乳首とジャンプシステム:『バクマン。』

ニコ生で話したらそこそこウケた話を書きますよ。


映画『バクマン。』観賞。実に面白かった。ここ十年というもの、数々の漫画が実写映画化されてきたが、その中でも一、二を争う傑作なのではなかろうか。


なにが良くできているかって、まず脚本が良くできている。
週間連載故に、寄り道や蛇足も多い原作*1から、高校生がいっぱしの漫画化としてジャンプ連載クビ切り競争地獄*2に参戦する――『バクマン。』という作品にとっての本質のみを抜き出し、その他の要素を思い切って刈り込んできっちり三幕構成の脚本にし立て、そのまま映画化した手腕が凄い。


や、「三幕構成の脚本なんて映画人なら当たり前なんじゃないの?」と思われる方もいるかもしれないが、近々の漫画を原作とした実写映画を思い浮かべて欲しい。たとえば『進撃の巨人』だ。前後編に分けられた結果、無残な後編を公開することになってしまった『進撃の巨人』と比べると、脚本と監督を兼任し、スタジオとの交渉で譲れないところはなんとしてでも譲らなかったであろう大根仁の凄さが分かる。
そのままの描写ではどうしても地味なシーンの連続になってしまう「漫画を描く」シーンは、プロジェクションマッピングやCGで映像的見せ場に仕立て上げる。漫画家の執筆現場や編集部の雑然っぷりや、凝りに凝ったエンディングロールといった美術面も抜かりがない。「おれの恋人はまんがや」や「毒蛇は急がない」やキャベツ炒めにチューダー等々、「『まんが道』をリスペクトした小ネタの数々も小気味良い。

進撃の巨人』と同じように原作から改変した点は多々あるのだが、やっぱり、映画として面白かったら、多少原作と違っても文句言うやつはいないんだな。
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結末も良い。基本的には原作通りなのだが、どこにフィーチャーするかが的確だ。
中盤、主人公二人にとって「何をどうすれば勝利なのか」が設定される。つまり「どちらが早くアンケートで1位をとるか」なのだが、ここでライバルである新妻エイジは「いいでしょう」と受け入れるものの、鼻で笑い、半分馬鹿にした態度をとる。新妻エイジは、なにをどうすれば「漫画家にとっての勝利であるか」知っているのだ。
「漫画家にとっての勝利」――それは、どれだけ多くの漫画を書き、どれだけ多くの作品を読者に届けられるかだ。リリー・フランキー演じる編集長がベッドの横で告げる科白は圧倒的に正しい。新妻エイジがただ描いて描いて描きまくるのは、描きまくっても身体を壊さない「天才」であるからだ。そして、アンケート1位は過程であって、結果ではない、ということを映画が始まる前から知っている。だから、新妻エイジ佐藤健演じるサイコーが無理を続けて身体を壊し、ボロボロになりながらも描き続ける現場に、笑いながらやってくる。サイコーたちを嗤うためだ。
ここでの新妻エイジは完全に悪役であるし、無理を続けてアンケート1位を獲った二人は勝利者である――かののようにみえる。しかし、実のところ彼らは負けている、それをラストでさわやかに、かつしっかりと示す脚本は流石だ。
そういえば、原作漫画が連載されていた時、「主人公たちは結局ジャンプというシステムに取り込まれているだけなのでは?」という批判があった。ジャンプ連載クビ切り競争地獄での勝利――ジャンプシステムでの勝利は、漫画家として勝利するために通過する過程であって、目標ではない。この映画版は結末において、そのことをきっちりと打ち出しているのだ。
勝ったようにみえて、実は負けている結末――人生の苦さとエンターテイメントの両立――なんだか、ちょっとバーホーベン映画を連想してしまったりもした。
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また、キャスティングも良い。
佐藤健神木隆之介染谷将太新井浩文山田孝之……全員、主役を張れる役者だ。一方で、皆川猿時宮藤官九郎リリー・フランキーといった、演技力だけでは出せないサムシングを持つ役者も脇に配する。そして、完全に漫画に寄せた小松菜奈まで起用するという念の入れようだ。これまた、絶叫演技が連続した『進撃の巨人』と比較してしまう。
そもそも原作漫画である『バクマン。』が、漫画家のリアルを描く漫画家漫画として違和感たっぷりだった。高校生が通学しながらアシスタントをつけずに週間連載するなんて時間的能力的にありえないし、「ジャンプ」編集部もあんなに善人ばかりではないだろう。おじさんの遺産を引き継ぐという形で仕事場をゼロ円でゲットする展開もご都合主義だ*3
この違和感は映画版にもある筈なのだが、それほど気にならない。何故なら、まず佐藤健神木隆之介が高校生を演じるという時点で違和感たっぷりだからだ。佐藤健は26歳、神木隆之介は22歳、とても高校生にはみえない年齢だ。しかし、男子高校生を主人公とした映画で、実際に15〜18歳の役者が主演を務めることは、むしろ珍しい。映画という虚構空間では、若干大人びた役者が高校生を演じる方が主流だ。つまり、目の前のリアルである現実と虚構である映画とでは、リアリティを感じる基準が若干異なるのだ。
これが『バクマン。』ではもの凄く効果的に働く。佐藤健神木隆之介が高校生である、という違和感を一旦受け入れると、漫画家を題材とした映画であるという違和感が気にならなくなる、という効果がおまけとしてくっついてくるのだ。観客の大半は過去に高校生だったが、漫画ではない。高校生としてのリアルは知っていても、漫画家としてのリアルに明るいわけではないことも、効果を倍増させている。一方で、我々が生きている現実にもの凄く近いシーン――工事現場で働く作業員が休憩中に「ジャンプ」を読んだり、塾帰りの子供たちが古本屋の見切り品の漫画を座り込んで読んでいたり――といった、ちょっとドキリとするシーンも挟みこむ。このリアルと、佐藤健神木隆之介が高校生であるリアルの間に本質が存在する、というわけだ。上手い。
おそらく、「週間少年ジャンプ」どころか、日本における週間漫画誌での苛烈な競争を全く知らない外国人でも、この映画を観ればクリエイションやものづくりにおける愉しみと苦しみがしっかり伝わるのではなかろうか。これは、理解するのに一定のリテラシーが必要な原作漫画ではなかなか難しかったことだ。


ただ、なによりも自分がびっくりしたのは、佐藤健演じるサイコーがヒロインのイラストを描くも、途中で辞めるシーンだ。
三幕構成では、中盤で主人公が「勝利」するもそれはみせかけに過ぎず、徹底的に「負ける」シーンが必要だ。その前後で、主人公は悩み、もがく。
本作でも、サイコーが悩み、しばし現実逃避しようと、ヒロインである小豆のイラストを描くというシーンがある。だがここで、イラストを描いている途中で、サイコーは何故かペンを止めるのだ。
ちょうど小豆の胸を描いている途中だ。DVDが発売されたらよく確認して欲しい。これは……そうこれは、乳首を描こうとして、思いとどまっているのだ! なんたる描写! なんたる演出! 自分はここで、本作が傑作であると確信した!!


このシーンの意味を理解するためには、以下の二点に注意しなくてはならない。

  • サイコーがおじさんから受け継いだ漫画執筆用の机の脇に『まんが道』の有名な1コマ――「おれの恋人はまんがや!」の切抜きが額に入れて飾ってあったこと
  • 「週間少年ジャンプ」では女性キャラの乳首の描写が禁止されていること

順に解説しよう。


たいていの男性漫画家が描く「可愛い女の子」の顔は一種類しかない、というのはよく言われるところだ。メーテルと森雪とエメラルダスは同じ顔だし、ミサミサと小豆だって同じ顔だ。
それは、たいていの漫画家の脳内にある「理想の女の子」が一種類しかないからだ。そして、漫画家は時に「理想の女の子」のエロ絵を描き、机の中にしまっておいたりもする。漫画の神様でさえやっていたのだから、たいていの漫画家がやっていると考えても間違いあるまい。


まさに、「おれの恋人はまんが」だ。
漫画家の恋人は漫画である。だから、自分の漫画で「理想の女の子」を描き、現実に存在する「理想の女の子」には(少なくとも目標が達成されるまで)一切手を触れない。
乳首の描写が禁止されている「ジャンプ」で連載している漫画家は、乳首すら描いてはいけない。何故なら、乳首を描いた途端、「恋人は漫画」でなくなってしまうからだ。漫画の中の恋人が、現実化してしまうのだ!
乳首を描くことによる肉欲の誕生! 乳首を描くことによる受肉! 漫画家はそれぞれが描く漫画作品において神なのだから、それも納得だ。
……もうちょっと真面目に説明しよう。山田孝之演じる編集者はいう。「好きなように描きたいのならば同人誌で描けばいい」プロとしてやる以上は、お客さんに向けて描かないといけない。そして、「ジャンプ」で描く以上は、ジャンプのルールに従わなくてはいけない。ジャンプのルール――「アンケート至上主義」がその一つであるのと同じく、「乳首描写禁止」もその一つだ。肉欲に負けて乳首を描いたら、「ジャンプ」の漫画家でいられなくなる――そういうことだろう。


……こんな、『まんが道』と「ジャンプ」双方にリスペクトを払った演出を考え付くなんて……大根仁は天才なのではないかと本気で思った。



ちなみに、聡明なる本ブログ読者諸兄はご存知のことと思うが、「週間少年ジャンプ」では女性キャラの乳首描写がNGであるものの、単行本においてはその限りではない。古くは『To LOVEる -とらぶる-』最近では『レディ・ジャスティス』の単行本では、「乳首増量サービス」なる乳首の書き足しが行われている。
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きっと実写映画続編『バクマン。2』では、単行本作業中にヒロインの胸に乳首を書き足しながら、小豆と楽しそうに電話で会話する佐藤健演じるサイコーの姿がみられるに違いない。これぞ「ジャンプ」漫画家でありつつ、好きなように漫画を描いてゆく、オトナの戦い方だ――楽しみだわあ。



……とここまで書いて、「ジャンプ」電子版「少年ジャンプ+」では最初から乳首描写OKということを知る。デジタルネイティブ世代には伝わらない描写なのか!?

*1:週間連載の時は全く気にならないのだが

*2:©江川達也

*3:たいていの漫画家は週間連載前に仕事場とアシスタントを用意するために借金を背負う