これまでAVで抜いたことのない者だけが石を投げなさい:『トランスフォーマー/ロストエイジ』
大味でド派手なアクションとグルグル回るカメラとメリハリ無く格好良い映像を繋ぎまくり、プロダクト・プレイスメントで稼ぎまくる監督――マイケル・ベイはそんなふうにハリウッドの陳腐さを代表するような監督と思われてきた。いや、思われている、今現在も。
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だが、『トランスフォーマー』シリーズ*1に関する限り、そのような批判は的外れだ。意外に思われるかもしれないが、マイケル・ベイは繊細に、時に大胆すぎるほど大胆に、ベタとメタを重ねて「トランスフォーマーと人類」という物語を紡いでいるのだ。
実写版『トランスフォーマー』シリーズはもはやマイケル・ベイの代表作になってしまった。だが、当初スピルバーグからの監督オファーを「ジャリ向け玩具の映画化なんてカンベンしてくれよ」と、一度は固辞したというエピソードは有名だ。
その後、「初めて自分の車をゲットして大人への通過儀礼を経た気持ちになった<少年の成長物語>としてならイケるかもしれん。オレの大好き&大得意なカーアクション描写とも両立できるしー」と考えを変え、監督を務めることになる。
『トランスフォーマー』『リベンジ』『ダークサイド・ムーン』の初期三部作は、このコンセプトに愚直なまでに則っている。すなわち、<童貞の成長物語>だ。
未だ何者でもないがどこにでもいる童貞、そんな主人公がクルマ……の形をしたトランスフォーマーと出会い、それがきっかけでゴージャス&ビッチな彼女をゲットし、九死に一生を得る通過儀礼をハイスクール・大学・新入社員時代と何度も繰り返しつつ成長し、悪いオトナを倒して世界を救い、英雄として故郷、というか両親の待つ家に帰還する――つまり、初期三部作は童貞を主人公とした『ロード・オブ・ザ・リング』であり、童貞なら誰しも憧れる黄金ストーリーなのだ。
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初期三部作では、いかにも童貞くさく早口でしゃべる主人公サムをシャイア・ラブーフが好演した。サムは童貞という点でおれ達の分身だった。トランスフォーマーで遊んでいた童貞だった頃のおれ達が、トランスフォーマーと出会ったおかげで大人になり、世界を救うのだ。
それでは四作目『ロストエイジ』でマーク・ウォルバーグが演じるの主人公ケイドはどのようなキャラクターだろうか。同じくおれ達の分身だ。サムが童貞だったころ――昔のおれ達なら、ド田舎テキサスで貧乏暮らしをし、娘から全くレスペクトされない駄目オヤジであるケイドは、現在のおれ達の分身だ。
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思い返せばマーク・ウォルバーグは駄目人間だった。アイドルとして活躍している兄の影で酒とドラッグ漬けの毎日を送り、チンコがデカいだけでポルノ男優になり、恋人そっちのけで大麻を吸いながらぬいぐるみの熊とダラダラDVDを観ながら生活し、三十路を越えても大人になりきれない男であった。
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ただ、『テッド』で違和感があったのは、1985年の回想シーン――子供の頃のマーク・ウォルバーグは『フラッシュ・ゴードン』の大ファンだったというシーンだ。何故『フラッシュ・ゴードン』? 1985年にアメリカで小学生だったなら、『トランスフォーマー』や『2010』にハマっていたに決まってんだろ!
……というわけで、『トランスフォーマー/ロストエイジ』の主人公にマーク・ウォルバーグはピッタリだ。マーク・ウォルバーグは古い映画館でボロボロになったトランスフォーマーを発見する。映画館の中で「最近の映画は過去作のリメイクや続編ばかり」などとボヤく。これは映画の中の話なのだ。
だから、マーク・ウォルバーグが自称発明家にも関わらず何故かムキムキで、エイリアンの武器もすぐに使えこなせて、アクションスター並に動けるのも伊達ではない。当初、チンコがデカいジャンキーでしかなかったマーク・ウォルバーグは筋肉アクションスターを意識的に演じることでハリウッドスターとなった。そしておれ達は、筋肉アクションスターが脇汗をかきながらエイリアンを銃で撃つような映画を何本も観てきた。これは映画の中の話なのだ!
もっと直裁に言ってしまえば、本作のテーマは「大人と子供」あるいは「オトナがトランスフォーマーで遊ぶこと」だ。
映画の冒頭、通報を受けて発見されたトランスフォーマーが銃撃を受け、残酷に殺される。想像してみて欲しい。電車の中や公民館といった公共の場所で、いい年こいた身体の大きなオトナがトランスフォーマーの玩具で遊んでいたら、どうするか? 多くの者はちょっと距離をとるだろう。中には通報する者もいるかもしれない。日本で銃の所持が許されていたら、銃撃するものもいるかもしれない。
マーク・ウォルバーグ演じる主人公は映画館から引き取ってきたトレーラーを研究所の名前のついたガレージ――秘密基地で修理する。必要以上にエロい格好をした娘はそれをキモーイとばかりに見守る。当然だ。いい年こいたオトナがトランスフォーマーの玩具をイジっていたら、たとえ自身の娘であってもキモーイと言われて当然なのだから。
今回、オプティマス司令官の基に集うオートボット4人は、全員が子供のような性格だ。バンブルビーは自身をモデルにしたスティンガーにムカつき、クロスヘアーズは生意気なクチを叩く。ドリフトは「暴力は最後の手段だ」と言った直後に暴れ、ハウンドは弾丸を葉巻のように咥える厨二病オヤジだ。そして、原典であるアニメ版通り、司令官の説教はいまひとつピンとこない。彼らが身体は成人でも心が子供であるマーク・ウォルバーグたちと組み、人間もトランスフォーマーも品の無い台詞を吐くのは当然の展開だ。
彼らの敵は「大人」だ。ロックダウンは「オートボットもディセプティコンもまるで子供のようだ」と呟く。悪役の人間達は全員スーツを着ている。明らかにスティーブ・ジョブズをモデル*2にしたスタンリー・トゥッチでさえ、黒のタートルネックではなくスーツを着ている。そして、味方(のコメディリリーフ)になるとネクタイを取るのだ。
そんなわけで、本作『ロストエイジ』がメタシーンから始まり、子供のようにとっちらかったアクションシーンがこれまで以上に連続していくのは伊達ではない。先日のゴジラが常に夜中に戦っていたのと比べて、太陽がさんさんと降り注ぐ街中で恐竜ロボットとカンフーロボットが戦い、マーク・ウォルバーグがヤマカシをきめ、人間もロボットもクドいギャグをカマす。プロダクト・プレイスメントやキャラクターが残酷に死ぬシーンはすべからくギャグとして処理される。最低限の人間ドラマと凝りに凝ったアクションシーンが三部構造を無視して連続する。普通の映画なら第三部のクライマックスにあたるアクションシーンが延々と引き伸ばされるさまは、まるで女優がイクシーンが延々と引き伸ばされるAVのようだ。
だが、それも当然だ。おれ達が本当の子供の頃、「女は敵」だった。だが、心は子供のままでも身体が成長したオトナになった今、AVを観たくないわけがない。本作に石を投げられるのは、AVを観たことがない者だけだ。
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一つ残念なのは、アニメ版では愛されキャラだったグリムロックを初めとするダイノボット達に人格が無いことだ。エロい女優に*3人格が無いのは我慢できるが、グリムロックに人格が無いのは勿体無い。「この橋を封鎖する!」みたいなカットはちょう格好よかった*4。中国に行く直前くらいに仲間になって、ニ作目のジェットファイアくらいの存在感を保ちつつ、最終バトルにも参加するみたいな感じにしてほしかったところだ。
しかしこれも、子供みたいなオートボットよりも子供であり、赤ちゃんのような無垢さと暴力性を備えている――みたいな意図が込められているのかもしれない……深読みすれば。