フィクションと現実との距離:『ヒミズ』

園子温による映画『ヒミズ』を鑑賞したのだが、ちょっとがっかりしてしまった。うーん。なんだか自分にとっては『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』みたいだなと思った。昔、自分だけがその魅力を理解していて、自分だけが好きだった女の子が、万人受けするオトナの女になって帰ってきた、でも、自分が魅かれていた不恰好さや、ちょっとどうかと思う幼さや、ぞくぞくするようなとんがり具合は、もはや失われていた……思わずそんな喩え話をしてしまうような映画だった。


東日本大震災をテーマの一つとして入れ込んだのは、全然OKだと思うんだよ。『ヒミズ』は主人公住田にとっての「未来」がテーマのお話だから。


ヒミズ 1 (ヤンマガKC)
古谷 実
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――世の中は不公平だ。生まれた時から金持ちは金持ちだし、中流家庭は中流だし、貧乏な家は貧乏だ。才能がある奴にはあるし、普通な奴は普通だし、無い奴には
ない。現実は圧倒的に不平等で、冷たくて、むき出しの暴力と差別に溢れていて、未来は閉塞している……原作はそんな世界観をストイックに、あくまで主人公
である住田の目線で、住田のリアリティで描写していて、そこが魅力だった。


だから今、「未来」や「閉塞」を語る際に、311――すなわち震災や原発についても語るというのは、かなり真っ当だと思う。
ここ鈴木謙介ことCharileのいうように、原作では自意識の問題として扱われていたものが、映画版では社会問題になってしまった。けれど、山口ニ也や永山則夫の時代から、社会問題と自意識は密接に繋がっているわけで、ここは納得できる改変だったんだよね。その結果として、ラストの改変も納得できる。このテーマを入れ込んだ以上、社会と繋がっているクリエーターとして、ラストが原作のままではいられないってのは理解できるのだ。
勿論、何故「分かりやすい悪」である東電に殴りこまないのかという疑問はあるし、話としてはそっちの方が面白いし、そこまでいくと『ヒミズ』を原作とする意味が無くなってしまうのだけれども、多分園子温のなかでは原作ありきの企画だったのだろう。



じゃ、自分が映画版の何が嫌だったかっていうと、なんだか園子温による不必要なまでに暖かいお膳立ての下に物語が進んでいく感じが気に入らなかったのだな。


一番良い例がホームレスの扱いだ。原作では主人公の同級生だった夜野は、映画版では心優しきホームレスとして登場する。演じるのは『冷たい熱帯魚』で一癖も二癖もある弁護士を演じた渡辺哲だ。加えて、ほとんど同じ立ち位置で諏訪太朗吹越満神楽坂恵も主人公を見守るホームレスとして登場する。いずれも園子温の過去作で強烈な役柄を演じた俳優だ。ご丁寧に吹越と神楽坂は夫婦であったりする。園子温の過去作に起用されてない川屋せっちんは、新参者のホームレスとして紹介される念の入れられようだ。


更に、監督の実父との関係が反映されたと思しき『ちゃんと伝える』にも出演し、ヒット作となった『冷たい熱帯魚』にて当たり役を演じたでんでんも登場する。役柄は、主人公を気遣うやくざの親分だ。原作でも主人公を気遣う闇金社員が登場した。映画版で彼に相当するキャストは村上淳演じる親分のボディーガードなのだが、住田を気遣う役どころがわざわざでんでんに変更されているのだ。


何故か。答えは簡単だ。彼ら園子温作品常連役者は、いわば園にとってファミリーとでも呼ぶべき存在だ*1。つまり、映画における監督の代理人だ。
彼や彼女が主人公を見守る。やくざに金を渡して主人公を助ける。決定的なターニングポイントでは、分かりやすくテントの中で怯える。彼らがいるおかげで、世はすべてこともなし。小学生は魚を殺さず、ボート小屋は悪戯で破壊されない。住田に刺されたヤンキーが仕返しすることはない。


性描写が全く無いのも気に入らなかった。ホームレスや知的障害者にピュアな役回りを与えてしまうのが物語の一般的作法であるのと相似するかのように、「子供」にピュアを期待するのはオトナだけだ。古谷実はオトナではなかった。一見、まともな大人に見えたホームレスが茶沢さんをレイプする。にも関わらず、茶沢さんは高潔さを失わない。そして、そんな茶沢さんですら主人公の救いにならないところが魅力だったのに、ホームレスも茶沢さんも主人公の救いになってしまう映画版のなんと安易なことか。


これがあのラストに重なると、いくらポスト311がテーマの一つとはいえ、あまりの出来すぎっぷりが気に食わなくなってくるのだな。あんなに「頑張って」とか「負けないで」とか連呼しなくてもいいじゃないか。結局、最初に反抗してみせた中学教師の通り一遍の言葉とそう変わらないじゃないか。厳しくて不平等で閉塞していた筈の世界が、監督という神に遣わされた常連役者という天使の手で生温かく改変され、セーフティネットが張られたかのように自分の目には映った。ここまで人間関係に恵まれ、自分の味方になってくれる人間がいっぱいいる環境にいる中学生が、果たして「普通じゃなさ」に絶望するのか、と。主演二人を含めたキャストの演技が良いだけに、そういうことがいっそう残念に思った。


……やっぱり、これは観る側の問題なのかもな。
311直後は確かにこういうピュアで元気の出る物語を求めていた。でも311でもそんなに変わらない日本に住んでいる自分たちが求めているのは、それこそ園子温の前作前々作であるところの『恋の罪』や『冷たい熱帯魚』みたく、もっと捻くれた話なんじゃなかろうか。
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つまり、こういうことなんだろう。フクシマに縁も所縁もない自分は、あれだけの地震原発事故もショックじゃなかった。あれだけの地震原発事故が起こっても、たいして変わらない日本社会が嫌だったのだ。途中、飲み屋のシーンなんかでちょっとだけそういう描写あったけど、そこをスタート地点とすべきだったんじゃなかろうか。
念のために書いておくと、飲み屋のシーンから始めろという意味じゃないよ。

*1:神楽坂恵に至っては園の妻だ