漫画喫茶での陰棲:桜玉吉のこれまでと『漫喫漫玉日記 深夜便』

桜玉吉、久しぶりの単行本が発売されたので購入した。
漫喫漫玉日記 深夜便 (ビームコミックス)
桜玉吉
4047292796

新装版でも文庫でもない玉吉の単行本が出るのは本当に久しぶりだ。発売日に書店で買い逃したのでAmazonで注文しようすると「2〜3週間以内に発送」になっていた。皆、待ち望んでいた新刊ではなかろうか。
桜玉吉という漫画家がどれほど愛おしい存在か――自分のような30〜40代の元ファミコン(通信)世代にとっては説明不要だろうが、一回り違っていたらどれほど言葉を連ねてもこの気持ちを共感して貰えないような気もするのだが、せっかく新刊が出たタイミングでもあることだし、書いてみたい。


桜玉吉は史上初めてのゲームパロディ漫画家だった。や、厳密に書けば、イラストレーターとしてデビューした玉吉が初めて抱えた漫画連載にして出世作――『しあわせのかたち』以前にも、ゲーム中のキャラクターを主人公にしたギャグ漫画は存在した。だが、コンテンツとしてのゲームが元から持っていた面白さに寄り掛かっていない――つまり漫画として面白く、「ゲーム雑誌の後ろの方に連載している漫画家」として最初に認知されたのは玉吉が最初だったのだ。ポップでカラフルで可愛いながらもどこかアングラ感漂う絵柄*1と、A4変形版の雑誌に載る漫画としてのコマ割りは、「ゲーム雑誌の後ろの方に連載されている漫画」の一つの原型となった。
しあわせのかたち (1) (Beam comix)
桜 玉吉
4757717253


しあわせのかたち』が連載されていた時期のファミ通は上り調子だった。家庭用ゲームやゲーム雑誌というメディアの黎明期であったし、バブル景気末期という時代もあった。ファミ通が週間化したのは91年だが、90年代頭はファミ通が最も売れていた時期だ。

竹熊/社内も、会社なんだけどサークルノリみたいなムードがあった。素人が出版してるみたいな。90年代頭のころって、「ファミ通」が一番売れてたころじゃない?
国領/そうですね。発行部数が公称で70万部、実売で50万部行ってたのかな? 実売が70万部で公称は100万部だったのかな。うろ覚えなんですが……。

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この頃――80年代後半から90年代前半頃のファミコン通信は本当に面白かった。趣味丸出しの特集記事や同人誌みたいな企画コーナーが面白いだけではなく、ゲームの紹介記事やプレイ画面を写した写真につくキャプションがいちいち面白かった。雑誌の中でしか通じない言い回しやキャッチフレーズがいくつも生まれてゆき*2、ゲームというコンテンツそのものが持つ面白さを除いても雑誌が成立する勢いだった。町山智広は映画秘宝を創刊するにあたり、ファミ通の記事の作り方を参考にしたと言っていたが、納得のエピソードだ。現在もファミ通町内会にあの頃の雰囲気が若干残っている。


更に、桜玉吉は「日記漫画」や「エッセイ漫画」というジャンルの進化もしくは深化に大きな貢献を果たした漫画家でもある。ファミ通の週刊化に伴い、 『しあわせのかたち』はパロディ漫画から日記漫画へとシフトしていった。コンビニのお釣りの受け渡し方が気になるとか、毎シーズン壊れるエアコンを自力で直すとか、キャラの立った編集者やアシスタントの奇行といったネタが、本当に面白かった。その時点で既に、玉吉にしか描けない視点と私生活開陳の魅力があった。50万部売れている雑誌の内情や、小学生の頃から知っている漫画家の私生活を、魅力溢れる画とコマ割りで垣間見る楽しさがあったのだ。


が、ある時掲載された『しあわせのそねみ』回が契機だった。様々なキャラクターが他人を妬み嫉みまくるという話なのだが、絵柄がガラリと変わり、顔の皺一本一本に情念が込められたような皺くちゃな顔を持ったキャラクターが歯を食いしばっていた。これまでと同じ日記漫画家のという体裁は崩していないので、他人を妬み嫉みまくる彼らには、当然のように現実に存在する編集者やアシスタントや漫画家――自分自身でもある玉吉を含む――をモデルとしたキャラクターが存在がするわけだ。漫画におけるキャラクターたちの妬み嫉みの全てが事実であろうはずも無いが、逆に全てが玉吉の創作とも限らない。そこには、単なる楽屋ネタ以上の魅力――それまでの玉吉の日記漫画家が持っていた漫画作品としての虚構と、それを生む情念の源となった現実がないまぜとなった魅力があり、多少なりとも他人を妬み嫉んだことのない人間はいないという意味で、読者に訴える普遍性があったのだ。作為性が高く俗情と結託しやすい「物語」ではなく、私小説こそが文学であるという論があったが、そこにはまるで俗情に訴える私小説を漫画で読んだような魅力があったのだ。
『しあわせのそねみ』は読者からの「嫌葉書」が50通以上来たという理由で終了するが、玉吉や編集者は手応えを感じていたはずだ。『しあわせのかたち』終了後にファミコミやその後継誌であるコミックビームで連載した『トル玉の大冒険』や『漫玉日記』は、いずれも『しあわせのそねみ』を原型とし、パロディ化していた。『嫉み』の作画を引き継ぎつつも、女の子や気になる女性アシスタントといったキャラクターは従来のポップで可愛い絵柄で描いていた。離婚や伊豆での陰棲やぺそみちゃんやトクコさんへのドキドキっぷりといった私生活ネタも加わり、鬱病を発症したせいか白黒漫画であるにも関わらずサイケデイリックな印象を受ける画風まで確立した。桜玉吉の登場まで、漫画で私小説といえばつげ義春永島慎二であり、「日記漫画」といえばとり・みきだった*3のだが、そういったジャンルを玉吉が更新したことは誰の目にも明らかとなった。
防衛漫玉日記 (1) (Beam comix)
桜 玉吉
4757705131

ちなみに、その後、西原理恵子が更に「日記漫画」を更新し、福満しげゆきカラスヤサトシ瀧波ユカリの描く「自分漫画*4」にまで繋がっていくことになる。彼ら彼女らは全員大いなる先達としての桜玉吉をリスペクトしている……と思う。Twitterでみかけたのだが、西原理恵子桜玉吉のサイン会にベビーカーを押して一般参加していたという噂は本当なのだろうか。


そして、我々は桜玉吉の漫画を、鬱病で苦しんでいる中描いたであろう作品を含めて、大いに楽しんだ。いや、楽しんだという表現では不十分だ。自分は『しあわせのかたち』開始時に小学生で、週刊化した時に高校生で、ファミコミに『トル玉』を連載し始めた時に大学生で、『御緩漫玉日記』が鬱病の悪化で終了した時社会人であった。読者である自分たちの成長、漫画家としての桜玉吉の成長、掲載されている雑誌の成長というものが密接にリンクしていたのだ。今でいえば、毎日50万ヒット稼ぐウェブサイトで連載されている赤裸々な日記漫画とでも表現すればいいのだろうか。どれだけ玉吉のことを愛おしく思っていたか。


そんな玉吉が鬱病を克服……したかどうかは分からないが長い休筆状態から復活し、コミックビーム不定期に連載していた作品がまとまったのが今回発売された単行本――『漫喫漫玉日記 深夜便』になる。いや、面白かったねえ。
漫喫漫玉日記 深夜便 (ビームコミックス)
桜玉吉
4047292796

御緩漫玉日記』の最終巻あたりは読むのが辛くなる部分もあったのだが、作品を読む限り、かなりの部分まで回復したのではなかろうか。表題作の「深夜便」は玉吉が得意としていた視点の面白さを全面に押し出した話であるし、メーテル風俗の回にはぺそみちゃんやトクコさんや小学生時代のエロ話に感じたときめき――玉吉流の「萌え」がある。親しい友人とか漫玉日記のキャラが全く登場せず、多くが「まだ漫画喫茶にいる」から始まるところにも、どこかつげ義春的なものを感じてしまう。短いエピソードが続くと若干不安な感じがしえ心がざわざわしてしまうが。
そういえば、つげ義春がずっと陰棲に憧れていたことは有名であるが、玉吉が伊豆に別荘を買ったのもつげ義春的なものと無関係ではないだろう。別荘は困窮の結果売り払ったそうだが、玉吉は代わりに漫画喫茶に陰棲しているのだ。
結婚前の福満しげゆきカラスヤサトシも自室に陰棲し、様々な一人遊びに熱中したり、布団の上で苦しみ悶えたりするさまを漫画に描いていた。時代は違っても、煩悩中年男は全員つげ義春なのか。玉吉の場合は離婚して煩悩独身男に戻ったわけで順序が違うのだが、第二の童貞時代を過ごしている自分はとても他人事として読んでいられない。プライベートな経験と普遍性との間に漫画でなされる私小説の面白さがある。漢は黙ってつげ義春

*1:80年代鳥山明の絵柄をサブカル感とすれば

*2:その世界の中でしか通じない言葉がどんどん生まれてくる状態が如何に活気あるものであるかは、雑誌だけでなくラジオやニコ生を例に挙げれば理解して貰い易いと思う

*3:諸説アリ

*4:結局これらは時代によって呼ばれ方が違うだけなのだが