今こそ読みたい『がらくた屋まん太』最終回

いかなる困難に出会おうとも、自己を直視すること以外に道はない。
 いかに悲しみの涙の淵に沈もうとも、それを直視することの他に我々にすべはない。
 海を見つめ。大海に出よ。嵐にたけり狂っていても海に出よ。
 真っ正直に生きよ。くそまじめな男になれ。一途な男になれ。貧しさを恐れるな。男たちよ。船出の時が来たのだ。思い出に沈殿するな。未来に向かえ。別れのカウントダウンが始まった。忘れようとしても忘れえぬであろう大震災の時のこの卒業の時を忘れるな。
(中略)
惨状を目の当たりにして、私は思う。自然とは何か。自然との共存とは何か。文明の進歩とは何か。原子力発電所の事故には、科学の進歩とは、何かを痛烈に思う。

卒業式を中止した立教新座高校3年生諸君へ。(校長メッセージ) | 立教新座中学校・高等学校


もういくら停電しても良いし、いくらスーパーからモノが無くなっても構わない。だから、とりあえず福島原発なんとかしてくれ! と叫ばずにはいられない昨今、皆様いかがお過ごしだろうか。


福島第一原発には、ようやくというべきかなんというか、資材や人員が結集されつつあるようだ。


東京電力女子社員が実名で国民にコメント「彼氏は今も発電所で夜勤を続けてる」 | ガジェット通信 GetNews


http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2011031600093


http://www.sponichi.co.jp/society/news/2011/03/17/kiji/K20110317000447040.html


原発作業員に海外からエール 「50人のヒーローを称えよう」 : J-CASTニュース


で、こういうのを読むと、自分は『がらくた屋まん太』の最終回を思い出してしまうんだよね。

がらくた屋まん太 1~最新巻(アスキーコミックス) [マーケットプレイス コミックセット]
能田 達規
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『がらくた屋まん太』は90年代前半にコミックアスキーというコミックビームの前身となる雑誌にて連載されていたマンガだ。

パワードスーツからアイスまで扱うジャンクショップ「我楽太屋」主人にしてスーパー技術者な大福まん太(中学生)が様々な事件に巻き込まれたり、巻き起こしたりするドタバタSFコメディーなのだが、最終回は超シリアスな話だった。
同じ作者がこの後チャンピオンで連載する『おまかせ!ピース電気店』の原型のようなマンガなのだが、『おまピー』が家族愛をテーマの一つにしていたのに対して、『まん太』では理系独身男性の生活っぷりみたいな描写が沢山あって、こっちの方が好きだったなぁ。



で、最終回はどんな話かというと、下記のような感じ。



ある日、まん太の幼馴染にしてガールフレンドである吉田花子は我楽太屋の掃除中にデータディスクを見つける、そこにはドロドロに溶けた男がまん太に呼びかける映像が映っていた。
「ま…花子も近い将来我楽太屋の一員になるんだし、そろそろ話しておいた方がいいのかもしれんな……」と、花子の祖父にして先代から我楽太屋を影で支える凄腕エンジニア「吉田のじじい」こと吉田太郎は、今は亡きまん太の両親の話を語るのだった。
それはまん太がまだ幼い頃のエピソードだった。


ある日、大手電気会社からの修理の仕事の依頼を受けるまん太の父と母。なんだか色々とおかしいのだが、他の同業者と共に電気会社が用意したバスに乗り込むと、そこは事故を起こした原子力発電所だった。

関連会社(下請け)として、放射線量の高い原発屋内での危険な修理作業を依頼されるまん太の両親。背後には銃を持った職員が控えているので、ほとんど強制だ。
「我楽太屋は原発相手に商売はしていない!」と拒否するまん太の父。だが、電気会社の社員の説明を聞き驚く。
「こないだの補修点検のさいにキミんとこのジェットポンプのバルブを再循環器系の一部として採用した
製品ナンバーKL-2453AF 知らないとは言わせない!!」
なんと自分の知らないところで我楽太屋が作った部品が原発に使われていたのだ。
「キミも立派な関係者だよ」



逃げるチャンスは沢山あった。少なくとも妻だけでも逃がすべきだった。そう謝罪する父。しかし、まん太の母は言う。
「私が逃げればまん太を…我楽太屋を危険にさらすことになる…
…それに私たちが逃げたとしても誰かがかわりをしなければいけない これでよかったのよ」



しばし時間が経過した後、我楽太屋に映像通信が届く。作業を終えたものの大量の放射線を浴び、死を覚悟したまん太の父からのメッセージだった。



「泣くなまん太!!
泣かずにオレの話を聞け!!
もしお前が我楽太屋のあとを継ぐんだったら……
自分で作ったモンの責任は取れ!!
店で売ったモンには責任と持つんだ…
オレのようになるんじゃ…ないぞ……」


回想が終わり、現在。
花子の妹、満子が我楽太屋にアイスを買いにやってくる。
「ねぇ みっちゃん アイス…おいしいかい?」そう問いかけるまん太。
「ウン! おいしいよ」満面の笑みで応えるみっちゃん。
「そう…… そりゃよかった」



自分は、確か大学生の時にこのエピソードを読んだのだが、本当にショックだった。普段は現代版キテレツ大百科みたいなコメディをやっているマンガが、いきなり現実に斬り込んできて、自分も斬られたような感じと書けば分かって貰えるだろうか。
と同時に、ものづくりというものの本質の一端が垣間見えた。作者の能田達規は工学部出身で、大学の研究室ライフが『まん太』や『おまピー』に活かされたと今は亡きSFオンラインのインタビューにて語っていたが、本当にそうだと思う。自分は理系の、それも生物系の大学に通っていて、医療系の会社に勤めたのだが、「作ったモンには責任持てよ」という言葉は今でも強く記憶している。自分の作ったものや自分がやったことに責任を持つということ、それも単なる会社員や組織の一員としてではなく、その前段階である一回の職人や技術屋や研究者として責任を持つということの大切さというものに触れた気がしたのだ。


で、今福島第一原発で行なわれていることって、この最終回みたいなことだと思うんだよな。


日本の原発技術は世界でもトップレベルらしい。多分その通りだろう。でも、高い技術を持っていることと、それを上手く運用できることとは、全く別の問題だ。テクノロジーとそのマネジメントは全く違う。


多分、ことが一段落した後、日本での新たな原子力発電所建設はほとんど不可能になるのではなかろうか。東京電力天文学的レベルの訴訟を抱えるだろうし、役員は刑事的責任も問われるかもしれない。
でも、原発が生み出す電気に頼っていたのは、事実なんだよな。電気会社がつく甘い嘘に乗っかり、原発が生み出す安い電力を利用し、原発が本質的に抱えるリスクに目を瞑り。原発に建設許可を与える政治家を選んできたのも自分たちなんだよな。
しかし今後、50年や100年に一度、こういう想定を超えた自然災害による事故が起こるリスクを許容して、原発を建てられるのか。まず絶対に国民はそれを受け入れないだろう。東京電力の隠蔽体質が払拭され、原発の安全性とリスクがきちんと数値で開示され、国民全員が物理学博士レベルの教育を受け、40年前と比べて進歩した技術で建設された原発の安全性を理解できるようになれば別かもしれないが、そんなこと不可能だろう。


そういうことを考えると、全然眠れなくなってくる。
とりあえず現状プラス火力水力太陽光発電所増設で急場を凌ぎつつ、数十年かけて新エネルギーとか、新型電池とかを実用化させて、脱原発を目指すってのが現実的なところになるのだろうか。
マグネシウム文明論 (PHP新書)
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脱「ひとり勝ち」文明論
清水 浩
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一段落したら、我が家に太陽光発電でも導入しようかなぁ。

2011年8月18日追記

その後、『がらくた屋まん太』はJコミでネット公開された