中二病の進化型としての島本和彦+特撮マインド:『ダークシステム』

『ダークシステム完全版』観賞。ちょう面白かったよ!
レイトショーのみ・一日一回上映という公開形態から分かる通り、インディーズの自主映画なのだが、充実の内容だった。


浜辺で一枚の写真をじっとみつめる青年、加賀見。伸び放題の髪に眼鏡というその出で立ちは、モテないオーラ満載だ。そこへ突風が吹き、写真が風に飛ばされる。友人の西園寺が勢い良くジャンプしてキャッチする。ここまでこだわりの1カット。
……しかし、西園寺は写真をキャッチできていなかった。海水でびしゃびしゃになる写真。写っているのは加賀見に西園寺、そして二人が思いを寄せる女性、ユリちゃん――二人の関係性とその後の展開を予想させる、なかなかのオープニングだ。

「もしどちらかがユリちゃんとつきあったとしても、おれたちの友情は永遠に不滅だ!」

だが、なんだか微妙な違和感がある。自主映画特有の安っぽさや稚拙さでない。公園のブランコで「告白の練習」をするのは分かりやすいギャグとしてまだ理解でき。なんだか台詞回しがヘンなのだ。無駄に熱いというか、時代がかっているというか、語尾に「〜ぜ!」がつきまくるとか。
西園寺とユリちゃんが加賀見に交際を宣言した場面で、思いは確信に変わる。
恋人らしく手を繋いだ二人をみた加賀見は内心でこう呟く。

「あの距離、あの繋ぎ方……間違いない。この二人……してる!」

すげえ! こんなに童貞感あふれる台詞、久しぶりだよ!

「この世界……遠慮せん奴が勝つ!」
「Bクラスの女にそこまでのカネは出せん!」
「だから俺は、○○を作ったんだ」
「君のためなら時空も超えてみせるさ」
「おまえはもう死んでいい」
……

その後も名言が連発する。
アメイジングスパイダーマン』に足りなかったのはこれだったんだ! ……と膝を叩いたことは、書くまでもないだろう。


『ダークシステム』を読み解くキーワードを二つ挙げるなら「中二病」と「島本和彦」になる。

島本和彦にリスペクトを捧げるマンガ的な台詞と大人げない行動が爆発する、最強の中二病サイエンス・アクション

……というキャッチコピーもムネアツだ。


中二病」は「非モテ」や「コミュ力」と同様、使う者により定義が異なってしまう言葉だが、本作に限れば「大人であるにもかかわらず中学生みたいな言動を当然とする面白さ」と表現すれば適当ではなかろうか。
「西園寺」や「ファントム」といったネーミングセンス、西園寺が読む本のセレクト、加賀見が作る「ダークシステム」の玩具感*1、ヒロインであるユリちゃんのもっさり具合と内面のなさ、2400万円を億万長者扱いする金銭感覚……本作は隅々にまで中学生マインドが満ち溢れている。
ワンダービット 1 (MF文庫 9-4)
島本 和彦
4840120250

島本和彦のマンガの登場人物みたいな台詞回しや価値観、世界観も最高だ。
島本マンガの特徴といえば、後先考えない勢いや決断、そして熱血だろう。だが、単なる熱血ではない。本質はパロディマンガ家である島本和彦の描く熱血には、必ずきちんとした(屁)理屈がつけられている。
『ダークシステム』も、その点をきちんと受け継いでいる。
学生なのか社会人なのか判然としない加賀見や西園寺がダークシステムという超絶マシーンを製作できる世界観、ファントムの名前と時空を越えた秘密、ポーカー勝負の帰趨……
特に、加賀見が自らの太ももにナイフを突きつけるという後先考えない行動を起こすシーンは最高だった。出血多量で倒れた加賀見に優しい言葉をかけるユリちゃん。「自分で自分に刺した傷で女に同情されるなんて哀れな奴だな」
「違う。おれがナイフを刺したのは、おれ自身の行動だ。彼女はおれの行動に惚れたんだ!」
……というやりとり*2は、実に島本マンガチックだった。この、自らの意識をセッティングする為の屁理屈(別名「開き直り」)こそ島本マンガだ!


ただ、島本マンガの映像化にしては、ちょっとだけ違和感の残る点がある。
女性への扱いだ。
島本マンガは女性よりもカネを優先しない。たとえそれがギャグとしての描写であってもだ。それは、基本的にパロディ漫画家であると同時に少年漫画家としての自意識を持つ島本和彦リテラシーなのだが、本作『ダークシステム』はカネを優先してしまうギャグが多いんだよね。
この価値観は、どちらかといえば童貞――中二病的価値観なんじゃないかと思う。
更に、単なる島本ファンなら、「心に棚を作れ」「自分の墓穴くらい自分で掘れなくてどうする!?」といった名言を安易に引用しがちだが、それも無い。
単なる島本ファンによる島本マンガ的世界観の映像化というよりは、作り手の頭の中にあった中二病的要素を映画の中で面白おかしく表現しようと突き詰めていった結果、まるで収斂進化のように島本和彦的世界観に辿り着いたのではなかろうか。
そして、本作の島本和彦的要素が単なるサンプリングやパッチワークになっておらず、オリジナリティとなっている理由は、そこにこそあるのではなかろうか。


もう一点付け加えるとすれば、『ダークシステム』にはなんだか特撮マインドを感じてしまう。
勿論、高度なCGやらミニチュアやらを使っているというわけじゃない。予算が少ないにも関わらず、台詞の練り込みやら、計算された構図やら、楽しい小道具やら、演者の熱演やら、カッチョ良いカット割と音楽やらで少しでも面白くしようという熱意が伝わってきて、それが常に予算がない事を強いられる特撮作品と同じ匂いを感じてしまうのだ。
四畳半の室内で格闘する際の構図の練り込み具合はまるでウルトラセブンだし、「ダークシステム」の電子音声(という体の録音だけど)はファイズベルトを連想させるし、見栄を切った後の「何度も絶望させてくれてありがとうよ!」には仮面ライダーアクセルの「絶望が、おまえのゴールだ」という決め台詞に通じる小っ恥ずかしさと裏腹の格好良さを感じる……と言ったら言い過ぎだろうか。



あと、↑の画像が格好良すぎるので、だれかこれでTシャツを作って欲しい。


ともかく、「中二病」や「島本和彦」や「特撮マインド」といった言葉に激しく反応してしまう人なら、今すぐシネマロサにGOだ。SEE YOU NEXT DARK!

*1:こいつらどんだけLEGO好きなのか!

*2:うろ覚えです