熱意 その1

あんにょん由美香」を観たのはこの前の水曜日だったのだが、上映終了後に松江哲明が登壇し、挨拶した。その日はイベントも何も予定されていなかったので不思議に思っていると、どうも毎日ポレポレ東中野に通い、観客の反応をみて、挨拶しているらしい。8月から上映回数が増えること、売店で二点以上買物するとオマケがつくことなどを超がつくほどの腰の低さと笑顔でスピーチする松江監督は、緊張のせいか汗びっしょりだった。


いや、監督が毎日劇場に日参するからといって、それが熱意の証明だなんて言うつもりは無い。たださ、「あんにょん由美香」とか、「遭難フリーター」とかいった作り手の狂おしいまでの熱意の詰まった映画を観ると、それなりの金と予算をかけてシネコンで上映されるも、何の熱意も切実さも感じ取れないようないわゆる「普通の映画」を観るのが、ちょっと馬鹿らしくなってくるのだな。
アマルフィ」とか「MW」みたいな地雷っぽい映画は最初から観ない。だが、それなりに面白そうな「モンスターVSエイリアン」と「ノウイング」は観た。それなりに面白かった。たださ、これらの映画の作り手達は、これらの映画を「撮りたい理由」が、松江哲明岩淵弘樹ほどに、あったのだろうか?そんなことを考えてしまう。


たださ、ここで注意しなくてはならないのは、金がかかった大規模な映画だからといって、「撮りたい理由」が無い、熱意や切実さが少ないとは限らないということだ。例えば「崖の上のポニョ」や「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破」には、狂おしいまでの気迫を感じた。「ミュンヘン」や「グラントリノ」には、大人の映画作家達の余裕の影に隠れた、切実さを感じた。


もう一つ、私が映画から熱意や切実さを感じ取る能力の問題もある。例えばキリスト教原理主義者が「ノウイング」を観たら、神も仏も池田も信じない私とは異なる感想を当然抱くだろう。


また、仮にシネコンで上映される映画が「あんにょん由美香」や「遭難フリーター」のようなドキュメンタリーばかりになってしまったら、それはそれでつまらんだろう。疲れる、というのもある。


だが、確信するのは、熱意は必ず伝わるってことだ、少なくとも誰かには。その「誰か」が何人かというのが問題かもしれないが、自分以外の誰か=他者なら、人数は関係ないんじゃないか、とも思う。
だから「日本のエド・ウッド」という紀里谷和明の仇名は褒め言葉だと思うよ。「GOEMON」は観る気しないけど。