言葉を手に入れたジャンゴ:『ジャンゴ 繋がれざる者』

思い返せば、タランティーノの映画では常に誰かが誰かのフリをしてきた。マフィアのフリをする潜入捜査官。忠義心を保ったフリをするマフィアの部下。スチュワーデスのフリをする運び屋。優しいママのフリをする女の殺し屋。引退したスタントマンのフリをする脚フェチ殺人鬼。無害なフランス人のフリをするユダヤ人にイタリア人のフリをする田舎者のアメリカ人。
「フリをする」という特徴は、そのままタランティーノの作風や創作の特徴とも繋がる。表面にみえるもののほとんどは過去の名作や、タランティーノが好きな作品の引用だ。だが、これをもってタランティーノの映画をただのパクリと評する者はいないだろう……ということを『イングロリアス・バスターズ』を観たときに書いた


ジャンゴ 繋がれざる者』を鑑賞して思ったのは、「フリをする」はタランティーノの映画そのものを駆動させる原理なんじゃなかろうか、ということだ。
たとえば、タランティーノ作品にはもう一つ共通している要素――「復讐」がある。しかし。「復讐」すらドラマツルギーを発生させるための仕組みにしかみえない時がある。『イングロリアス・バスターズ』でユダヤ人でないにも関わらずユダヤ人の復讐を手伝うアルド・レイン中尉や、本作でドイツ人であるにも関わらず黒人の復讐を手伝うシュルツ医師は、タランティーノの分身だ。彼らは「復讐するフリをする」ことで映画に参加する。「誰かに自由を与えたのははじめてだ」というシュルツの言葉は象徴的だ。タランティーノは脚本を書く事でキャラクターに自由を与えているのだから。
過去作品からのオタク的サンプリングも「フリをする」の一環じゃないかと思う。たとえば本作は、一見して『続 荒野の用心棒』や『殺しが静かにやってくる』、『怒りの荒野』のサンプリングであるように思える。しかし、「ジャンゴ」という名を受け継ぎながらも、『続 荒野の用心棒』で印象的だったマシンガンを乱射するシーンや手が潰されるシーンは無い。マカロニ・ウエスタンなら必ずあるはずの決闘シーンも無い。マカロニ・ウエスタンからの引用よりも、『マンディンゴ』や『残酷大陸』からの方が印象的だ。
イングロリアス・バスターズ』でタランティーノがやりたかったことは、戦争映画のフリをしつつ、映画による歴史改変と映画礼讃の炎をあげることだった。同様に『ジャンゴ』にも、マカロニ・ウエスタンのフリをしながらやりたいことが仕込まれているのだと思う。そういえばマカロニ・ウエスタンは元々「ウエスタンのフリをする」映画だった。


『ジャンゴ』が他のタランティーノ作品と比べて爽快感に溢れているのは、奴隷がヒーローに生まれ変わるというシンプルな成長物語が根底にあるからだ*1タランティーノの過去作の中でこんなにもシンプルな成長物語の構造を持つのは『トゥルー・ロマンス』くらいだろう。
トゥルー・ロマンス [DVD]
B00005V1CM
タランティーノのジャンゴは当初、自分で自分を所有できない奴隷だった。言葉も少なく、シュルツ医師とのやりとりも満足にできない。ドンジョンソンの農園での「違う」のやりとりは笑いどころであると同時に、人間として、映画の仲のヒーローとして、未熟であることを示している。


以下ネタバレ。


そんなジャンゴが、タランティーノの分身であるところのシュルツ医師の助けで成長する。服を貰い、銃の打ち方を覚える。
特に感動的なのは、レクィント・ディッキー鉱業社に送られる途上、ジャンゴが口八丁で相手を意のままに動かすシーンだ。
ジャンゴがシュルツ医師から受け継いだのは金や服や銃の打ち方だけではない。会話の仕方や詐術ぎりぎりの振る舞い方――「言葉」もしっかり受け継いだことを示す名シーンだ。その後、ジャンゴはシュルツ医師に投げキッスをする。自分をここまで育ててくれた師匠への、精一杯の御礼とレスペクトだ。
タランティーノの映画は、過剰な会話――「言葉」に溢れている。「言葉」が映画を支配しているといっていい。これまでマカロニ・ウエスタンに登場してきた数々のジャンゴたちが仏頂面で言葉少なであるのに対し、本作のジャンゴは件のシーン以降、やけに雄弁になる。タラの過去作で「雄弁な黒人」役を担ってきたサミュエル・L・ジャクソンを倒すのも、銃弾でなく言葉であるようにさえ思えてしまう。だからこそ、本作でマシンガンと決闘シーンの代わりに出てくるのは、会話であり「言葉」なのではなかろうか。
これは、タランティーノが映画監督である前に脚本家であることと大いに関係しているだろう。映画界との関わりも、でローレンス・ベンダーに脚本を書くように勧められたことがきっかけだった。その後、タランティーノは口八丁手八丁で監督業に乗り出し、時代の寵児として活躍することになる*2
ジャンゴは言葉を手に入れることでタランティーノ世界の住人となった。本作はマカロニ・ウエスタンでありつつ、アフリカ系アメリカ人エスニシティを描きつつ、タランティーノが考えるあるべき映画の姿を訴えているようにも思うのだ。

*1:『デスプルーフ』にも異様な爽快感があるのだが、文脈違うので除く

*2:そういや『パルプ・フィクション』の日本版キャッチコピー「時代にとどめを刺す」はさぶかったなぁ