完璧な陥没乳首:『ゴーンガール』

ゴーン・ガール 2枚組ブルーレイ&DVD (初回生産限定) [Blu-ray]
B00NLZRZ4A

『ゴーンガール』鑑賞。なんだか色々と凄いものをみたような気がするが、一番凄かったのはエミリー・ラタイコウスキーなるモデルにして女優の陥没乳首だ。もはや陥没乳首のことしか覚えてないといっても過言ではない。


愛する二人が遂に結婚して夫婦となるが、そこはゴールではなく始まりで、夫婦生活のリアルってものはこうなんじゃ!――というような映画といえば、過去に『レボリューショナリー・ロード』や『ブルーバレンタイン』といった映画があった。もっといえば、これまでにやられていない表現をやることに意味がある文芸的作品において、「夫婦愛」ではなく「夫婦生活」といったものをテーマにした場合、そこで描かれるのは「皆が頭に思い浮かべる理想的な夫婦生活」ではなく「薄々気がついていたり、見ないふりをしていた、敢えて口には出さない夫婦生活の暗部」になるのは当然だ。
レボリューショナリー・ロード 燃え尽きるまで スペシャル・コレクターズ・エディション [Blu-ray]
リチャード・イエーツ
B00DACMUEO

『レボリューショナリー・ロード』にサム・メンデスケイト・ウィンスレットのあれやこれやを想起させる描写があったように、『ゴーンガール』にフィンチャーと前妻ドーニャ・フィレオレンティーノ(その後ゲイリー・オールドマンと結婚した)の関係性をみることもできるだろう。



しかし、『ゴーンガール』が『レボリューショナリー・ロード』や『ブルーバレンタイン』と最も異なる点は、その結末なのではなかろうか。この映画はある意味でハッピーエンドを迎えるのだ。
や、ハッピーエンドは言い過ぎかもしれないが、決してバッドエンドではない*1。『レボリューショナリー・ロード』や『ブルーバレンタイン』の夫婦たちが悲劇的な結末を迎えた――夫のだらしなさや自分勝手さに失望した妻が夫を棄てる決断をする――のに比べて、『ゴーンガール』はさらにその先を描いている。




以下ネタバレ。




なんと、一旦夫に愛想をつかした嫁ロザムンド・パイクが、テレビで「完璧な夫」を演じている夫ベン・アフレックをみて、惚れ直すのだ。


それも、単に夫が「完璧な夫」を演じてくれたから惚れ直したのではない。
ロザムンド・パイク演じるエイミーはこれまでずっと「完璧な妻」を演じてきた。人々が求める完璧なクールガールを演じ、完璧な妻になろうとしてきた。母親が書いた「完璧なエイミー」が小説の中にしか存在しないのと同じく、「完璧なクールガール」も「完璧な妻」も存在しない、しかし他の生き方なんてできないし、そもそも知らない。だから、半ば嫌いになっていた夫とのセックスにも食いしばって耐えてきたし、田舎への引越しも嫌々ながら受け入れた。それもこれも「完璧な妻」を演じるしかなかったからだ。
だが、ある時エイミーは夫の不貞を目撃する。自分よりも「完璧な女」ならまだよかった。単に若くて巨乳でエロいことしか取り柄のない低脳女だ。
しかも、その「巨乳のヤリマン女」は、よりによって陥没乳首だ。包茎が男として完璧でないのと同じく、陥没乳首は完璧な乳首ではない。理性を象徴する妹マーラや第三者である刑事ボニーが女として完璧でないのと同じく、陥没乳首は完璧でない。エイミーは陥没乳首そのものを見たわけではないが、映画はそういう構造になっている。フィンチャー映画では、一見なんでもなく見えるシーンがCGで補正されていたりするのはよくあることだが、もしかして本当は普通に美乳であるエミリー・ラタイコウスキーの乳首をCG作画で陥没乳首に変えているのではと疑ってしまうほど見事な陥没乳首だ。
――だからエイミーは夫に復讐をする。同時に、「完璧な女」を演じることも辞める。


だが、生まれた時から優等生で天才少女であったエイミーは、どこまでいっても優等生だ。髪型を変え、DVの痕跡を作り、お菓子をドカ喰いして太る――そうやって、頑張って田舎のDQNを演じようとしても限界がある。「完璧な上流女」は演じられるが、「完璧な底辺女」は無理だ。だからDQNなバカップルに金を巻き上げられるというツメの甘さを見せたりする。見下した相手に負けた悔しさから泣くエイミーの姿は、本作で珍しい素の、何者も演じていない姿だ。
どうしようも無くなったエイミーは、嘘みたいに金持ちで嘘みたいに空っぽな男である元彼*2の元に身を寄せる。そして負け犬同然な気分で夫のテレビ出演を目撃する。
テレビの中の夫は「完璧な夫」だった。自分が演じてきた「完璧な妻」とつりあうほどの。


本作は、エイミーが仕掛けた罠が明らかとなる後半からコメディの様相を呈してくる*3ので、ここは爆笑ポイントだ。そして、コメディは爆笑の中にこそ真実がある。夫が虚構の世界であるテレビの中で「完璧な夫」を演じたのは、夫自身が窮地の中で生き延びるためだ。自分自身が生き延びるためならどんなにありえない姿にもなれるし、その能力がある。
エイミーは、この男こそ世界でたった一人存在する自分と同類の生物であると気づく。だから惚れ直すのだ。『ドラゴン・タトゥーの女』のリズベットが自分と同じく傷ついているミカエルに惚れるように。『ソーシャル・ネットワーク』のザッカーバーグが自分と同じく世の中のシステムに挑戦したショーン・パーカーに惚れるように。



だから、『レボリューショナリー・ロード』や『ブルーバレンタイン』の夫婦と比べて、本作の夫婦はまだ見込みがある。少なくとも嫁さんの方は旦那に惚れている。タイラー・ペリー演じる弁護士が言うように「奥さんを失望させたら殺される」し、妹マーラの言うように「地獄のような」生活だが、エイミーの言うように「これが夫婦ってもの」なのだろう。
開き直って「理想の夫」を演じつつ、家の中では殺人鬼の妻と付き合うのも、それはそれで悪くない。エイミーの言うとおり、「今さら普通の女じゃ満足できない」。


興奮すると陥没した乳首から乳頭がぷっくり膨らんでくるように、興奮すると殺人鬼になる妻と表面上は「完璧な夫婦」を演じる。結婚生活とはそういうものだと、結婚11年目の自分はしっかり理解しているつもりだ。

*1:Open-endedな結末を迎えるのがフィンチャー作品の特徴だ

*2:ここで、天才少年ドギー・ハウザーにしてゲイという嘘みたいな役者を起用するフィンチャーのセンスといったらない

*3:そもそもエイミーが「完璧な女」を演じているそぶりそのもの笑いどころとして描写されていたりする一方、演技しているエイミーの本心は瞬きの回数で表現されていたりする