彼女の理由:『ゼロ・ダーク・サーティ』

ゼロ・ダーク・サーティ』鑑賞。約160分という長尺だが、最初から最後までアドレナリン出っ放しの傑作だった。
冒頭の拷問シーンとケツの殺害ミッションシーンを除けば、会議室でごちゃごちゃやったり、机に突っ伏しながらパソコン操作するシーンが多くを占める映画なのだが、一瞬たりともダレたり退屈したりすることが無い。描かれた主題を含めて、とんでもない映画を観てしまったという気持ちでいっぱいだ。
まず目を引くのは、素っ気ないというか、極限まで情緒や湿っぽさをそぎ落としたかというか、独特の語り口、映像文法だ。前作『ハート・ロッカー』に似ているといえば似ているが、前作の爆破シーンやスナイプ戦にあったスローモーションのようなケレン味は無い。襲撃シーンのBGMも無く、サイレンサーを装備した銃はまるでエアガンみたいな音を立てる。
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だからといって退屈なわけでは勿論ない。むしろ、孤独な女主人公が異様な執念でビンラディン捜索に熱中するという物語に引き込まれてしまう。この映画でキャスリン・ビグローがやりたかったのは、10年に渡るCIA――つまりはアメリカによるビンラディン狩りを描きつつ、それを異様な執念で先導する女主人公の10年を自分史と重ねあわせることだったのではなかろうか。そういや『ブルースチール』も『悪魔の呼ぶ海へ』も、キャスリン・ビグローの女主人公ものは常にジェンダーと怪物に対抗するために怪物になる自分がテーマだった。
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以下、ネタバレだけどなるべくネタバレの無いように書くのでそのつもりで。


孤独――主人公のマヤはとにかく孤独だ。マヤが友人と楽しそうに語らったり、自宅でゆっくり過ごしたりするシーンは無い。いや、厳密にいえばあるのだが、全て別のニュアンスで使われる。マヤが唯一の女性の同僚ジェシカと楽しそうに食事してるシーンでは、直後に○○○○が起こる。全身黒ずくめのイスラム服を脱ぎ、ビール飲みながらニュース観てほっと一息というシーンの直後、上司であるCIAパキスタン局長が帰国を余儀なくされる。邪魔な局長を追いやるためにマヤが情報をリークしたのではないかということが暗示されるのだ。
特に、最初はビジネスチックに拷問する上司をみてビクビクだったマヤが、次第にテロリストどころか仲間であるはずの上司や局長にまで恐れられる人物に成長するのだけれど、その動機が絶対にキャスリン・ビグローにしか演出できないものなのが良かった。
これまたジェシカと食事するシーンだ。「友達いないの?」と問われ、マヤがみせる複雑な表情が本当に良い。あれは「えーーー。あたし、あなた(だけ)が友達って思ってたのに……」ってことなんだよな。同じく男社会の中で孤独に奮闘してきたであろうキャスリン・ビグローの思いが伝わってくるような名シーンだ。
で、実際にその後、マヤとジェシカの仲は急速に接近する。やっとマヤにも友達が出来たのだ。でもキャスリン・ビグローは徹底的にもう一人の自分であるマヤを追い詰める。ジェシカのチームにどことなく主人公に似ている若い娘が配属されてたりする。そして、ジェシカの辿る運命に、マヤの執念は「強化」されるのだ。


ただ、ここで一つの疑問が沸く。
マヤがこれほどまでにビンラディン狩りに異様な執念を燃やし、まるでビンラディンを殺すことだけが目的で生きているようにみえるのは、友人がテロの犠牲になったり、途中で仕事を取り上げられそうになったのが理由の一つだ。「おまえらしかいないんだぞ!」と発破をかけ、机を叩く高官に対して、皆が目線を外しうつむく中、一人だけ睨め付けるように見つめ続けていたりする。「あいつだけは腰抜けじゃない」と、CIA長官に意欲を買われたりもする。
でも、考えてみれば、マヤはジェシカが犠牲になるずっと前から積極的に捕虜を拷問し、ビンラディン狩りに熱狂していた。「本国に帰ろう」という上司の誘いもすっぱり断っていた。友人の死や仕事の横槍は、マヤの思いを強化しこそすれ、それが本質的な理由ではない。果たしてその意欲の源泉は何なのだろうか。
CIAという組織がビンラディン殺害に執念を燃やす理由は分かる。情報が集まっていたのにも関わらず911を防げなかったのはCIAの責任だ。存在しない大量破壊兵器の情報を認めてイラク戦争に加担したのもCIAなら、ビンラディンを逮捕できず911後のテロを許したのもCIAの責任になる。
しかし、それが組織としてのCIAがビンラディン殺害を求める理由にはなっても、一人のCIA職員の理由にはならない。あれほど拷問に精を出していたマヤの上司も、途中で音を上げて本国に帰った。マヤの異様な執念の理由は何なのだろうか。


自分は、CIA長官と食事するシーンにそのヒントが隠されていると思う。あのシーンで、マヤは自分が高卒であることを明かす。CIAにリクルートされる人材というのは、基本的には大学卒、それもアイビーリーグや有名私立であることがほとんどだ。しかも、上司みたくPh.D.を持ちながら汚れ仕事を厭わない猛者がぞろぞろいる世界でもある。
更に、マヤは女性だ。拷問をするといっても、自分で殴るわけにはいかない。横に座らせた兵士にやってもらう必要がある。女性蔑視のひどい中東では工作員として車に乗って街中をうろつくわけにもいかないし、自宅を襲撃されても何もできない。男ならこうじゃなかった。CIA職員といえど、銃を持って戦うことができたし、世の中はそういう映画で一杯だ(『ジャック・ライアン』シリーズとか、『グリーン・ゾーン』とか)。
高卒、それも女性ってのは二重のハンディキャップを抱えてるわけだ。マヤには何もなかった。だからこそ業績を出すために、ビンラディン殺害のためには何でもするようになっていったのではなかろうか。
で、このマヤの姿が、中東での覇権を得るためには何でもするアメリカという国家と、女だけどアクション映画を撮るためには何でもするキャスリン・ビグローの姿と、二重の意味で重なるように思えた。


劇中、CIA高官が礼拝をするシーンがある。ひざまずいて額を地面に付けるスタイルだ。彼はムスリムなのだ。直後、部下とビンラディン捜索について話し合う。もはや「テロとの戦争」に宗教もイデオロギーも関係ない。怪物を倒すため――自己実現のために怪物へと変化した個人と国家と映画作家がいるだけだ。