全然痛快じゃないけど痛烈ではある「痛快!ビッグダディ8」

どうしても観たい映画があると嫁が訴えるので早めに帰宅して子供の面倒を観ていると、「痛快!ビッグダディ8」という大家族もののドキュメンタリーをやっていた。その名の通りシリーズ第8弾らしいのだが、普段のこの時間帯はがっつり仕事中なので、初めて観た。いや、何回か再放送をザッピング視聴したかもしれないが、ちゃんと観たのは初めてだ。


痛快!ビッグダディ|テレビ朝日


この番組、「痛快」なんて単語が頭についているが、全然痛快じゃない。
一言で言うと、奄美大島で暮らす子供12人の大家族ものなのだが、時代だなぁと思ったのは、えらく「貧困」がクローズアップされてるのだよね。ビッグダディはマッサージの仕事だけでは喰っていけず、時給二千円の害虫駆除のバイトに精を出す。それでも足りず、家計の苦しさで夫婦喧嘩は朝飯前。少しでも食費を切り詰めるべく、釣りやら家庭菜園やらで食材調達。お祭りには現金収入を得ようと焼きそばの屋台を出すも、あまり売れず。果ては、衆議院選挙で民主党が大勝したニュースをじっとみつめ、「子供手当てが実現すれば○万円×10人で家計が大助かり!」と胸をなでおろすシーンまで入れる。それでも尻に火がついたのか、最後はなんとビッグダディ当人が出稼ぎの為に単身島を去って番組が終わる。なんか、大家族ものってのはたとえ貧乏でも上手くやりくりして皆で楽しくピクニックだの、風呂場で兄弟が水かけっこだの、兄弟姉妹がガチンコな喧嘩するも最後は笑いあって仲直りだの、みたいなシーンばかりで構成されているという勝手な思い込みがあったので、貧乏エピソードばかりというのは衝撃だった。焼きそば屋台では収支まできちんと公開するんだものなぁ。


あとさ、大家族ものって、貧乏ではあるけれど大家族ならでは楽しげエピソードを通じて、昨今の核家族では失われがちな濃密な家族愛を描くというのがセオリーであると勝手に思っていたのだけれど、このビッグダディ一家って結構人間関係がドロドロしてるんだよね。まず、奥さんがどう考えてもダメなオトナで、子供の面倒すらロクにみれない。ビッグダディや子供が忙しく家事をこなしている中、部屋の片隅でダラダラしている。夫婦喧嘩の果てに子供を連れて家を飛び出すも、なんの計画性も無いので子供の教科書を忘れたという理由にならない理由で家に舞い戻る。子供にも思いっきり馬鹿にされていて、「ママ」とか「母ちゃん」じゃなくて「あんた」呼ばわりだ。以前、「漂流家族」というドキュメンタリーが話題になったが、この奥さんだけ取り出してフィーチャーすれば「漂流家族」に負けず劣らずの内容になるだろう。


参考
日本家族の崩壊モデル。ザ・ノンフィクション「漂流家族」 - 深町秋生の序二段日記


そうそう、大家族ものの子供ってのはストレスがたまっているのか粗暴で我が侭な子供が多い印象があって、以前観た他の番組では怒られて癇癪を起こしてバタバタ暴れた子供(小学生)が怒りの余り壁を蹴破っていたシーンに衝撃を受けたりしたのだが、ビッグダディ家の子供は皆行儀が良い。ふくれっ面はするが、癇癪はおこさない。家事はちゃんと手伝うし、屋台の呼び込みもする。年上の子はきちんと年下の子の面倒をみる。トラブルが起こってもそれなりに冷静に対処する。収支オドオドしている母親とは対照的だ。
それもこれもビッグダディの面倒見が良いからなのだろうが、なぜか子供達はビッグダディのことを「お父さん」とか「パパ」とか呼ばず、「清志さん」と名前プラスさん付けで呼ぶんだよね。「ポニョ」の宗介が母親を「リサ」と名前で呼ぶみたいに、ある種の教育方針なのか?なんて思ったのだが、どうも違うっぽい。また、12人の子供の中には奥さんすなわち母親と同じ名前*1の娘がいたり、三つ子の名前が同じ「ひろみ」*2だったりする。
少子化の影響か、はたまた文化の変質か、最近の子供の名前ってのは親が懲りまくるのが普通だ。特に女子の名前というのは親の情念が溢れるせいか、本当に暴走族顔負けで、我が家の娘の保育園の連絡網なんて読めない名前だらけだ。だが、それを考え合わせると、特に後者の「ひろみ」問題は象徴的で、なんだか親のヤケクソっぽい適当さを感じてしまう。
でも、ビッグダディにはそんなヤケクソっぽさを感じないんだよね。感じるとしたら奥さんの方だ。だから、後日ネットにて、三つ子の父親はビッグダディではなく、奥さんが別の男性との間に作った子であるという情報を入手した際は腑に落ちた。しかも、他の9人についてもビッグダディの実子じゃない説まであるようだ。
ただ、この番組におけるビッグダディは、古きよき大いなる父親像とはかけ離れている。男子にも関わらず厨房に入りまくり、節約レシピで子供達の弁当を作る。絵心もあり、前述の焼きそばの包み紙は自作の4コママンガ。その焼きそばが売れ残り、しばらく焼きそばを食い続ける羽目となった際も、「あんまり儲からなかったけれども、まぁ、夏場のイベントとしては楽しかったよな」とコメントする姿は、イイ奴というより調子のイイ奴という感じだ。



じゃ、この番組つまんないかというとそんなことは全然無くて、抜群に面白い。今までの大家族ものが他人の家族を覗き見するような面白さを主眼に据えていたとすれば、大家族の家長に感情移入して、貧困や子沢山やドロドロ夫婦愛増劇をかいくぐり、サヴァイブしていくような面白さがある。我々は、結婚するより独身が良いとか、子供は二人で充分とか口にしつつも、意識化では大家族への憧れがあるのだな。でも、経済状況とか人間関係のあれやこれやが面倒なので実現しないわけだが、それをお手軽にテレビで体験できるところに面白さがあるのだと思う。私の見立てはともかくとしても、第8弾まで作られていて、番組改変期に3時間のスペシャル番組ってのは、局も数字をとれる優良コンテンツと考えているわけで、人気の証明だよな。
で、ブログやらミクシィやらで感想を読むと奥さんに「ビッチマミィ」なんて仇名をつけて怒り心頭の人が多いのだが、何をかいわんや!である。この家族、ビッグダディはイイ奴、子供は皆イイ子ばかりで、もし奥さんがいなかったら人間的に素晴らしい家族が貧乏に耐えて頑張るという、単に美しい物語になってしまう。番組としての面白さは半減すると思うね。
つまりさ、意識下では大家族の憧憬がありながらも、それを実現しない理由ってのは、自分の時間が無くなるとか、食費や生活費のためだけに二つも三つも仕事を掛け持ちしてあくせく働きたくないという、生々しい現実的欲求があるからなのだね。ドキュメンタリーとは演出の産物だ。今までの大家族ものってのは、たとえ現実にそのような人物が存在したとしても、敢えて蓋をして、番組を作ってきた。
だが、時代は変わる。たとえ大家族であっても、家族と家族の愛情に背を向け、ひたすら個人的欲求を追及するキャラクターが登場した。それがビッグダディの奥さんことビッチマミィである!
その結果、この番組では家族愛VS個人主義の対立が表面化することとなった。イデオロギーイデオロギーの対決である。勿論、多くのお茶の間が信奉するのは家族愛であり、大抵の視聴者が応援するのはビッグダディである。


これはワイドショーにおける万引きGメンやのりピー報道と似た部分があると考える。我々は主婦や老人が万引きし、スーパーの事務所で泣き出す姿を観ては、自分は正直に生きてて良かったと安心する。覚せい剤に手を出し、一流芸能人から転落したのりピーの姿を観ては、自分は芸能人でもなくドラッグもやらなくて良かったと安心する。意識下では万引きやドラッグへの誘惑がありつつも、そこで自ら価値観を矯正し、反社会的或いは非社会的な価値観すなわち特定のイデオロギーを信奉することが損な行為であることを確認するわけだ。これはテレビの前でビッチマミィを嫌な女で母親の資格無し!と断罪する行為とほぼ同じ構造を持ってはいないか。


ここで面白いのは、ビッチマミィが家族からリストラされないことだ。考えてみて欲しい。ちょっと前だったら、子供を育てない母親というのはリストラの対象だった。舅や姑からは嫁の資格なしとイビられ、実家に帰される。年齢的にオトナであるにも関わらず、家族という組織に利益を供給せず、無駄飯ばかり喰らう構成員は排除されるからだ(無論、将来的に立派なオトナに成長し、利益を供給してくれるであろう子供はその限りでない)。男と女が逆でも同じことだ。奥さんが子供を連れて出て行くというのは妻から夫への駄目出しであり、形を変えたリストラだ。


しかし、ビッチマミィは何故かリストラされない。ビッチマミィの実家の策略とか、ビッグダディがビッチマミィノ色香に騙されたとか、ネット上では色々と噂されているが、結果としてみえてくるのは家族の再生だ。それもただの家族ではない。血縁の無い、擬似家族としてのそれだ。
ビッグダディがビッチダディをリストラしない理由、それは一見駄目にみえても家族の精神的安定に寄与しているか、もしくは将来的に家族に利益を配分してくれる存在になることを期待しているのか、そのどちらかだろう。実際はどうあれ、作品としてのドキュメンタリーを観る限りはそう思える。
そこにあるのはパッと見は駄目でも実は重要な奴であるという別軸の価値観からの評価、もしくは、現在は駄目でも将来は立派な奴に成長してくれるであろうという信頼だ。このような評価や信頼は家族でしか成り立たない。
旧来の家族観が崩壊したことを、我々は一人残らず知っている。最早「サザエさん」的な家族像は日本のどこにも存在しない、そういうことを、テレビの前の視聴者は一人残らず知っている
だからこそ血縁の無さそうな子供とオトナが集まり、一見駄目そうに思えるオトナも排除せず、擬似家族を結成して維持していくさまに惹かれるのではなかろうか。それは「サマーウォーズ」や「ヱヴァ破」でテーマにされた「擬似家族の再生」そのものだ。


そういうわけで、「格差社会における貧困」「生活者レベルでのイデオロギーの対立」「旧来家族観の崩壊を前提とした擬似家族としての再生」という21世紀的なテーマを幾つも内包した「痛快!ビッグダディ」は、あと10年は戦えるコンテンツだと思いましたとさ。


しかし、娘が楽しそうに遊ぶビッグダディ家の子供達を羨ましそうに見ていたので、「なっちゃんも弟や妹がもっと欲しい?」と聞いたら、「ママが大変なのでいらない」と即答されたのには驚いた。教育だなー。

*1:漢字は違えど読みは同じ

*2:これまた漢字は違えど読みは同じ