詩人のアイロニー:『希望の国』

希望の国』鑑賞。
前作『ヒミズ』が自分としてはイマイチだったので、期待せず観たのだが、傑作だった。


日本映画には『生きものの記録』や『原爆の子』、『第五福竜丸』や『黒い雨』、『父と暮せば』といった、その時代時代に原水爆放射能と正面から向き合った名作がある。当然のことながら、それらは日本が被爆国であることと大いに関係があるし、時代と作品によって原水爆放射能の扱いも異なる。共通しているのは、政治家や官僚ではなく市井の人々の目線によって語ること、フィクションにせよドキュメンタリーにせよ普遍的な物語を語ること、そして、現実を抉るような時代性の反映にあるだろう。
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希望の国』は、原水爆ではなく大地震原発事故――東日本大震災を扱っているものの、こういった日本映画の系譜に属する作品だと思う。


まず冒頭からして最高だ。園子温は常に家族を主題とする映画作家だが、『冷たい熱帯魚』では目を合わさずに冷凍食品を食っていた家族が、本作では暖かい味噌汁を仲良さげに啜る。園子温過去作に特有の親子間の憎悪もなく、布団の中ではしゃぐ認知症の姑に微笑む息子夫婦という微笑ましさだ。園子温映画でこんなに家族仲の良い映画は珍しい。これはおそらく『ちゃんと伝える』にて父子間の憎悪を映画作家的に解消し、神楽坂恵と結婚した後の親子観や家族観が反映されているのだろう。


強烈に感じるのは、園子温の言葉に対する感受性の鋭さだ。
たとえば大谷直子演じる認知症の母は、ことあるごとに「帰ろうよ、おうちに帰ろうよ」と訴える。家にいるにも関わらずだ。当然、この台詞は、世界に希望を抱けていた若い頃に戻りたいとか、原発事故前の世界に帰りたいとか、様々な意味を見出してしまう。
その他、「日本人なのに日本を自由に歩けないなんておかしいね」とか、「父ちゃん、あんなに反対してたのに、原発できたんか」とか、「自分の体がのうなったみたいや」といった台詞にも、字義以上の意味を考えてしまう。しかも名前は『智恵子抄』の智恵子だ。『レボリューショナリー・ロード』におけるマイケル・シャノンのような、作り手の想いを代弁するような存在に思えた。
更に、夏八木勲演じる父が口にする、杭云々に関する台詞も良い。「人は生きる時に何度も杭が打たれる。その杭が今回は放射能だった」そして、息子は自分と父の前に打たれる杭を幻視する。この「杭」は、世界を分ける印である杭と同時に、人生を分ける「悔い」も意味しているのではないか。


かように、本作の登場人物が吐く言葉は、どれも多義的だ。そういえば、園子温は映画監督になる前、詩人だった。現代詩手帖ユリイカに自作の詩を投稿し、「ジーパンを履いた朔太郎」と評されていた。


そもそもタイトルからして意味深だ。『よい戦争』や『希望の国エクソダス』にも通じるアイロニーを感じる。
本作の物語は、主に三組の男女を主人公とした目線で語られる。園子温が日本の未来に字義通りの希望を抱いているわけではないということは、夫婦二組の帰結をみる限り明らかだ。それでも、清水優と梶原ひかり*1演じる若いカップルが「一歩、一歩」と廃墟を歩く姿には、園が本当に希望を見出しているのではなかろうかと感じるものがある。


対して、劇中のテレビから流れてくる台詞は、どれも薄っぺらい。大谷直子夏八木勲が吐く台詞が色々な意味を含んでいるのに対し、「直ちに影響はありません」とか「どーんと構えればいいんです」とか「がんばろう、長島県」とかいったフレーズは、何の意味も持たない。


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だから自分は、妊娠した途端に放射能を恐れ、防護服を着て買い物にでかける神楽坂恵の姿に、全く笑えなかった。『生きものの記録』で、原水爆の脅威から逃れるために全財産を投げうってブラジルに移住しようとしている三船敏郎の姿が、全く笑えないのと同じだ。
その後の、ムラジュン演じる夫と医者とのやりとりも秀逸だ。「放射能と楽しく暮らせって言うんですか?」と詰め寄るムラジュンの問いに答えず、医者は「奥さんは放射能恐怖症です」と返す。原発事故が二度も起きたこの世界で、放射能と楽しく暮らせない人間は、放射能恐怖症と認定されるのだ。


更に、この映画の凄まじい点は、園が得意としているエログロ残酷描写を全く用いてないことだ。大地震は食卓の上のコップの揺れのみで表現されるし、動物や人の死も、巧みなイメージカットとして表現される。しかし、実際に動物や人が殺され、死ぬシーンをそのまま描くよりも衝撃的だ。まさか、花の上を風が吹き抜けたり、樹が燃えるシーンを、あんなにショックに感じるとは思わなかった。


更に更に、本作はそのほとんどを福島でロケしている。大谷直子が盆踊りを踊ったり、若いカップルが幽霊のような子供と出会ったりするシーンで、背景に映る廃墟や瓦礫は全て「本物」だ。今、『野良犬』や『原爆の子』といった映画を観て、背景に映る戦後直後の東京や広島の姿が、如何に雄弁なことか。何十年何百年と経って、フクイチが処理され、福島の地がすっかり復興したとしても、映画は雄弁さを失わない。本作は日本映画史に遺る。

*1:まさか『剣』の天音ちゃんだったとは……