それが仮面だ。君の父さんも母さんも仮面ライダーなんだ
そして、大人たちには「開き直って生きよう。45歳だって変身できるんだぜ、と伝えたいね。


これはさ、『仮面ライダースカル』の話であると同時に、吉川晃司自身の話でもあるんだよな。



吉川晃司は80年代初頭にアイドルとしてデビューした。しかし、その後に来たのは作詞も作曲も自分で行うアーティストの時代だった。俳優業の封印、布袋とのCOMPLEXの結成と解散、障害事件や事務所設立、俳優業の復活……と、吉川はその芸能生活において幾度も変身を繰り返してきた。勿論、体重の増減も含めて。
つい最近も、事実婚の関係にあった女性と入籍するというニュースが報じられた。しかも、子供までいたという


出演にあたって吉川は「荘吉の『お前の罪を数えろ』という決め台詞はどうして生まれたのか」「荘吉はなぜ娘に会うことを避けていたのか」の2点を明確にしてほしいとスタッフに伝え、それが実際の作品に反映されたことを喜んでいる。

吉川晃司 - Wikipedia


今考えればこの要望は、吉川晃司のリアルライフに役柄を近づける為だったのだな。
「震災で家族の大切さに目覚めたから」などと嘯いているが、間違いない。吉川晃司は演じる役柄と自分の人生とを重ね合わせないと気がすまないタイプの役者だ。『レスラー』のミッキー・ロークや『ブラックスワン』のナタリー・ポートマンと同様で、そういった手続きが虚構でしかない映画を「真実」に変える。「生身の役者」が演じる面白さ、面白すぎさはそこにこそあるんじゃなかろうか。
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このような役者の「変身」と映画における役柄の「変身」の相互作用――役者の過剰さや存在感とアニメ的キャラ立てとの通じ合いは、比較的豪華な役者をキャスティングする映画版やVシネ版『W』の随所にみられたんじゃないかと思う。

たとえば須藤元気だ。Wikipediaによれば、須藤が『運命のガイアメモリ』や『エターナル』で演じた泉京水役は、もともと関西弁のオラオラ系キャラだったものを須藤の意向とアドリブであのようなキャラクターに変えたのだという
格闘家ながらもパフォーマンスに拘っていた須藤が俳優に転進、いや「変身」した結果、付け焼刃の演技力ではなく瞬発力に優れた過剰なアドリブで勝負するというのは頷ける話だ。だが、初めて演じた『運命のガイアメモリ』ではその通だったのだろうが、『エターナル』での泉京水役については、三上陸は絶対にアテ書きしてる筈だ。「私の方がおっぱい大きいわ!」という名台詞は役者と脚本家のそのようなやりとりの中で生まれたものだろう。


たとえば山本太郎山本太郎も非役者であるダンサーから役者への転向組なのだが、二十年以上に渡る役者業の結果、彼が身に付けたのは本物の演技力――虚構を真実にする力だ。『仮面ライダースカル』での山本太郎の演技は、ぶっちゃけ吉川晃司よりも上手い。しかもそれは小手先の演技力やアニメ的なキャラクターではなく、持たざるもの、弱きものの辛さや哀しさが山本太郎の肉体と繊細な演技力を通じて伝わってくる好演だった。だからこそ、その後の山本太郎原発関連での発言や活動――すなわち「変身」は腑に落ちた。


同じことが松岡充や春田純一にもいえると思うのだが、もう例を挙げなくても良いだろう。



変身するほど辛く苦しいことがあった人が、変身して、それを何かに役立てていく。
「抜け忍」がヒーローになるって、きっとそういうことなのだろう。

*1:ここが主人公の成長物語と結びつくと美しいのだが、「よくある話」にもなってしまう