聖地巡礼

 例年、年末が近くなると仕事が忙しくなってくるのだが、もう我慢ができなかったのでラーメン二郎に行ってきた。二郎といってもただの二郎じゃない。田町は慶応義塾大学の真ん前にある、三田二郎本店だ。
 私のホームグラウンドは歌舞伎町二郎で、それなりに美味しく頂いているのだが、2ちゃんやミクシィのコミュによると本店の味には遠く及ばないらしい。それなら一度オリジンを訪ねてみようと思ったのだな。

 三田二郎の営業時間は11から16時頃まで。比較的空いているであろう昼過ぎを狙って家をでた。田町駅から歩くこと十数分、就職情報誌を渡してくるお姉さんにもっと偏差値の低い大学を十年以上前に卒業しているものでと心中で呟きつつ、三田二郎に到着すると昼休みはとっくに過ぎたというのにまだ長列が。さすがオリジネイターは違う。
 列に並んでいると、店の裏側でたむろしている別の集団が目についた。そうかあれが噂の鍋二郎か。二郎には慶應の学生向けにテイクアウトのサービスがあるのだが、持ち込みの鍋に料金分のラーメンをよそってくれる形式なので、通称を鍋二郎という。歌舞伎町や池袋といった支店ではついぞお目にかかったことがない。この目で見れる日がこようとは。

 数十分経つと列が進み、食券を買った。ぶたラーメン600円。安い。食券は使い回しのプラスチック製で、豚の脂でヌルベトしているのも、のいかにも本店といった感じ。イスラム教徒は触れるのさえ嫌がりそうだ。
 トッピングにニンニクだけ注文し、出てきたラーメンを喰らう。美味い。美味すぎる。これがオリジナルか。
だが、量が多い。麺を手繰っても手繰って減らない。今までに訪れたどんな支店よりも多い。安いのに。二郎とは底が丸見えの底無し沼であるとの言葉をネットで見かけたが、あれは本店のことをいっていたのか。
 そういや列に並んでいる途中、いかにも良いとこのお嬢様学生らしき集団が長蛇の列を見て、「ここ大盛りで有名な店なのよね〜」などと囃したてながら通り過ぎてったのだが、その時は二郎の魅力は大盛りじゃなくて味なんじゃ!と多少憤ったものの、確かに彼女達の言い分は当たっていた。これは多い。私は普通に健康な32才男子なので、多少の大食いは難なくこなせる方だという自負もあったのだが、果たして完食できるのだろうかと不安になってきた。
 だが、ラーメン自体は美味い。そこで腹がパンパンになるのを覚悟で麺を手繰り、腹に収める。苦しくなってきたら水を飲む。こういうラーメン屋にありがちなことであるのだが、これだけの人数が店内に入っているのに、誰も一言も喋らない。皆、一様に無言でラーメンを手繰り、啜っている。時折トッピングの注文と、店主と部下らしき若い店員との会話が漏れ聞こえてくるのみだ。
 だからといってラーメンが不味いわけではない。ラーメンは確かに美味い。他人と話す必要などない。そこにあるのはパンパンになった己の腹と、大量のラーメンのみ。そう、これは自分とのラーメンの二者のみが織り成す祝祭空間なのだ。

 いや、二者ではない。正確にいえばラーメンを作る店主がいる。総白髪の初老の男性なのだが、これくらいの年の男性が、懸命になってラーメンを作る姿をみていると、こんな捻くれ者の自分でも感謝の情が沸いてくるのだな。
 湯気噴きあがる灼熱の店内で汗を拭き拭き麺を茹でたり豚肉を切ったり鍋二郎を用意している店主をみていると、自然に「ありがとう」という言葉が心中に沸いてくる。
 また、この店主の客への気遣いも相当なものだ。店内の混雑で客が難儀していると即座に「すいません」。二人連れが来ると相席になるようきちんと対応。珍しい女性客には麺少なめで対応。
歌舞伎町店なんかはこれ以上ないというくらい殺伐とした雰囲気なのにな。
 そういや2ちゃんやミクシィでは「総帥」と呼ばれ、最上級ののレスペクトが払われていた。店内も慶応のサークルが送った感謝状で一杯だ。さもありなん。

 ラーメンは美味かった。しかし正直なところ、私は舌が馬鹿な男であるせいか、歌舞伎町店や池袋店との味の差は感じなかった。野菜が多少シャキシャキしていたように感じたくらいだろうか。量はとてつもなく多かったけれども。
 しかし、「総帥」を一目見ることができたのは有意義な経験だった。機会があれば際訪しても良いかもしれない。勿論、極限まで腹を減らした状態で。