タミー・テレルの死因を知らなくても大丈夫:『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』

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ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』は不思議な魅力を持った映画だ。スペースオペラとしてみた場合、そこには新しさというより懐かしさと呼びたく古さがある。マクガフィンを追い求めつつ、負け犬や落ちこぼれがチームを組み、再起するというストーリーも類型的だ。アメコミ原作スーパーヒーロー映画の連作*1の一つとして映画化されなかったら、この種の能天気なスペオペ映画が今更これほどの予算と気合をかけて作られることはなかった筈だ。


そうだ、気合だ。『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』には妙な迫力がある。
映画が始まった途端、少年だった頃の主人公がウォークマンのヘッドホンをかけ、音楽を聴く。10ccの”I’m not in love”だ。その、単なるBGMとは圧倒的に異なる音質や音量――雰囲気から、まるで別の宇宙、別の銀河にいるようにさえ錯覚する。そして、程なくして、なぜ主人公が別の宇宙、別の銀河に逃避しなくてはならなかったかの理由が分かる。脳腫瘍を患った母が死の瀬戸際にあったのだ。主人公は愛している母からこう言われる。「もう大きくなったんだから。泣かないの」『愛してなんかいない』という唄が何故かかったか、何故主人公が聞いていたのか、その理由が分かる。


この映画は、すべからくこんな調子で進んでいく(添野知生が映画秘宝11月号に書いた解説が素晴らしい)。表面上は楽観的で愉しげな映画だが、主要登場人物は皆、喪失や心の傷を抱えている。眼前の危機や悪の大ボスよりも身内の死とどう折り合いをつけるかの方が重要だったりする。彼らが繋がったり、敵対したりするのは、何かを持っているからではなく何かを喪っているからだ。旋律やメロディーは楽観的で愉しげなのに、歌詞の意味するところは人生におけるシリアスな状況だったり葛藤だったりする70年代ポップソングがそれに被かぶさる。同じように既存のポップソングを使っていた『シュレック』と比べてみれば、本作の選曲の上手さはずば抜けている。
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音楽以外の面でも、本作は一見してそうはみえないほどハイコンテクストだ。


まず劇中の話だけでいうち、アメコミ原作映画故の情報量の多さがある。誰が仲間で誰が悪役かはっきりしている映画であるが、一方でクリー人だのザンダー人だのサカー人だのといった複雑な人種構成があり、コレクターだのサノスだのオーブだのといった重要そうなキャラクターやらアイテムやらが出てくる。これらが他の映画やらアメコミやらと関係性を持っている……というのは今さらここで記すまでもないだろう。


また、負け犬同士がチームを組んで失敗や喪失を乗り越えるという物語は、幾つものレイヤーでメタ的な意味を持っている。
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原作コミック”Guardians of the Galaxy”は『アイアンマン』や『キャプテン・アメリカ』に比べれば新しい部類に入るシリーズであり、映画化されるというアナウンスが流れても、期待する者は少なかった。アメコミ界ではマイナーで負け犬だった作品が、映画界では『アイアンマン』や『キャプテン・アメリカ』に勝つくらい成功を収めたわけだ。
監督であるジェームズ・ガンはトロマ・エンターテインメントで脚本作りや演出を学び、映画人としてのキャリアを育んだ。トロマは『悪魔の毒々モンスター』や『悪魔の毒々ハイスクール』でお馴染み、インディペンデント映画というかB級映画というかZ級映画というか、メジャーなスタジオが決して作らない低予算アクションやホラーやコメディを作りまくるインディペンデント系映画の製作会社だ。
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そんなジェームズ・ガンはトロマを足がかりに『スクービー・ドゥー』や『ドーン・オブ・ザ・デッド』の脚本で成功したものの、監督した『スリザー』が大コケした。次に作った『スーパー!』は小品だったものの評価を得て、メジャースタジオが作る本作の監督に抜擢された。
本作にはジェームズ・ガンがこれまでいっしょに仕事をしてきた作り手や役者が何人も出演している。トロマの社長であるロイド・カウフマンもカメオ出演しているし、前作『スーパー!』に出演したケヴィン・ベーコンは英雄扱いだ。映画界でのマイナーな負け犬が、これまで仕事をしてきた仲間たちの協力を得て、メジャーな映画をヒットさせたわけだ。
そりゃ、気合も入ろうというものだ。一番最後に出てくるあのア○ルにさえ、どんな失敗や喪失だって乗り越えられるというメッセージを感じてしまう。CGのアライグマが泣くシーンで思わずこちらももらい泣きしてしまう本作の異様な迫力は、こういったメタな事情を反映した・してしまった背景からきているのではなかろうか。次作でケヴィン・ベーコンがピーター・クイルの父親役として出演したとしても、自分は驚かない。


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もっといえば、本作のヨンドゥと主人公の関係性には、ロイド・カウフマンとジェームズ・ガンの関係性というか、ジェームズ・ガンが考える理想のメンター像のようなものを感じてしまう。ラベジャーズならぬトロマ映画に拉致されたピーター・クイルならぬジェームズ・ガンは、嫌々ながらもヨンドゥならぬロイド・カウフマンのトレジャーハンティングに付き合ううちに脚本や演出を学んで映画界のアウトローとして成長した。そして、ピンチの時には命ならぬ映画人生命をかけたネゴシエーションで古巣の親玉と交渉する。ヨンドゥは表面上ピーター・クイルに厳しいようにみえて、四苦八苦しながらピーターが状況を変える嘘八百を口にするのを待っている。そして、誰にも見えないところで「おまえも成長したなあ」と笑い、喜ぶのだ。ロイド・カウフマンが実際にヨンドゥのような人物かどうかは分からないが、わざわざ旧作の”Guardians of the Galaxy”メンバーを出してくるあたり、ジェームズ・ガンが考える理想のメンター像――ロイド・カウフマン像が反映されているのは間違いないだろう。


だが、本作で最も気合を感じるのは、やはり音楽――既存曲の使い方だ。
自分はあまり音楽に関心が無い。本作で使いまくられている70年代ポップスの知識もあまり無い。タミー・テレルとマーヴィン・ゲイマイケル・ジャクソンがあまり幸せな死に方をしなかったことくらいしか知らない。だから、映画を観ている最中は、最後の二曲――"Ain't No Mountain High Enough"と“I Want You Back”が主人公達の喪失や心の傷と重ねあわされていること*2くらいしか気がつかなかった。
だが、一方で、映画を観た後はサントラが欲しくて欲しくて仕方が無い。どの曲もYoutubeでタダで聴けるにも関わらず、だ。自分のような人間は多いらしく、本作のサントラは売れているらしい
本作のピーター・クイルは1988年に1979年発売のウォークマン1号機と純正ヘッドホンを使っている。「最強ミックス」なるテープも含めて、母親から貰ったものであることがラストで分かる。
ピーターがオトナになっても「最強ミックス」をしつこく聴いているのは、それがヒット曲だったからではなく、母親との絆であり、子供の頃の思い出であり、喪失や傷を負っていないイノセンスだった頃の自分の象徴だからだ。だからどんなリスクを負ってもテープとウォークマンを取り戻すことが最重要事項になるし、どんな時だって音楽をかけまくる。
これは、我々観客が本作を愛してしまうスタンスと似てやしないだろうか。映画『アイアンマン』公開当時、原作を読んでいた人間は2万人ほどだったという
よりマイナーな”Guardians of the Galaxy”を読んでいたアメリカ人は、何人いただろうか、邦訳が一冊も出ていない日本ではどうか。おそらく、映画『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』公開前に原作コミックを読んでいた日本人は千人もいなかった筈だ。
そんな我々は、今や『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー』にぞっこんだ。リアルタイムで聴いていたわけではないポップスにピーター・クイルがぞっこんなのと同じく。

*1:いわゆるマーベル・シネマティック・ユニバース

*2:タミー・テレルは脳腫瘍で死んだ