実際にやるということ

 なにしろ信者なもので、岡田斗司夫GYAOジョッキーを毎月きちんと視聴しているのだが、今月の猫の剥製の話は特に面白かった。好きな女子の目の前で猫の腹を掻っ捌いたら内臓がぶりぶり出てきた、などという箇所は、セックス的なものを想像してしまうよな。


http://www.gyao.jp/sityou/catedetail/contents_id/cnt0087222/


 主題は、知識として知っていることとそれを実際にやるということは全く異なる、ということなのだが、実をいうと私も似たような経験がある。オタキングほど上手く語れないかもしれないが、ちょっと書いてみたい。


 あれは大学時代のことだった。私はダイビングのサークルに入っていたのだが、その中に好きな先輩がいたのだな。あの頃は自分のホモ的な嗜好に気づいていなかったので、その好きな先輩というのも無論女子だ。
 その先輩なのだが、サークル活動というかダイビングには超熱心だったのだが、学業には不熱心で、二年時に留年した挙げ句、サークル引退時に大学を辞めてしまったのだな。大学を辞めてどうしたのか彼女の同期である先輩の方々に聞くと、それほど両親と仲が良かったわけでもないので実家にも戻らず、下北沢にて月二万円のアパートを借り、夢だった映像製作会社にてバイトしているのだという。ただ、それだけでは生活費が足りないので飲み屋でバイトしたり、それまで友人が沢山いた藤沢を離れて生活していることもあり、若干鬱病チックになっているのだそうだ。
 その先輩には、四年ほど付き合っている彼氏がいた。同じくサークルの先輩だ。だが、鬱病チックなっているせいか、彼氏との仲も微妙なのだという。
 これは好機なのかもしれん。当時、私は向ヶ丘遊園地近辺にある実家に住んでいた。下北沢までは小田急線で15分だ。近いんで遊びに行きますよ!近いんで!と必要以上に近さを強調し、自宅訪問を願うと、ああ良いよとスンナリお許しが出た。


 その大学のダイビングサークルというのは、かなり特殊な雰囲気だった。基本的には体育会系だったので、練習中は先輩-後輩の服従関係は絶対だった。学生以外の指導者がおらず、先輩と後輩でバディを組み、知識や練習不足が原因で下手こくと溺れて死ぬ可能性がある、という理由があったので、そのような服従関係は必要不可欠だったのだ。
 もう一つ、そのサークルでは男と女のジェンダーというものが、あまり無かった。素潜りのことをスキンダイビングと呼び、練習はスキンダイビング中心だったのだが、スキンもスキューバも体が小さく単位時間当たりの空気消費量が少ない女の方が、男よりもダイビングが得意であるといえ、そのことも男より女の方が発言権や実行力が大きくなる原因であったのではないかと今にして思う。とにかく、元気な女性が多かった。一本のタンクで男の倍の時間海に潜る。早朝とナイトを含めて一日に五本潜る。どうせ海で流れるので、化粧しない。そして、ゴロタの海岸で平然と着替える。一度、OBとして練習に参加した際、生理中の女子が「あっ、垂れる垂れる!○○(後輩の名前)ティッシュ持ってきて!」と大声で叫んでいたのには、伝統というものは受け継がれるどころか増幅するのだなと感じ入った覚えがある。


 だから、独身の男が一人暮らしする独身女性の家に遊びに行くよ!という問いに、ああどうぞ、という返答がなされたのだと思う。もしくは、後輩のキモイ男子など「男」と考えていないか、そんな細事などどうでも良いと考えているくらい鬱病気味なのか。
 また、休日も飲み屋でバイトしているので、会えるのはそれが終わってからになるとも言われた。飲み屋の営業時間が終了する時間、すなわち深夜だ。その時は、ああ本当に時間がなくて大変なのだろうな、などと素直に考えていた。


 で、当日。手土産のビールなどを持ち、終電近い電車で下北沢に到着した。改札を出て、階段を降りた近辺で先輩を待った。見知らぬ男女が家路につく為に何人も目の前を通り過ぎ、下北沢というのは若者の町で、つまりは繁華街で、遠くから電車に乗って遊びに来る街だと思っていたのだが、実際に住んでいる人々がこんなにも沢山おり、その中の一人が先輩であるのだな、などということ考えつつ時間を過ごしたことを今でも鮮明に覚えている。


 とうとう先輩がやってきた。笑顔だ。そして、なんだか良い匂いがした。
 ノコノコと先輩についていくと、彼女が住んでいたのは四畳半の風呂なしアパートだった。線路の向こう側に銭湯があり、入浴してきたのだという。女だてらにそんな生活環境を躊躇いなく選択するようなところが、私は本当に好きだった。
 ビールなど飲み、サークルのことや大学のことや仕事のことなどについて世間話した。ひょっとすると彼氏がこの部屋にやってくるかもね、と先輩は言った。前述したように、その彼氏とはサークルのOBで、私が一年次の幹部だった。そしたら三人で楽しく飲めば良いじゃないですか、とまごうことなき本音で返したりした。
 だが、深夜の二時になっても三時になっても彼氏はあらわれない。明日も仕事があるのでそろそろ寝ようか、と先輩は言い、二人で一つのベッドに入り、寝た。ここでいう「寝た」は言葉そのままの意味だ。単なる同衾ということだ。
 翌日、あんまり金がないという先輩に、近所のSUBWAYで朝飯を奢り、楽しかったですまた来ますと笑顔で告げ、帰宅した。
その時は気づかなかったのだが、今思い返せば先輩はちょっと微妙な表情をしていた。


 今思い返しても、自分はなんて勿体ないことをしてしまったのだろうという後悔で一杯だ。
 結局あの時、私は子供だったのだ。男が夜遅くに一人暮らしする女の家を訪問することを許される、その意味が全く分かってなかった。彼氏がくるかもよ、あれは彼女なりの挑発だった。翌朝の微妙な表情は、失望と安心が入り混じった顔だったのだ。
つまりあの時私は子供で、童貞だったのだな。セックスという行為は知っていたし、男と女が愛し合うということが世の中に本当に存在することも知識として知っていた。だが、結局、勇気がなかったのだ。童貞だから。知識として知っていることとそれを実際にやるということは全く異なるってのは、そういうことだ。



 だが、あの時もしセックスしていたら、今目の前にいる子供の顔や年齢や性別は全く違うものになっていたかもしれない。勿論、子供なんておらず、結婚すらしていない可能性だって充分にある。そう考えると、人生って不思議なものだよなと素朴に思う。そういやあれは「エヴァンゲリオン」の放映が終わって約半年後の夏だった。