喰って生きるということ:「チェイサー」

 各所で噂の「チェイサー」観た。近所のシネコンでは今週末で上映終了だったのだが、ギリギリ観れたよ。公式サイトでは名だたる日本の映画監督が全員絶賛しているのだが、評に違わぬとんでもない映画だった。


 「チェイサー」は、僅か10ヶ月で21人が殺害されたユ・ヨンチョル事件をモデルにしている。ここ最近、「殺人」とか「レイプ」なんて話題ばかりが続いているのだが、そういうのが好きな変態なので仕方がない。


 この映画、リアルに痛みを感じる暴力シーンの演出がスゴかったのだが、それ以上に構成がスゴいと思った。なんと、主人公は映画開始約三、四十分後に犯人を捕まえてしてしまうのだ。以降、描写されるのは、警察内部での権力闘争、検察との軋轢、上司の無茶な命令に振り回される現場警察官などなど。浮かび上がるのは、デリヘル嬢の頭にノミを挿入して殺す犯人の異常さというよりも、そんな犯人を勾留しきれない、警察組織の異常さだ。多分、監督が強調したいのもそこいら辺だろう。


 上手いのは、ことさらに動機を説明しないところだ。実際の柳永哲ユ・ヨンチョル)は貧しい家庭環境に育ったとか、ベトナム戦争帰りの父に暴力を振るわれたとか、妻に訴訟を起こされて一方的に離婚させられてから女性に対する不信感が生まれたとか、動機として消費されそうな背景があるのだが、そういう要素はこの映画に反映されていない。彼をモデルにしたヨンミンは、まるで都会というジャングルの中で狩猟するかの如くデリヘル嬢を捕らえ、緊縛し、殺す。
 そんなヨンミンは、人知を超えた力を持つモンスターというわけではない。カナヅチでノミを叩く際に手が滑って自傷する。パニックで交通事故を起こす。顔を小突かれれば大人しくなる。主人公にタコ殴りにされれば、警察には暴力行為の被害者だと思われる、連続殺人犯であるのに!


 何故かというと、彼は普通の人間であるからだ、本質的には。


 デリヘル経営者である主人公は、言うまでもなくデリヘル嬢を搾取している。ヨンミンの「○人殺した」という自供に、機捜隊のギル隊長は「オーケー!(これでポイント稼げるぜ!)」と笑顔で答える、それは間接的に被害者を食い物にしているということだ。そして終盤、ヨンミンがデリヘル嬢を殺す理由が示唆されるのだが、それはインポテンツである彼が性的満足を得る為であった。
 そう、この映画に登場する男は全員、女性を喰い物にして生きている。MixiYahoo!の映画評をみると皆ショートカットの女刑事に萌えているのだが、それもむべなるかな。何故なら、彼女だけが喰ったり喰われたりの関係から奇跡的に独立していて、彼女以外の登場人物に感情移入することは苦痛であるからだ。


 それでも、強制的に主人公に感情移入させられるのが、この映画の上手さでもある。
 主人公はヨンミンを追跡する過程で、自分が本質的には彼と違わないことを自覚させられてゆく。勿論、そんなことは受け入れられない。だから被害者となったデリヘル嬢の娘を保護の名目で連れ回す。それは贖罪であると同時に、おれはあいつとは違うんだ!と証明し続けることでもあった。


 しかし結局、おれはあいつと同じだった。最後に主人公が手に握る武器は、その象徴だ。それはつまり、全ての男があいつと大差ない、ということでもある、本質的には。もう認めてしまえ。