変態言論芸人

 わかりやすいようにこれまでの経緯を時系列順にまとめると以下のようになる

  1. http://www.yomiuri.co.jp/net/security/s-news/20090513-OYT8T00357.htm
  2. 2009.5.14: 日記
  3. 芋虫レイプレイ牧場 - 冒険野郎マクガイヤー@はてな
  4. 2009.5.19: 日記
  5. しつこく前回の続きのような続きでないような日記 - 冒険野郎マクガイヤー@はてな
  6. 2009.5.25: 日記
  7. 童貞エロゲーオナニー男子をそんなに怖がらなくても良いじゃない - 冒険野郎マクガイヤー@はてな
  8. 2009.5.25: 日記のpost scriptum


 もう無視して頂いて構わなかったのだが、まさかまたもや大蟻食様にレスポンスして頂けるとは!7と8の合間なんて僅か数時間だ。感動でおしっこ漏らしそうです。前回はトラバしなくてすいませんでした。ご迷惑かなと思ったのですが、今回はきちんとトラバします。


 さて、大蟻食様とのやりとりで気づいたのだが、私は火に油を注いで、世界が燃えるのを笑ってみているような人間であった。ここまできたら、私も男として本音を書かないわけにはいかないだろう。


 ああ、そうですよ。私は変態ですよ。それも真性の、本物の、変態だ。これまで私は自分の脳内世界で何百何千何万人の女性を監禁し、陵辱し、強姦し、妊娠させてきた。現実世界においても、それを実践するに足りないのは、度胸と根性と状況だけだと考えている。


 そんな変態の目から見ると、レイプというのは人類史において、それなりに意味のあった行為に思える。
 例えば、略奪婚だ。部族社会では、他の集落から結婚相手としての女性を略奪してくるという行為が行われていた。現在の目からみればそれは拉致監禁、そして強姦だ。一方で、これは近親婚を防ぐ一つの知恵でもあった。略奪婚は、現在でも形式的・儀礼的なものとして残っている地域がある。
 例えば、一夫多妻制だ。これはつまり、多くの女性を妻とし、生活の面倒をみて、強姦できる甲斐性のある男が一番偉いんじゃ!というステータス自慢大会でもある。コレクターにとって、コレクションはモノに過ぎない。勢い、女性は男性にとって強姦して妊娠させて子供を生むモノ、マシーンとして扱われる。一方で、一夫多妻制は多くの女性を所有できるほどの肉体的な強さを、遺伝子として後世に継承しやすいシステムでもあった。剥き出しの暴力と暴力とがぶつかりあう前近代において、という条件つきであるが。一夫多妻制は現在、多くの国で禁止されているか、お上の管理の下に審査が厳格化され事実上不可能となっている。かろうじて制度が残っている国々は、国際的な批判に晒されている。


 これらが昔の形のまま存在せず、強姦がはっきりと悪とされているのは、そんなことをしていたら近代社会が成り立たないからだ。
 これはホッブズの社会契約説をあてはめてみると理解して貰い易いと思う。
 自然状態において、全ての男性は女性に対して強姦を指向する状態にある、と仮定しよう。それもなるべく多くの、若く、美人な、性的魅力のある女性を。動機は自己の遺伝子の継承、肉体的快楽の追求、女性と性的関係を持つことに対する周囲からのレスペクト*1等々だ。
 つまり、なるべくイイ女を大量に強姦せんとする者達による闘争というか競争状態だ。この競争には殺人も当然含まれる*2。だが、これでは自己の安全を確保できない。次代を養成するには女性の協力も必要だ。なにしろ妊娠し、出産し、乳をやれるのは女性だけなのだから。だから男性は強姦する権利を放棄する。女性がモノではなく、人間であることを認める。これが社会契約だ。近代社会国家の誕生だ。


 そうなのだ。基本的に、男は女を強姦したい生き物なのだ。男は皆、変態だ。ナチュラル・ボーン・レイプレイパーじゃなかったレイピストだ。上記の文脈において、つまり強姦行為を変態行為に含めて、という意味であるが。例外は一部の子供や老人や性的不能者であるが、勿論彼らにも性的欲望はある。
 「いや、おれはレイプなんて反社会的なこと一片たりとも考えてないよ!」などという輩は、私のように強姦はNGというフリだけして体裁を取り繕って社会生活になんとか適応している奴か、嘘ついておこぼれに預かろうという卑怯者か、下心満載の恋愛資本主義者か、セルフ・マインドコントロールしすぎて欲望すら見失うか、現代社会に疲弊してそもそもセックスどころではない人のうち、どれかだ。


 だから、これはアイデンティティの問題でもある。アイデンティティといってもピンからキリまであるが、男性にとって女性を妊娠させて出産させるという行為は、女性が子供を妊娠して出産することをアイデンティティと捉えているのと同じ程度には、アイデンティティであるのだ。女性にとって、不妊や乳癌がアイデンティティの損失に繋がるのと同じく、男性にとってインポテンツや去勢はアイデンティティの喪失である。
 さすがに男性にとって強姦はアイデンティティである、とはいわない。現代社会において、という条件付きであるが。前近代、強姦は確かにアイデンティティであった。現代でもその名残は残っている。男性にとって強姦と和姦の距離は、女性にとってのそれらよりも近い。
 現在の一夫一婦制の結婚制度も、見方によっては、強姦を仲買とした一種の契約制度とも捉えられる。専業主婦は、強姦される権利を男性に譲り渡す代わりに、衣食住の面倒を見てもらう、子種も貰う、というわけだ。この場合、生殖能力の無い男は家庭にカネを入れない男と同じ程度には家長としてのアイデンティティを失う。このようなものの見方をするのは変態だけかもしれないが。


 現在、なんで全ての男が女を日常的に強姦しないのかというと、現代社会においてはそれがリスクに見合わない行為であるからだ。強姦で懲役ウン十年、出所後も犯罪者として後ろ指差される生活が待っている。だから、コストやリスク計算のできる普通の男は以下の方法を選ぶ。一、きちんとした手順を踏み、交渉の後に性的なパートナーを選ぶ。二、女性に金を払い、対価として強姦する権利を得る、もしくは性的なサービスを受ける。三、エロゲーエロマンガやエロビデオでオナニーする、私が選ぶのは専らこれだ。ルサンチマンやコンプレックスは募るが、それを精神的な糧として生きるのも人間というものだろう。
 勿論、計算のできない馬鹿や、リターンである性的快楽を多めに見積もるミュータントは、一定の割合で常に発生する。これに対処するには、強姦罪に対する罰則を強化するのが真っ当なやり方だ。
 また、戦争や自然災害が原因で社会契約の乱れた状況では、当然強姦が発生する。イラク戦争カトリーナの際のニューオリンズ阪神大震災の時に強姦が急増したというのは都市伝説だったか。



 ここまでくれば理解して貰えると思う。我々はエロゲーがあるから強姦するのではない。強姦したいけどできないからエロゲーエロマンガやエロビデオを代用品として用いるのであって、その逆ではない。本質的に強姦を願う生き物であるからこそ、時に強姦してしまう個体が出現するのであって、エロゲーが原因で強姦してしまうのではない。
 勿論、エロゲーエロマンガやエロビデオが男の欲望を再生産し、増幅し、理性を乱し、コスト計算のできない子供(肉体的年齢と関係ないかもしれないが)がアテられるということもあるだろう。だから規制は必要だ。理性のある大人でも、コスト計算を間違える要因になることは理論的にあるかもしれない。しかし、エロゲーが蔓延している現代日本の強姦発生率を、エロゲーの無い他国のそれと比較して欲しい。エロゲーがなくなっても強姦はなくならないことは一目瞭然だろう。
 データを確認せずとも、秋葉原の雑居ビルでエロゲーを購入している童貞男子を観察すれば、それ位のことは分かって貰えると思う。あいつらに、女を押し倒すガッツはあるか?強姦を完遂する意思と体力はあるか?失職し、服役し、人生を棒に振ってもおれは精液を膣内に注ぎ込んでやるぜという覚悟を感じ取れるか?童貞エロゲーオナニー男子を怖がる必要などどこにも無いのだ。


 さて、細かいところで異論を挟まれるかもしれないが、ここまでは大筋で大蟻食様に同意して頂けると思う。問題はこの後だ。

反発は感情論だと反論しても、感情論を感情論だと指摘するのは余計相手をいきり立たせるだけだ(ギャラリーに感情論にすぎないことを印象付けようとしているのかもしれないが、恥を知らない変態が女の子を苛めているように取られるのがおちだ)。つまり、君らは圧倒的に勝目のない勝負をしている。

2009.5.25: 日記


 佐藤亜紀は、感情論を感情論だと指摘するのは無駄だと主張している。女どもは馬鹿で感情で動く生き物なので納得して貰えないし、恥を知らない変態が女の子を苛めているようにしかみえない、と。


 私が恥を知らない変態だというのはその通りだが、女性に対する評価は異なる。
 これまで私は自分の脳内世界で何百何千何万人の女性を監禁し陵辱し強姦し妊娠させてきた。しかしそんな私でも、現実世界の女性は、きちんとした手順と手続きを踏めば、充分にコミュニケーション可能な存在であると考えている。意見を交換でき、議論を交わすことが出来ると思う。女性の多くはきちんと説明しても恐怖に怯えるかもしれないし、そもそも変態なんかと話をしたくないと拒絶されるかもしれないが、感情に惑わされず理性で判断する女性(勿論、その中には大蟻食様も含まれます)も、少数ながら存在すると信じる。
 そういう女性が現状に疑問を抱いてくれれば、私にとっては勝利だ。「あー、やっぱこの世からエロゲーを無くしてもなんの解決にもならないわー」とでも思ってくれれば、大勝利だ。認めてくれとはいわない。アマゾンにて18禁販売くらのレベルで、制限つきでも存在を許容して貰えれば、完全勝利ですらある。


 我々男性は見境無く女性を強姦することを辞める、女性は必要以上に恐怖を訴えること辞める、そして両者は信頼関係を築く、これが真に男女平等な近代社会ってやつじゃないのか?
 もっといえば、針小棒大にリスクを解釈して恐怖を訴えることは、女性の方から社会契約を壊す行為ともいえる。テロや大量破壊兵器の恐怖に怯えてイラク海兵隊を送り込んだアメリカと同じようなものだ。しかも、その後に発生すると予想されるのは、レイプ予備軍である全ての男に対して、このキモ親父あたしに触った、この童貞あたしをレイプしようとしている、この童貞エロゲーでレイプしようとしている云々……という言論兵器で対抗する女によって演じられる、新たな闘争状態だ。


 勿論、エロゲーの存在に問題が無いわけではない。そういう価値観の存在を許すかどうか?という問題だ。例えば第二次大戦中のドイツ人になりきってユダヤ人を虐殺するゲームが許されるのか?これはユダヤ人じゃない私にとっても難しい問題だ。サイモン・ウィーゼンタール・センターその他から批判や非難を受けるだろう。
 しかし、我々は現実世界でユダヤ人を虐殺せよと主張したいわけじゃありませんよ、歴史的先史的にみてここでユダヤ人が殺されなければ間違いであるし、ゲームとして面白くならないんですよと説明されれば、世界のどこかで発売されるのを許容するだろう。現代社会においては、実害が無ければ可能な限り多様な価値観を受け入れることが、変態である自身の価値観を一分一秒でも長く存在させることに繋がるからだ。現在の変態がとりえる立場は本来的な意味での価値相対主義だったのだ。だが、この立場の取り方は、多くの変態じゃないけど多様な価値観の持ち主にとっても、現実的に同様だと思う。実際、アメリカ兵になり切って日本兵やドイツ兵を殺戮するゲームは発売されている。「Call of Duty: World at War」は結局日本じゃ発売されなかったけれども。
Call of Duty: World at War(輸入版:アジア)
B001J30EXK


 お国が気向きで弾圧してくる、確かにそういうことは過去に幾度となくあったし、未来もまたあるだろう。だが、近代社会において、お国というのは全ての男性と女性の集合体である筈だ。ならば、他人に自分の意思を伝えるのが弾圧に対処する常道であって、押し黙るのはちと違うと思う。
 徹底的な弾圧に耐え、地下に追いやられても生き残る表現こそ、真に強く正統な表現であるという理屈は納得できるけれども、ここで求められているのは真に強いエロ表現ではなく、女性の心の平穏の筈だ。ならば、無意味な規制と弾圧よりも、「そんなに怖くないよ」ということをデータと理屈で説明することの方が、真っ当な対応なのではなかろうか。


 強姦や殺人を平然とこなす男を主人公とした佐藤亜紀も、そういう表現を通して自分の意思を他人に伝えようとしていたと考えていたのだが。


 芸のクオリティが低いという批判は謹んでお受けします。

*1:勿論、これらは生物としてのヒト、社会的存在としての人間双方の意味合いにおいて、複雑に絡み合っている

*2:だから見かけ上はホッブズの自然状態と区別がつかないかもしれない