進撃の童貞:実写版『進撃の巨人』

「最近、ニコ生の宣伝ばっかりじゃん!」というお声を頂いたので、心を入れ替えて久しぶりに映画感想なぞ書こうかと思う。


実写版『進撃の巨人』を観賞したのだが、ちょう面白かった。
ネットのあちこちで炎上しており、辛辣なコメント*1ばかり目にするので、あまり期待せずに観に行ったのだが、これは日本映画史、少なくとも特撮映画史に一つのエポックとして残る映画なのではないかと思ったよ。


進撃の巨人(17) (講談社コミックス)
諫山 創
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原作漫画がちょう面白いので、単にダイジェストにしてもそれなりの映画になる*2と思うのだが、すげーと思ったのは原作を改変してきたことだ。それも、単なる改変ではない。なんと主人公が「童貞」なのだ!


や、勿論原作の主人公であるエレンも童貞であろう*3。ただ、原作のエレンは15歳で、周囲の人間も童貞ばかりだ。更に、ヒロインであるミカサは子供の頃に命を救われたという理由でエレンにベタ惚れしている。童貞を捨てようと思えばいつでも捨てられるのだ。


一方、実写版のエレンは20代、童貞だと周囲にバレたら厳しめの年齢だ。
この実写版エレン、初登場シーンがなかなか気が利いている。不発弾の上で腕組みし、世界(ここで始めて壁がみえる)を睥睨するのだ。当然、「海賊王に俺はなる!」みたいなことも口走る。この不発弾は、漫画版とは世界観が若干違うことを示唆すると同時に、何かやりたい――爆発させたいことがあるのだけれども、まだ何もやれないし、そもそもその何かが何なのかもイマイチはっきりしないし、具体的にどうすれば良いのか分からない心境を表しているわけだ。つまり、口だけの童貞だ。その後、ミカサ*4に惚れていることをピエール滝に指摘され、怒ったりもする。


で、色々あって二年後、エレンは死んでいたとばかり思っていたミカサと再会するのだが、なんと彼女は一時期の及川光博みたいなトゥーマッチな演技をする長谷川博己の右腕にして恋人になっていたのだ!


自分のミスで部隊をピンチに陥れたばかりか、かつて守れなかった女に命を救われ、男としての面目は丸つぶれ。更に、男としても兵士としても明らかに格上な長谷川博己演じるシキシマは、確実にミカサとセックスしている!(これを直接的な台詞無し、林檎を食べるさまだけで表現する演出が上手い)そして、おれは童貞だ!! ギャーーー!!
あまりのショックでフラフラになりながら自分のねぐらに戻ると、何故か水崎綾女が迫ってきた。そういえばさっきピンチになったのはこの女が「赤ちゃんの声がする」と勝手な行動をしたせいだ。でも、昔のミカサも赤ちゃんを助けに行って、それで死にかけたんだよな。そういえば、この女はシングルマザーだった。
おい、本当に迫ってくるぞ。あっちじゃ壇蜜そっくりな武田梨奈とその相方――「バカ夫婦」がおっぱじめやがった。ここでエッチしても大丈夫なのか? 大丈夫なんだろうな。
……そうだな、手の届かない存在になっちまったミカサなんてもうどうでも良いじゃないか。しかもシングルマザーのお姉さんだったら、童貞だとバレてもそんなに馬鹿にされないよな。よし、とりあええずここで童貞を捨てておこう……と思ったら、ギャーーー!!


……みたいなシーンがあるわけだよ!! もうニヤニヤしっぱなし!!! そして、脚本の出来の良さに唸ったね!


劇映画がとる基本的な物語構造として「主人公の成長を描く」というものがある。映画の序盤では子供だったり若者だったり未熟だったりする主人公が、長い旅に出たり恋に落ちたりフられたり軍隊に入ったり人を殺したり救ったりといった経験や選択や通過儀礼を通して、映画の終盤では見違えるほどに成長する、といったものだ。つまり、それまで狭い世界しか知らなかった「少年」や「青年」が、恋を知り、己を知り、世界の広さを知り、「大人」になるという、ビルドゥングスロマンだ。
ビルドゥングスロマンは「少年」や「青年」は恋を知らず、己も知らず、世界の広さも知らない地点から物語が始まる――そのスタート地点は「童貞」だ。これは必ずしも性交未経験の状態を意味しなかった……が、文字通り童貞がスタート地点の映画もある。分かりやすい例でいうと、『スーパーバッド 童貞ウォーズ』や『ボーイズ・オン・ザ・ラン』を思い出して欲しい。
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更に、注目したいのは「倒すべき父親」であると同時に導き手でもある長谷川博己が主人公に投げつける「とべ」という台詞だ。これは明らかにleap of faithだ。どんなに努力し、準備し、考え抜いたとしても、理屈抜きで思い切って行動しなくてはならない時が人生にはある。leap of faithはキリスト教文化圏の言葉だが、行動しなければ「大人」になれないのはどの文化圏でも共通している
これは脚本の町山智浩が著作やポッドキャストにて、様々な映画を例に挙げつつ言っていたことなのだが、きっちりと本作に活かされていることにニヤついてしまった。
映画は父を殺すためにある―通過儀礼という見方 (ちくま文庫)
島田 裕巳
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以下ネタバレ。



実写版『進撃の巨人』では、立体起動装置で巨人を倒すべく「とぶ」かどうかが一つの象徴的なシーンとなる。ここで、いつまでも躊躇しているジャンと、もがき苦しんだ挙句に決断するエレンとが、対比として描かれるのだ*5
映画の冒頭、エレンは安全(と思える)避難場所から無理やり抜け出し、ミカサを救う決断ができなかった。だが、さすがにクライマックスでは違う。様々な喪失を経て成長し、シキシマの言葉に発奮し、リスクを受け入れ立体起動装置を使って「とぶ」ことができるのだ。これぞleap of faithだ。


結局エレンは失敗するのだが、ここでleap of faithをしたかどうかが重要だ。原作を読んだ人間ならエレンが巨人になる展開を予想したであろうが、実写版ではエレンに謎の薬を注射する父親は描かれなかった。一見、エレンは伏線ゼロで巨人になったかのようにみえる。でも違うのだ。エレンは童貞だったけれども色々ともがき苦しみ、決断すべき時に決断できたからこそ、(物語の構造上)巨人になれたのだ。


で、実写版『進撃の巨人』は、童貞が色々ともがき苦しみ成長する、シンプルで力強いビルドゥングスロマンとして考えると、とても良くできていると思う。
つまり、エレンが変身した巨人の怒りは童貞の怒りだ。進撃の童貞だ。おれもエスケイプ様で童貞捨てたいよ!



もう一つ、どうしても賞賛してしまうのが、巨人の描写だ。
オオトカゲやグリーンイグアナに角やらヒレやらをつけてジオラマに放り込み、クローズアップで「恐竜」として撮影するとか、特撮セットに生きたタコを投げ入れ「大ダコ」とし、下から半田ごてでつついて暴れさせるとか*6、違和感を通り越して変なエロささえ感じる「巨大フジ隊員」とか……『フランケンシュタイン対地底怪獣』以外にも、「思い切って実物を使う」という流れが特撮界にはあった。
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本作における巨人の描写は、違和感たっぷりだった昔の特撮技術を、CGIやらデジタルエフェクトやらでアップ・トゥ・デートしたものなのだが、違和感とリアルさのギリギリのせめぎ合いが凄い。
なにが凄いって、巨人を演じる役者のキャスティングだ。たるんだ腹、うつろな眼、呆けたような口元……原作漫画から受けるイメージの完全再現だ。
巨人の中に、どこかで見覚えある顔を散見するなあと思っていたら、エンディングロールでひっくり返った。デモ田中、井口昇、笹野鈴々音……特殊人間のオールスターキャストだ! 武田梨奈水崎綾女があんまりアクションしないのに対し、屋敷紘子演じる巨人は動きまくり!*7
特に、デモ田中が人間を適当にひっつかんで食べるさまには、井口昇映画で彼が演じるキャラクターの適当さを連想せずにはいられなかった。これは特撮の歴史に確実に残るであろうエポックメイキングな事態だ。
後編では、どうも何かを知っているらしいピエール瀧が巨人化し、『凶悪』でみせた見事なぽっこり腹をみせてくれることを期待したい。


その他「想定外」とか特定秘密ならぬ「特定知識」とかいった言葉の使い方も興味深い。壁の外は爆弾云々とかいっていたので、もしかすると放射能が渦巻く世界なのかもしれない。ここら辺に日本人キャストで、日本を舞台と設定して映画を作る意味があるのだろう。ここら辺は後編までのお楽しみだ。
ていうか、普通に考えれば、最後「ここは未来の日本でしたー」「みんな、暴走するテクノロジーや権力に注意しようね!」みたいな落しどころにするのが常道だと思うのだが、どうだろうか。まぁ、ハズれてたら笑ってくれ。

*1:実写化失敗作として『デビルマン』や『ガッチャマン』と並べる評まであった!

*2:寄生獣』みたく

*3:今後、実はミカサとセックスしてました的な回想が描かれるかもしれないが

*4:水原希子の不自然なキャピキャピ演技が凄い!

*5:その後、結局立体起動を使ったジャンを描くことで、フォローしているのも上手い、後編もあるしね

*6:最後はスタッフで美味しく頂きましたという逸話が味わい深い

*7:最近、ある程度のアクションがある邦画だと、絶対屋敷紘子が出ているような気がする