ジョーカーと生きる:『先生を流産させる会』

先日、テレビで『ダークナイト』が放映されていた。
その数週間前に『先生を流産させる会』を観たのだが、両者の相違点について思い浮かんだのでちょっと書いてみたい。


『先生を流産させる会』、自分は立ち見が出るほど大混雑の映画館で観たのだが、ちょう素晴らしい映画だった。まず、自主制作にも関わらず高いクオリティの画作りにびっくりした。『サウダーヂ』も同様だったのだが、やる気とセンスさえあれば21世紀の『狂い咲きサンダーロード』は作れるんだなぁ、なんてことを思ったよ。
最近のシネコン映画ではついぞみられなくなった、なるべく映像でメッセージを伝えようとする姿勢も素晴らしい。フミホママのクリームぬりぬり描写にはミヅキとは別のモンスター性を感じたし、ミヅキからフミホへのバッグの受け渡し一つで関係性を説滅するカットなぞゾクゾクしたよ。サワコ先生の台詞が説明的に過ぎるシーンがあったけれども。
文芸面では「真の悪意をもつ映画だけが人を感動させることができるのだ」という柳下毅一郎の評が全て言い表していて、自分などが何かを付け加えるのは難しいように思う。それでも敢えて書くのならば、小林香織演じるミヅキというキャラクターの特異性についてだろう。


『先生を流産させる会』におけるミヅキは、映画史に残るキャラクターだ。同年代の女子中学生を挽きつけるカリスマ性、母親や肉親が一切登場しない出自不明性、どんなことがあっても表情を変えないふてぶてしさ……
つまり、ミヅキは『先生を流産させる会』という映画世界におけるジョーカーだったのだ。ジョーカーといっても原作アメコミ版、カートゥーン版、ティム・バートン版……様々なジョーカー像があるが、ここで対応させたいのは『ダークナイト』におけるジョーカーだ。


自分は特撮やアメコミヒーローが大好きなオタクであるわけだけれども、クリストファー・ノーランの監督するバットマン映画があまり好きではない。映画的な完成度は無茶苦茶高いと思うのだが、別にバットマンを題材にしなくても構わないのではないかと思うのだ(だから『インセプション』はかなり好きである)。ティム・バートンの二番煎じをやるわけにはいかなかったという理由は分かるのだが、カートゥーン・ネットワークで放映されている『バットマン』や『バットマン:ブレイブ&ボールド』、『アーカムアサイラム』や『アーカム・シティ』といったゲーム世界のバットマンに触れるにつけ、こんなにくそ真面目な世界観にバットマンを放り込まなくても良いのではないかと思うのだ。
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それでも『ダークナイト』のジョーカーは良かった。くそ真面目な世界観にジョーカーというアメコミ的なキャラが放り込まれた意味が充分にあった。現代におけるテロリストはあのようなものだ。仲間を従えるカリスマ性、どんな場所から誕生するか分からない無名性、そして暴力では決して根絶できないふてぶてしさ……
翻って、『ダークナイト』のバットマンにはバットマンである理由があった。バットマンがやっていることは暴力に任せた拉致や盗聴、自らのカリスマ性を利用した警察行政や政治家との癒着……バットマンとジョーカーがやっていることは本質的に変わりがない。バットマンは「正義」の名を借りたテロリストだ。おお、なんということだろう。『キリング・ジョーク』で言及された「おれ達は裏表」というバットマンとジョーカーの関係性が、ティム・バートン版よりもバットマンらしさを感じなかったノーラン版『バットマン』に当てはまろうとは。おれの目は節穴だった!……と興奮してしまったわけですよ、映画観てる間は。


で、改めて二作について考えるに、『先生を流産させる会』は、ジョーカーを更正させるという、『ダークナイト』が為しえなかったことを実現した映画だったのではないかと思うのだ。
『先生を流産させる会』におけるサワコ先生は、ミヅキと相対するキャラクターだ。教師と生徒、大人と子供、女と少女、妊婦と非妊婦、成熟と未熟、母性と非母性……『ダークナイト』におけるバットマンとジョーカーがそうであるように、サワコ先生とミヅキは裏表の関係にあるといっていい。
そして、フミホママのような「善良な小市民」の目から見れば、ミヅキのようなミュータントはテロリストに他ならない。精神障害者てんかん患者や生保不正受給者が凶悪犯罪者のように見做され排除されるホラーハウスな社会では、ミヅキの主催する「先生を流産させる会」はどんなに子供っぽかろうがアルカイーダ予備軍のように認識されるのだ。
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でも、『先生を流産させる会』の素晴らしいところは、そのようなジョーカーを排除しようとせず、身をもって更正させようと試みるところなんだよな。この一点において『先生を流産させる会』は『ダークナイト』が為しえなかったことを実現した映画だったのではないかと思うのだ。
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まぁ、『先生を流産させる会』のスタッフが何を考えてこの映画を作ったかなんて、本当のところはよく分からないよ。『サルまん』でいわれていたように、作品を作る際のテーマと興味の中心は関係なくて、「カッチョ良いメカがガンガン人殺しするシーンが観たい!」という興味でもって「平和」がテーマの戦争映画を作るように、「女子中学生が女教師にえげつないことするシーンが観たい!」という興味でもって「教育」や「社会」がテーマである本作を作ったのかもしれないよ。
それが本作に秘められた「真の悪意」だとしても、それ込みで時代を抉る名作なんじゃないかと思った。