S-1グランプリと民主主義、M-1グランプリとエリート主義

 月並みな意見なのだけど、S-1グランプリの賞金一億円って、スゴいよね。


http://mb.softbank.jp/mb/special/s1battle/index.html


 テレビのバラエティ番組の雛段に座っているような芸人でも、年収が一千万を越える人達はゾロゾロいるけれども、一億越えはそうそういない(と推測する*1)。ということは、M-1をお祭りとして笑って観ていたようなベテラン中堅芸人もガチンコで「勝ち」を狙いに参加してくるかもしれないってことで、つまりはM-1で若手がやっている緊張感溢れる真剣勝負をベテラン中堅芸人達が繰り広げるかもしれないってことで、一お笑いファンとしてはとりあえず楽しみだ。


 ただ、気になることもも一杯ある。ネタが映像的に〈カメラークやテロップの有無や音質や画質という意味〉どんな形でアップされるのかということも気になるけど、一番気になるのは審査方式だ。ソフトバンクの携帯ユーザーの投票で決めるらしいのだけど、それってシンプルだけど、思いきりが良すぎるよね。


 単なる人気投票になってしまうんじゃないの?という懸念をミクシィやブログで読んだのだけれど、ちょっとでもお笑いを意識的に観ている人ならば、一番最初に頭に浮かぶのはそういうことなのだろうと思う。劇場に集まった一般客の投票という審査を取り入れた第1回のM-1で、おぎやはぎDonDokoDonの得票数が異様に低かったことなんかを連想する人も多いだろう。あれ以降、M-1の決勝審査は敗者復活戦以外で一般客の意見を審査方式に取り入れることを辞めた。



 M-1もS-1も純粋なコンテストというわけじゃなくて、一つのショーという側面があるのだけど、一旦それを脇において考えるに、M-1というのはある種のエリート主義を審査に持ち込んでいるのだと思う。
 大衆というものは、常に理性的で完全に合理的な判断をするわけではない。例えば、リスク的に完全に同じ選択肢が二つある場合、現状維持を選び易い。例えば、損害を強調されるとその選択肢を回避し易い。例えば、専門的で高度な知識が解決に要求される問題では、不合理な選択をし易い。これらの事実は社会科学における実証実験である程度証明されている。
 「東京もん」とか「生意気」といった理由で、新しい笑いが出てくる可能性が潰される。そのような衆愚政治は避けなければならない。お笑い界の舵取りにB層を参加させてはならない。その分野である程度の実績があり、周囲からその才能を認められた審査員なら、衆愚政治を回避し、お笑い会の為に合理的な判断ができるだろう、という考えを体現しているのだろうな、M-1は。



 一方で、S-1グランプリの審査方式は、全てのお笑いファンがソフトバンクのユーザーであるかどうかは脇に置いといて、多分に民主的だよね。


 「お笑い界」というものがあるとしよう。この「お笑い界」に含まれるのは、どこからどこまでだろうか?芸人と、作家とディレクターとプロデューサーまでか?芸能事務所の幹部やマネージャーも入れた方が良いのか?テレビの前や劇場で笑っている視聴者は「お笑い界」に入らないのか?でも、彼らがコンテンツを消費し、金を払ったり視聴率に貢献してくれないと「お笑い界」は成り立たないぞ。では、単に笑うだけ笑って翌日その内容をすっぱり忘れるヤンキーと、ブログやらなんやらで批評や感想を書き散らすお笑いマニアとは分けた方が良いのか?でも、人数的には前者の方が圧倒的に多いぞ?


……「どこからどこまでが宇宙で、どこからどこまでが地球か?」みたいな話だけれど、そんなことを全部ひっくるめた上での、「お笑い界」を反映する民主制だと思うね。本当は、真の民主主義を実践する為には選択の前に徹底的な議論が必要なのだけれど、そこは敢えてオミットするか、2ちゃんねるやブログなんかがその役割をある程度担うのだろうな。


 このS-1グランプリが現在の第何次目かのお笑いブームを破壊する最終兵器なのか、一つ上のステップへ上がる為の階段なのか、今の段階では分からない。ただ、民主主義では自分たちの頭の程度に合わせた指導者しか持てないのと同じように、自分たちのお笑いセンスに合わせた審査しかできないだろう。でも、それはそれで幸せなことなのだろうと思う、自分たちにとって。


 一昨年「大日本人」を観にいった時、劇場はヤンキーで一杯だったのだが、映画が終わった時に面白かったという顔をしていたのは私一人だけだった。前述の「自分たち」に私が占める割合はどれくらいなのか、心もとない。
大日本人 通常盤 [DVD]
松本人志, 神木隆之介, UA, 板尾創路, 松本人志
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 でもさ、一方で民主的なS-1グランプリがあって、もう一方でエリート主義的なM-1グランプリがあって、更に別地点に現役お笑い戦士による独自基準(机上の空論という人もいるかもしれないけれど)ともいうべきキングオブコントがあるという状況は、日本のお笑い界の充実ぶりを示していると冗談抜きで思う。これで良いんじゃないの。