この国に夢なんてない:『はじまりのみち』

世の中には二種類の男がいる。マザコンロリコンかの二種類だ。おれは前者なのだが、原恵一初の実写作品『はじまりのみち』はそれ以外の意味でもツボに入る映画だった。


『はじまりのみち』は映画監督 木下恵介が戦時中、脳溢血で寝たきりになった母をリヤカーに乗せ、50 km以上の山道を歩いて疎開したエピソードを映画化したものだ。
当時、木下恵介プロパガンダ映画として監督した『陸軍*1』のラストが軍部の不興を買い、次作を撮れなくなってしまう。絶望した木下は松竹を辞し、浜松の実家に帰る。その浜松も度々空襲を受けるようになり、伊豆半島でももっと田舎に疎開しようとする。だが母は寝たきりなので、とてもじゃないけどバスに乗れないと主張する木下……といった状況説明が映画の冒頭で足早になされる。
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はっきりいって、欠点のない映画というわけでは決してない。冒頭は説明台詞が満載だし、音楽の使い方も説明的だ。主人公はクライマックス以降、二度も涙する*2し、濱田岳演じる便利屋のコメディリリーフっぷりは時々過剰すぎて、なんだか演劇的を通り越して漫画的ですらある。また、21世紀に太平洋戦争中の映画を低予算*3で撮る難しさからか、ここぞという場面で奥行きのない映像が続いてしまう。
そして何よりも、本作では木下映画の映像が幾つもそのままの形で引用されるのだが、本家本元のフィルムが持つ迫力に、実写映画作品に初めてとりくむ原監督の映像が、明らかに力負けしてしまっている。


ただ、最後の欠点は、実は意図的なものなのではないかとも思うんだよね。


原監督の映画では、「現実を憎悪する登場人物」というのが重要な要素だった。『モーレツ!オトナ帝国の逆襲』に出てくるイエスタデイ・ワンスモアのケンとチャコは何ら反省することなく経済成長を遂げてしまった日本社会を憎悪していたし、『カラフル』の「ぼく」は不倫する母や頼りない父や援交するクラスメイトといった汚い人間が存在する世の中を憎悪していた。彼らはそんな社会や世の中という現実にある意味「見切り」をつけた人間で、それが物語をドライブするキーポイントだったり謎の答えだったりしていた。
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『はじまりのみち』の主人公である加瀬亮演じる木下恵介――正吉も、自由に映画を撮れない現実に絶望している。兄*4の優しい言葉にも「この国に夢なんてないよ」とつれない言葉を返してしまう。それは、国家総動員法による思想統制や検閲が当然のものとなった戦時中をさす言葉であるのだが、過去作におけるケンや「ぼく」の言葉のように、どこかしら我々の生きている現実に向けられた言葉のようにも感じられる。


以下ネタバレ。


そんな正吉が、思いもかけず救われる、きっかけは、それまで心の底で蔑み馬鹿にしていた便利屋が自分の作品に共感していたという事実だ。正吉にとって映画を作る理由が再確認される。軍部という世の中の趨勢を占める組織に否定された作品であっても、誰かの心を確かに打っていた。本作は原恵一にとっての木下恵介批評でありつつ、映画監督論――クリエーター論でもあるのだ。
本作では『陸軍』の有名なクライマックス・シーンに加えて、木下監督の過去作がダイジェストとして延々と引用される。加瀬亮ユースケ・サンタマリアがしょっぱい顔でリヤカーを牽いたり、貧相な顔で母の髪をとかしたりするのに比べて、『破れ太鼓』の坂妻が様々なニュアンスをこめた涙を流しながらカレーを喰ったり、『カルメン故郷に帰る』の高峰秀子が緑いっぱいの草原にて笑顔で踊り狂うさまの方が魅力的に映る。
でも、それは仕方がないんだよな。しょっぱくて貧相な現実よりも、人々の夢や理想を映しこんだ虚構である映画の方が魅力的なのは仕方がない。「20世紀博」や「やりなおしの人生」の方が魅力的であるように。


それでもおれ達はこの現実で生きていくしかない。下品なことばかりするしんちゃんや、これ以上ないというくらいブサイクな佐野唱子、無学で女の尻ばかり追いかけるカレーライスの便利屋は、そのためのトリガーであり、しょっぱくて貧相な現実の象徴だ。
しかも、虚構である映画は、現実に対抗するものではなく、現実を応援してくれる存在でもある。おそらく映画会社の要請で挿入されたであろう過去作のダイジェストは、『新・喜びも悲しみも幾歳月』の何気ない台詞で終わる。何気ない台詞だが、全く違った意味に聞こえる。しかもその後、映画が終わるラストカットは、原自身の過去作である『アッパレ! 戦国大合戦』だったりする。これは木下と原の現実が、映画という夢や虚構に応援されて勝利したことを意味しているのではなかろうか。

*1:冒頭、日清戦争で手に入れた筈の遼東半島を三国干渉で手放さなければいけないことに激昂する父の姿にちょっと前に観た『セデック・バレ』を思い出したりする

*2:一般的に登場人物が何度も泣く映画ほど演出的に低級とされる

*3:つまりはCG無し

*4:ユースケ・サンタマリアがバラエティー番組では決してみせない抑えた芝居で演じている