怒りの資格:『今日もいい天気 田舎暮らし編』、『同 原発事故編』

お気に入りのラジオを聴きながらコーラとか飲みつつ360をプレイするのが最高の幸せと考えている昨今だ。
先々週くらいの『きかせられないラジオ』で紹介されていた『今日もいい天気』を読んだのだが、えらい面白かったのでご紹介したい。



ある程度年齢のいったおっさんの夢として、「老後はDASH村みたいな田舎で悠々自適に暮らしたい」というものがある。
DASH村みたいな」という点が肝心だ。
地縁や血縁や情念でガチガチに縛られたムラ社会で、額に汗して儲からない農業をする「田舎」ではなく、日本が景気の良い頃に会社勤めで貯めたカネを使って地方の安い土地に広い家を購入し、遊び半分の家庭菜園をしつつ車を乗り回して大型ショッピングモールでDIYやBBQ用品を揃え、大量消費と適度な自然とスローライフの三つを思いっきりエンジョイできる「田舎」だ。
そんな「田舎」は夢の中にしか存在しないんじゃないかとも思うのだが、「DASH村」はテレビの中に確かに存在していた。DASH村は全ての日本人――泥まみれになりながら田植えをしたこともなければ、蟲に刺されながら野良仕事をしたこともない多くの日本人にとっての精神的な故郷だった。
そんなDASH村が、311の原発事故によって失われた、これは日本人にとっての「田舎」が失われたことを意味する――という内容のエントリを以前書いた
『今日もいい天気 田舎暮らし編』、『同 原発事故編』と二冊続けて読んで、ある意味似たようなことを感じた。


著者の山本おさむ聾学校を舞台にした『どんぐりの家』や『遥かなる甲子園』、ネフローゼの天才棋士 村山聖の人生を描いた『聖-天才・羽生が恐れた男』といった作品で有名だ。山本おさむは1954年生まれなのだが、カッチリとした絵柄と考え抜かれたネームに加えて、骨太な題材をテーマに持ってくることが特徴で、これらは師匠である尾瀬あきらやアシスタント経験者である太田垣康男にも共通している。
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そんな山本がエッセイマンガというか日常を描いた日記マンガを描くとどうなるか――というのが『今日もいい天気 田舎暮らし編』だ。
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埼玉でのハードな漫画家生活に疲弊した山本は、妻の両親の出身地である福島に家を購入する。頭の中にあるのは「DASH村みたいな田舎で悠々自適に暮らしたい」という思いだ。当然ながら、漫画家を辞めるつもりも引退できる貯金も無い。だから、埼玉の仕事場だけは残し、福島でネームを考え、埼玉でアシスタントと共に画を描くという二重生活を送ることとなる。
福島の空気は上手いし飯も美味い。温泉も気持ちが良い。しかし、ネームも考えねばならない。温泉の気持ちよさでネームがなかなか進まず、結局徹夜してしまうという、日記マンガにありがちなボンクラエピソードが、障害や差別を描くのと同じ山本のカッチリした画で表現されるさまには、独特の面白さがある*1
また、同居することになった妻の両親や、同じく田舎暮らしを楽しもうと山奥に古民家を借りた尾瀬あきらとのエピソードも楽しい。病気で身体が不自由になった義父が「乙武くんがこうやって食べているのをみて真似しようと思ったんだ」と他人の手をなるべく借りずに食事するさまにはなんだか感じ入ってしまった。師匠というよりは年上の悪戯友達のように描かれる尾瀬あきらと二人で家飲みしたり、周囲に気兼ねなく大画面・大音量で『アラビアのロレンス』を観賞するさまは、まるでおっさんの秘密基地感覚だ。虫に刺されて顔が腫れたり、山歩きでゴアテックスのウェア自慢する奥さんには笑った。オニヤンマやカブトムシを採集できる嬉しさに歓喜したり、身体の不自由な義父のために身体を動かしたり、終始に渡って山本はまるで新しい遊び場を見つけた子供のように動き回るのだが、画ではハゲ頭の初老のおっさんとして描かれるのが良い。
『今日もいい天気』しんぶん赤旗日曜版で連載されていたのだが、「赤旗で連載されてる漫画なんてどうせ○○なんじゃないの?」というレッテルを張っていた自分が恥ずかしくなるような、純粋な楽しさに満ちた漫画であった。



そんな山本一家のライフスタイルが311でどう変化したかが続編である『今日もいい天気 原発事故編』で描かれる。
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山本が居を構えた天栄村は、福島第一原子力発電所から70キロ圏内にある。震災と原発事故が起こった日、山本は奥さんと愛犬コタを天栄村に残し、埼玉で仕事中であった。
原発事故がどの程度のものなのか、もう少し待てば事態は終息するのか。妻と愛犬を避難させるべきか、もうしばらく様子をみるべきか。状況が全く分からず不透明な中、山本は「一日も早くわが家へ帰りたくて安全洗脳作戦に傾いていく自分」と「疑いを持ち埼玉にとどまろうとする自分」の二人に分裂する。二人の山本が言い争うさまが、「田舎暮らし編」と同じくカッチリした画で描かれる。
結局。山本は奥さんと愛犬を避難させる。5時間半かけて女ひとりと犬一匹で車を運転し、埼玉にたどりついた奥さんはちょっと涙ぐんでいた――という描写に少し萌えた。山本は奥さんを愛してるんだなあ。
ところが埼玉の仕事場の仮眠室は夫婦と犬一匹で過ごすには狭すぎた。ストレスで吠えまくり、家具やらなんやらを噛みまくるコタ。奥さんもなんだか不満そうだ。


原発事故が比較的落ち着いたようにみえたこともあり、車の窓を閉め切って、マスクにゴーグルという完全防備で天栄村に一時帰宅する。すると、なんと小学生がマスクもせずに通学しているではないか。ショックを受ける二人。
だが、久しぶりに我が家に戻り、先ほどの小学生がマスクをしていなかった理由を痛感する。生活していく以上、常にマスクをつけ、常に窓を閉め切っているわけにはいかない。悩んだ挙句、ガラスサッシを開けると、何ヶ月も締め切った室内に、爽やかな風が吹き込んでくる。この風の中にも放射性物質が混じっているだろう。だが、どうしようもない。ここにいる以上、一日中マスクをして戸を閉めきったまま性活できるわけではない。

さっき見た子どもたちや村の人たちもそうなのだと思った
彼らだって放射能が平気なわけではない
怖くないわけはない
しかしここで生活する以上多少の放射能は甘んじて受けるしかないのだ
あの原発事故はそういう世界をつくりだしてしまったのだ

叔父の容体が悪いこともあり、奥さんと愛犬コタはそのまま天栄村に残ることとなった。だが、しばらく後、何故か愛犬コタが吠えなくなる。抱き上げると、腕に血がついた。もしかしてコタは鼻血を出したのか? これは放射線障害ではないのか? そういえば奥さんも口内炎に悩まされているという。これはチェルノブイリ原発事故の被害者と同じ症状じゃないのか?
そして山本はガイガーカウンターを購入し、ひとり天栄村に戻る。自宅の庭や室内の放射線量を測定し、除染に取り組むのであった……


とにかく、原発事故や放射線に戸惑い悩み、東電や政治家に怒る山本の姿が本当にリアルだ。いや、リアルに起こったことなんだろうが。ストーリーテラーとして抜群の構成力を持っている山本が、混乱した状況をあまり整理せずに混乱したまま描いているのが良い。
山本のふるまいを「客観的でない」と切って捨てることは簡単だ。「放射脳」と哂う者もいるかもしれない。だが、あの時、自分がどういった心持ちだったのか、思い返してみて欲しい。福一の電源が喪失し、炉内温度は上昇しているというニュースを聞いた時を。福一が水素爆発を起こした時を。情報が錯綜し、放射線に関する知識もなく、実際は何が起こっているのか分からない。テレビに出ている識者の意見も、ネットの書き込みも、どれが正しくてどれが間違っているのかわからない。今住んでいる土地で大丈夫か、どこか遠い田舎へ引っ越すべきか、原発事故とそれによって撒き散らされた放射性物質が自分やその家族という個人にどの程度影響を与えるのか、正確に見積もれない。かといって、不用意に生活を変えて損をしても「自己責任」の一語で切り捨てられてしまう。我々は山本のふるまいを哂えない。誰もが主観的に、自分の立場を語るしかないのだ。
いましろたかしの『原発幻魔大戦』や福満しげゆきの『うちの妻ってどうでしょう?』4巻にも同様の描写があった。
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だが、『今日もいい天気 原発事故編』の方が、より切実だ。山本は終の棲家として福島を選んだのだから。
山本はそれまで住んでいたさいたま市のマンションを処分し、天栄村の家を買うためにローンまで組んでいる。最早、天栄村の住居は二束三文でしか二足三文でしか売れないだろう。
実際に身体を動かして自宅の除染をするも、すぐ疲労してビールに逃げるさまが良い。一方で、賠償金が出ると聞き、東京電力に電話する迫力が凄い。「山本おさむっていうんだ、よーく覚えといてくれ」この感情のふれ幅が、実に日記マンガ的だ。


もっといえば、所詮、山本の苦境は、カネで解決できるものであるともいえる。奥さんは東京生まれの東京育ちだ。天栄村と山本をリンクさせる根拠であった義父母は亡くなってしまった(本書の序盤で死が語られるのはそういう理由もあるだろう)。TOKIODASH村からDASH島に移住した。日本のどこか、原発事故の影響が全く無く、天栄村と同じく自然に溢れた土地に金銭負担ゼロで移住できれば、法律的にもライフスタイルの継続という意味でも、山本の悩みは解決するといえるのだ。


だが、感情的には別だ。
山本は事故を起こした東電を許せない。国民を欺いた政治家が許せない。
天栄村は山本の故郷ではない。だが、子供の時分に戻って、思い切り遊べた天栄村での生活は永遠に失われた。義父母は亡くなったし、悪ガキ仲間である尾瀬と山荘で酒を飲むこともできない。
しかし、おれに怒る資格があるのか? カネ以外の理由で?


……日記マンガであるにも関わらず、途中から放射能汚染ゼロのコメ栽培に取り組む天栄米栽培研究会や強制避難した大熊町議員のエピソードが描かれるのは、こういった理由からではなかろうか。
「俺は本当は悔しくてたまんねえんだ!! 自分の田んぼにセシウムなんてもんがあるってことが…!!」と激昂し、汚染除去に取り組むコメ農家の姿は胸をうつ。やっと基準値以下のコメを収穫でき、炊き立てのコメを涙を流しながらかきこむ姿には心を動かされる。
でもそれは、山本が自分の怒りを表現するには、『どんぐりの家』や『遥かなる甲子園』と同じく、マンガという自分の武器で彼らの怒りを代弁するしかなかったからでもあるんだよね。突き詰めれば、山本にはカネ以外の理由で怒る理由が無かったのだから。


そしてそれは、福島以外の地域に住んでいる自分達にも共通する、共通してしまう理由でもあるのだ。

あいつらは知り抜いている
俺たちがテレビのスイッチを切ればすぐに忘れて平気で飯を食うということを
そうやって人をコケにして 俺たちはコケにされて 今日まできたのだ
俺はやっぱり福島へ帰ろう
福島に住んでいやでも福島を忘れないようにしよう
そして人をコケにしやがる政治家や官僚や経済人とやらを憎んでやろう
死ぬまで呪ってやろう
そんな感情論で何が解決するのだと言うやつがいたら張り倒してやろう
感情論の何が悪いのだ
痛ければ痛いと言うのだ

山本の叫びで終わる本書に、異様な迫力を感じてしまうのは、山本の姿に自分をみてしまう構造があるからだと思う。311や原発事故を描いたマンガが多数出版されるようになってきたが、その中でもとりわけ力を持った名著である。

*1:中村珍が日記マンガを描いたら、『アヴァール戦記』みたいにすごーくライトな絵柄になるのと対照的だ