断罪する嫁:『凶悪』

『凶悪』鑑賞。
凶悪―ある死刑囚の告発 (新潮文庫)
新潮45」編集部
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有名なルポルタージュ『凶悪―ある死刑囚の告発―』が映画化されると聞いたのは『冷たい熱帯魚』が大ヒットした直後だった。だから映画『凶悪』は『冷たい熱帯魚』のフォロワー作品みたいなものになるかと想像していたのだが、全く違うアプローチで「殺人事件の映画化」に挑んだ力作だった。ピエール瀧リリー・フランキーの衝撃演技ばかり取り沙汰されているが*1、自分が驚いたのは映画化に当たっての改変というか創作部分だった。まさかあの原作から「本当に凶悪なのは誰か」みたいな話にもっていくとは! 脚本も書いた白石和彌監督はなかなかにクレバーだと思う。


ルポルタージュというジャンルでは、基本的に著者のプライベートはあまり記述されない。著者がどんな生活をしていて、どんな家庭環境を抱えていて、心理的にどんな立ち位置でその題材に取り組んでいるかは、明示するものではなく、行間から立ち上らせるもの、あるいは立ち上ってしまうものだからである。これは一応、「ジャーナリズムとは不偏不党、公平中立を是とする」という建前*2に関係している。
『凶悪』を映画化するにあたり、白石監督が付け足したのは、ルポルタージュを書いた著者――山田孝之演じる主人公の家庭環境だ。ピエール瀧演じる死刑囚の導きでリリー・フランキー演じる「先生」の犯罪を暴くというメインストーリーは原作に準じている。これに、池脇千鶴演じる嫁と認知症を患った母親との三人暮らし、日々進行していく姑の認知症で嫁は疲弊気味、そして主人公はそんな家庭の問題から逃避するために「隠蔽された殺人事件を暴く」という「正義」の仕事にのめり込んでゆく――というサイドストーリーを付け足しているわけだ。
勿論、これは創作なのだが、『凶悪』というルポルタージュを劇映画化(それも『冷たい熱帯魚』とは違う方向性で)するにあたって、これ以上はないというくらいクレバーなやり方だと思う。


何故なら、主人公を魅了し、老人を「死」に近づかせることで自己利益を引き出すという点で、二人は共通しているからだ。


本作で元暴力団員の死刑囚を演じるピエール瀧は異様な色気に満ちている。髪も肌も艶々と黒光り。子供の横で情婦とセックスしながら電話に出る。普通に話していると思いきや、瞬間的に暴力性を発露する……どことなく80年代のビートたけしを思わせる。リリー・フランキー演じる「先生」が思わず「僕もいいかな?」と死体処理を手伝ったり、別れた情婦がまだ未練を残していたりするのも頷ける色気だ。当然、主人公も瀧の色気に惹かれていく。それまで礼儀正しかった滝が突如として放つ暴力性にヤられるのだ。
滝とリリーは認知症の老人から土地を奪ったり、借金まみれの老人を保険金殺人に追い込むことで大金を得る。老人ホームの経営者から獲物を「斡旋」して貰ったりもする。リリーが放つ台詞が凄い。「親から受け継いだ土地でのうのうと暮らし、借金を残していく老人を許せるかね? 我々にとって老人は油田だよ。世の中は不況だけど、我々はバブルじゃないか」みたいなことを言うのだ(うろ覚えです)。



以下ネタバレ。



主人公は認知症の母とその介護に疲弊する嫁を家に残し、どんどん取材という名の「正義」の仕事にハマっていくのだが、これを断罪するのが池脇千鶴演じる嫁である。
主人公がやっとの思いで世に出したルポルタージュを読んだ嫁は「他人の殺人にのめり込むのは楽しいよね? 私も楽しかったもの!」と断罪するのだ。おまけに離婚届という最終兵器まで出される。家庭から仕事に逃げた主人公だが、こんなことを嫁に言われてはもう逃げられない。主人公に逃げ場なしだよ!


このシーン、池脇千鶴が本作のテーマをベラベラと喋りまくる。テーマを登場人物の台詞で説明してしまう映画はゲンナリしがちなのだが、本作は構成が上手いのであまり気にならない。前半はピエール瀧リリー・フランキーの演技に驚かされ、中盤はいじめ殺されるジジ・ぶぅに驚かされ、後半は池脇千鶴演じる嫁の断罪に驚かされるのだ。どことなく『レボリューショナリー・ロード』を思い出したりもしたよ。
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で、結局、主人公は母を老人ホームに入れる。この映画における老人ホームはただの老人ホームではない。性悪な人間が老人から搾取し、死に追い込むことで利益を得る姥捨てホロコーストだ(勿論、現実の老人ホームがそんな悪辣な施設でないことは承知の上で書いてますよ)。
不良債権化した老人を死に追い込むことで利益を得る」という意味で主人公は滝やリリーと同罪だし、「他人の死を望み、楽しんでいる」という意味で、主人公のみならず観客は滝やリリーと同罪なのだ。
何が恐ろしかったかって、瀧とリリーがギャハギャハ笑いながらジジ・ぶぅをいじめ殺しているシーンよりも、池脇千鶴が痴呆症の姑に叩かれたり、叩いていることを告白しているシーンの方が「凶悪」なことだ。男とは常に嫁に断罪されながら生きる生き物なのだな。

*1:勿論、そこも素晴らしいのだが

*2:これはジャーナリズムに「中立」が存在しないからこそ建前となっている