新しいホラー、新しいサスペンス、新しい映画:『ゼロ・グラビティ』

ゼロ・グラビティ』鑑賞。噂に違わぬ凄い映画だった。色んな人が今年のベストワンに挙げているのも分かるわあ。


本作を語る際、多くの人が「リアル」という言葉を使っているのだけれども、自分にはリアルな宇宙開発を描いているとは到底思えなかった。


以下、なるべくネタバレにならないように書くけれども、気になる方は読まないように。


まず、宇宙服と宇宙船の気圧調整という点で大嘘をついている。
地球上の大気圧は1気圧*1。宇宙空間は真空なので0気圧。ここまでは常識の範囲内だろう。
ところが、大抵の宇宙服の内部は1気圧じゃなくて0.3〜0.4気圧なんだよね。内部が一気圧の宇宙服で真空に出ると、パンパンに膨らんで身動きができなくなるためだ。
かといって、膨らまない硬質の素材で宇宙服を作ると重く、大きくなりすぎて運用し難い。1気圧から急激に0.3〜0.4気圧に下げると減圧症が発生するという問題もある。そこで、数時間かけて船内の気圧を0.7に下げ、更にエアロックに入って0.3に下げる、同時に酸素分圧も上げたり100%酸素を吸ったりする……なんてことをするわけだ。本作のように、船外で問題が起こったのでパッと宇宙服に着替えて宇宙空間に出て作業する……みたいなことはできないのだな。ここら辺は『ムーンライトマイル』でも描かれていた。
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また、本作はハッブル宇宙望遠鏡の修理中に事故に遭ったという設定なのだけれども、国際宇宙ステーション(ISS)や中国の宇宙ステーション(天宮)まで、宇宙服に着いたジェットパックやらなんやらでわりあいカジュアルに移動しているのだな。実は、ハッブルISSも天宮も、全く異なる高度で、全く異なる傾斜角の軌道を周回している。大きさも傾きも全く異なる円周上を回っているわけで、あんなに気楽に移動できない筈なのだ。
参考:『ゼロ・グラビティ』は現実には起こり得ない。ハッブル修理の宇宙飛行士語る(動画あり) | ギズモード・ジャパン
それが、劇中ではこの三つがあたかも同じ軌道にいるかのように描かれている。これはストーリーをシンプルにするためなのだろうが、冒頭でデブリの軌道に言及しているだけに、違和感を感じてしまうのだな。


デブリといえば、「90分で地球を一周する」というのも良く分からなかった。衛星破壊で発生したデブリは一個一個が異なる速さである筈だ。とすれば、デブリ一個一個はそれぞれ異なる軌道を異なる速さで周回したり、軌道を離れて地球から飛び去っていく筈だ。90分きっかりで襲ってくるものなのかね? で、相対速度でそれほどの速さなのに、肉眼で目視できるほどなのかね?
今調べたら、高度約400kmを周回しているISSも約90分間で地球を一周していて、その速度は秒速で約8km。ライフルの弾よりも速いスピードで地球の周りを飛んでいるそうだ。


更にラスト。無重力空間に一週間もいた人間が、地球に着いてすぐ、あんなに力強く泳げたり、立ったりできるものなのかね? 無重力空間では筋肉がどんどん萎縮してしまうというのはよく知られた話だ。アポロ計画の時代に長期間無重力状態で過ごした宇宙飛行士は、地球帰還後自力では立ち上がれなくほどの筋萎縮や骨密度の低下が起こっていた。これを防ぐために、以後の宇宙計画では毎日3、4時間の宇宙船内での筋トレが義務付けられるようになったのだが、それでも筋萎縮や骨密度の低下を完全に防げるわけではない。作品のテーマにも関わることなのだが、あんなにも力強く立てるものなのだろうか。



ただ、それでも自分はこの映画を傑作だと思う。
本作はSFではなく、独自の物理法則や宇宙開発技術が支配・発達したファンタジー世界を舞台にしたサスペンス映画でありホラー映画なのだ。サイエンス・フィクションではなく、サイ・ファイというか、すこしふしぎ*2というか、サイエンスっぽいファンタジー世界での、だ。
この視点でみると、本作はかなりよくできている。


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まず冒頭、『トゥモロー・ワールド』を超えた驚異のワンカットで描かれるサンドラ・ブロックの宇宙漂流は、この世界の恐怖を良く表している。アームの先から投げ出されたので、遠心力がつき、かなりのスピードで放り出された筈だ。それでも、ジェットパックがあれば助かる。しかし、慣性を制御できる噴射装置なり手摺なりが無ければ、助けてくれる誰かがいなければ、宇宙を漂流し、死ぬしかない。すぐには死なないけれども、やがて酸素が尽き、死ぬ。この映画で最も恐ろしい事態はこれだ! というのを大迫力で説明しているわけだ。
おまけに、音が良い。最初は完全に無音で、このままドキュメンタリータッチかと思わせておいて、修理シーンで宇宙服の中で聞こえる音を聞かせる。カメラも宇宙服の中に入り、呼吸音を聞かせる。知らず知らずのうちに効果音も鳴らす。リアリティと作為性のバランスが上手い。
その後巻き起こるジェットコースター的なハプニングに次ぐハプニングも、「リアリティと作為性のバランス」という視点で考えると、実に上手い。上記したようなサイエンス面での不合理さを考慮したら、91分という短さにも関わらず鑑賞後にはどっと疲れるこのテンポの映画にはならなかっただろうし、とてもじゃないが二時間に収まらなかっただろう。


そう考えると、『ゼロ・グラビティ』が「映画」というメディアを更新したうんぬん言われているのは、つまり「恐怖」を表現する新しい手法を発明したからなのだと思う。
リュミエールの時代は、列車がスクリーンの奥からこちらに向かってくるだけで恐怖した。映画の中で殺人が起こったら、それが現実の殺人でなくても、我々は恐怖した。幽霊や怪物が現れたら、それがたとえ合成やラテックスの産物であっても、まるで現実であるかのように恐怖した。殺人ロボットや獰猛な恐竜が圧倒的な説得力を持つ映像表現で描かれたら、それがたとえ発達したCGの産物であっても、恐怖した。


本作における「あの手摺を掴み損なったら、すぐには死なないけど次第に空気が無くなって、絶対に死ぬ!」というのは、新しい「恐怖」表現だ。新しい「リアル」と呼び換えても良い。海水浴に行った夜は、もう海から出た筈なのに寝床の中でも波に揺られているような感覚が残る時がある。『ゼロ・グラビティ』には、それと似たような肉体的恐怖がある。これは新しい。
更に、そういった肉体的――映像面での恐怖に加えて、生きる意味を喪失する恐怖――精神面での恐怖もあますことなく描かれている。本作の登場人物は、声だけ出演のエド・ハリスを加えれば主に三人しか居ないのだが、それでも「一人」になった時の絶望感は圧倒的だ。それでも生きる理由はなにか。これまでも多くの映画で問われてきた主題が、新しい恐怖――新しいシチュエーションで描かれる。
これこそ真の意味でのホラー映画であり、真の意味でのサスペンス映画ではなかろうか。


それでも、一旦静止したかのようにみえたジョージ・クルーニーが、カラビナを外した途端また動き出す不自然さ――という問題は残るのだけれども、これはDVD化された時に修正されるはず! ぜったい!!

*1:厳密に書けば高地に行くほど大気圧は下がり、富士山頂では0.7気圧になったりするが、とりあえず横に置いておく

*2:藤子・F・不二夫のSF短編はサイエンス・フィクションとしても完成度が高かったので、この喩えは適切でないかも