しつこく前回の続きのような続きでないような日記

アプリオリな男女平等について

 私はそれなりにいい年こいたおっさんなので、会社で仕事する時も業務内容によっては部下的な後輩社員が一人か二人ついたりすることがある。色んな事情で、定時に終わる予定の仕事が夜10時とか11時とかまで伸びたりすることもあるのだが、そんな時「早く帰りたい」みたいなオーラを出す奴がいる。で、それは決まって女性なんだよな。
 ある人など「女性なので、早く帰りたいです」としっかり口に出したりもした。一応書いておくと、私も彼女もしっかり正社員だ。制度上は男性差別が無くて、女性の幹部もそれなりにいる(まぁ、割合は少ないのだけれど)。つまり、女性だから出世の道が閉ざされているとか、女性だから仕事しても評価されないというわけではない。


 男でそんなことを言い出す奴はいなかった。まぁ、たまたま私の会社の私の部署に、そういうタイプの男や女が多かったというだけの話かもしれないが、もし私がユダヤ人や黒人だったとして、「ユダヤ人なので、仕事をほっぽり出して早く帰りたいです」なんて口が裂けても言わないだろう。


 もう一つ。部下の女性がミスした時に「可愛いから許す」なんて台詞をホザく男がいる。いつもヒヤヒヤしながらみているのだが、たいていの女性は決まって「有難うございます!」なんて嬉しそうに返すんだよな。良いのか、それで?そこは怒らなきゃ駄目だろ。
 つまりそれは、「同じミスでも、男は厳しく追及するが女は諦める」ということだ。「女にはあまり期待していない」と言い換えても良い。舐められてるんだぞ。「ニガーだから、ミスしても許してやるぜ」と白人上司に言われて、激怒しない黒人なんていないだろう。
 正確に書くと、大学で同じようなことがあったのだが、海外からの留学生は怒っていた。会社でも、一人だけ怒った女性がいた。ガリガリガリクソンをそのまま性転換させたような女性だ。それ以降、私は彼女のことを仕事において信用するようになった。彼女と休日を一緒に過ごしたり、将来男と女の関係になったりすることは絶対にないだろうが、ここぞ!という時に人手が必要な時は彼女に声をかけるだろう。



 で、やっとここでエロゲー規制問題に話が戻ってくるのだが、問題は表現手法とその規制というよりも、エロや暴力表現に対して抱く感覚が男女で大きく異なること、という気がしてきた。

まず第一に、この種の表現は、たとえ憲法によって「表現の自由」が保証されているとしても、社会的に受け入れられることは絶対にない。容認されることさえまずない。理由は簡単で、女性のほぼ全てが現実の世界における同種の犯罪の試み(もちろん実践の為には相当な努力が必要ではある訳だが、とはいえ試みる奴がいない訳ではない)に脅かされている乃至脅かされていたことがあると感じているからだ。

2009.5.19: 日記


 佐藤亜紀の上記のような認識は、はっきりいって正しい。でも、正しいだけに、それで良いのか?という気もする。


 つまりこれは、女性だからレイプが怖いってことだ。女性だからレイプ表現が恐いっ、女性だから秋葉原パソコンショップで陵辱エロゲーが売られているのが怖いっ、女性だから童貞男子が大挙してエロゲーを購入しているのが怖いっ、女性だからオタクがアニメ絵の女性を強姦して妊娠させて堕ろさせるゲームで興奮してオナニーしているのが怖いっ、いやキモいっ、だから徹底的に弾圧して規制してこの世から存在を消し去って!ってやつだ。良いのか、それで?


 レイプされる危険性は女性だけにあるのではない。男性が男性にレイプされるというのも場所と状況によっては充分にありえる話だ。アメリカで犯罪者が執行猶予を望むのは刑務所でケツを掘られたくないからだし、新宿二丁目の公衆トイレに迷い込み、身の危険を感じたというのも良く聞く話だ。女性が男性の肉体を、ただ肉体的快楽のみによって利用するという状況も充分にありうる*1。ヤンキー中学生男子がレディースの先輩に犯される、というのは都市伝説なのかな。
 でも、男性がレイプされる恐怖心を理由に、レイプ表現を規制しようと訴えた例を、私は知らない。


 何が言いたいのかというと、男女平等を訴える(”equality”は女性のみにとっての公平性じゃないだろ)団体が、女性自身の肉体的虚弱さを認めてしまって良いのか?ということだ。女性は能力が低いから早く帰宅しても良い。女性は可愛げがあるからミスをしても許される。女性は身体能力が低いからレイプされる危険性が高い。その論理で良いのか?統計的にみて黒人は体臭がキツい。統計的にみてユダヤ人は金に汚い。統計的にみて女性は男性よりレイプされやすい。だから全てのレイプ表現を規制すべきだ。それは真の意味での男女平等じゃないだろう。


 でも、世の中というのはそうじゃないのだな。

感情論であることは間違いない。ただし、感情論を克服することは、感情論であるだけに、非常に困難だ。克服させることに至っては事実上不可能である。

2009.5.19: 日記


 そうだ、これは感情論だ。男は強い、男は肉体的に優れている、だから男は女を守らなくてはならない、アポステリオリな文脈において。
 でもこれは同時に、男が外で働いて女が家を守るというジェンダーを教科書や学校教育で押し付けるなとか、ニュースやワイドショーで、男は苗字で呼ぶけど女を下の名前で、しかもちゃん付けで呼ぶのはおかしくないかとか、そういう議論と矛盾した態度でもある。ジェンダーフリージェンダーバイアスについての議論では男性の感情を排し、レイプや暴力の議論では女性の感情を強調するというダブルスタンダードだ。


 もっといえば、女性がレイプされる恐怖に怯えているのと同様に、男は去勢される恐怖、セックスできない恐怖に怯えているんだよ。そして現在、私は自由にオナニーできない恐怖に怯えている、と。


 でもでも、そういうのを全部ひっくるめて受け入れるのが、男の甲斐性ってやつですな!!佐藤亜紀も女だ。男は女を守らなくてはならない。男はつらいよ

基本的には大蟻食様のファンです

 佐藤亜紀の言いたいことっていうのは、「煽り」とか「釣り」とかを差し引くと、もし自分のやりたい表現が地下でしかやれないなら地下でやるぜ!エロゲーの作り手も受け手もそれ位の気概と気合を持て!ということなんだと思う。もし「ミノタウロス」のレイプ表現や殺人表現が糾弾されるならば、それはそれで上等だぜ!みたいな。その意気やよし。プロの作家が2ちゃんねらーの如く振舞う、「煽り」や「釣り」もまたよし。


 たださー、一消費者である我々は、気合入れてエロゲーやってるわけじゃないんだよね。毎日毎日気合いれてエロゲーでオナニーしていたら、ちんちんが腫れ上がってしまうよ。
 エロゲーというのは概してくだらないもので、それでオナニーしている我々もくだらないし、オナニーという行為もくだらないものだ。でも、そのくだらなさやユルさを愛しているわけなんだな。
 付け加えるのなら、そのくだらなさが、一部の素晴らしい作品の存在を担保しているという構造もある。スタージョンの法則を例に挙げるまでも無く、90%のクズがあるからこそ、残り10%の素晴らしいものが存在するのだと。


 言論の自由がない北朝鮮や中国や中東各国に、レイプや殺人を扱うエロゲーは、当然のように無い。そしてそのような国々には、「ミノタウロス」のように、主人公がレイプや殺人を繰り返していく物語を通して何かを表現する作品も、当然のように見当たらない。そのような国々の地下にはあるのかもしれないけれど、表現者にとっても受け手にとっても幸福な状況でないことだけは確かなんじゃないのか。
ミノタウロス
佐藤 亜紀
4062140586


 以前、大蟻食様は日記で「ジャスコワールド」という表現を使われていたのだが、日々の食材や生活用品やオナニーグッズを銀座の高級百貨店や老舗の名店で揃える人ってどんだけいるのだろう?我々にはエロや暴力のジャスコワールドが必要で、それはアマゾンの18歳以上確認ページをクリックした先や、秋葉原の雑居ビルのポリエステル製の18禁暖簾をくぐった先にあるのではなかろうか。


……大蟻食様には「規制上等!」という話よりも、「レイプがなんぼのもんじゃい!」という話をして頂きたかったな。「現実を受け入れろ」という話よりも、「現実を変えようぜ」という話の方が、まだ希望がある。

*1:前の日記で話題にした「芋虫」にもそんな要素があった