土方くんとラッパーくん:『サウダーヂ』

シネマハスラーを聞いて気になった『サウダーヂ』観たのだが、聞きしに勝る映画だった。この映画が入らない今年の邦画ベストテンは嘘だと思う。


真鍋昌平ヤンマガで長期連載したらこんな感じになるのかもしれない。
『サウダーヂ』は山梨県甲府市というどこにでもある地方都市を舞台にした映画だ。日系ブラジル人が沢山いる町なのだが、彼らと日本人のコミュニティは完全に分断されている。タイ人やフィリピン人も暮らしている。90年代から続く不況と経済停滞で地場産業は壊滅し、職を失ったブラジル人は続々と故郷に帰ってゆく。日本人もブラジル人も並列に描かれる群像劇ではあるものの、作り手の立ち位置は明確で、「ここではないどこか」を求める三十代の土方である精司と、現状に対する不満をちょっと右翼的なラップで吐き出す猛の二人がメインの主人公といえるだろう。


本作最大の見所は、そこを生きる人間が感じる閉塞や喪失の描写だ。
年長世代への愚痴を入れ込んだラップをフリースタイルで唄いつつ、夜のシャッター商店街を不満げに歩く猛。段々と現場仕事が無くなっていく中、タイ人ホステスに元キャバ嬢の嫁には無い魅力を感じる精司。スピリチュアルな水ビジネスとデリヘル業をたしなむヤクザ。ものすごく怪しいのだけれど、ものすごく人懐っこい魅力があるタイ帰りの男ビンちゃん。薄っぺらいラブ&ピースに傾倒するまひるちゃん。嫁に誘われて参加した政治家のパーティで決定的な違和を感じる精司。おまけにその政治家を演じているのが宮台真治ときたもんだ。


明確な起承転結が無い。有名な俳優も出てこない。それでもぐいぐいと引き込まれるのは、演出が上手いからだ。
基本は1エピソード1シーン。しかもギャグ混じり。現場でクワガタを見つけ、子供のようにはしゃぐ土方たち。24K(ツー・フォー・ケーと読む)と名乗っているにも関わらず、気になっていた後輩に「アマノッティ先輩!」と呼びかけられテレる猛。デリヘルの受付をこなすヤクザの語り口の面白さといったら! 「NO.1 ちゃんは、ちょっとお高いですよ」


それだけに後半、閉塞感と喪失感が登場人物全員を襲う描写がたまらない。
昼からビールを飲みだす土方たち。ブラジル人ラッパーといざこざを起こしたものの、日本人であるということでしか自意識を底上げできない猛。政治家の後援会と付き合いだす精司の嫁。状況が劇的に変わったわけではなく、こうなる予兆は前からあった。それも、映画の始まる前から。単に堤防が決壊しただけに過ぎない。「この町も、もう終わりかな」と呟くビンちゃんの言葉と裏腹な美しい町の夜景が素晴らしい。なんてことない地方都市の風景が実に美しく、そして禍々しくみえた。


こういった描写を通して浮かび上がるものはなにか。失われた十年とそこから現在まで続く経済停滞により、地方都市では産業が空洞化し、中産階級が没落し、経済的な敗者が大量に出現した。そこに住む人々は人種や世代や階層で分断され、格差が生じ、コミュニティを失いつつある。そんな地方都市の「いま」を映画にしか出来ないやり方で切り取ること、そして映画として提示することこそが、作り手の狙いだろう。


文学や絵画といった芸術作品が芸術と呼ばれるのはそのテーマによってではない。表現手法による。物語の原型は○○種類しかない、○○種類の要素を組み合わせたものでしかない、なんてのは良く聞く話だ。
トレインスポッティング』『シティ・オブ・ゴッド』『タクシー・ドライバー』……貨幣経済が成熟し、不況や貧困の中で閉塞感や喪失感と共に生きる人間たちを描いた映画なら、昔からあった。それらと『サウダーヂ』の一番の違い、それは描写だ。現実と幻想が入り混じり、精司にとって一瞬の夢がそれを象徴する音楽と共にはじける映画的なクライマックスにも感じ入ったが、自分がもっと強く心を動かされたのは別のシーンだったりする。不安を感じながらもそれなりに幸せに食卓を囲むブラジル人とフィリピン人の夫婦。対して、自己破産した両親が寝っころがる暗い部屋で、食パンにマヨネーズをぶっかけたものを夕飯にする猛。この映画は外国ではなく日本の「いま」を描いている。心底ゾクっとした。
トレインスポッティング [Blu-ray]
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思わず連想してしまったのは真鍋昌平の『闇金ウシジマくん』だ。どんなにありきたりな郊外の風景も、真鍋昌平の手にかかれば禍々しい閉塞感で充満した画になる。どんなにありきたりな物語も、日本の「いま」が漂う。そういや宇多丸が「『闇金ウシジマくん』を映画化するなら富田克也監督で!」と言っていたが、もの凄く良く理解できる。
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真鍋 昌平
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本作は富田監督率いる自主映画制作・上映チーム「空族」によって製作された。自主制作なので、普段は金の稼げる仕事に就き、休日に映画製作を進めているわけだ。富田監督なぞ、月〜金で運送業に従事し、土日を利用して本作を撮ったらしい。土方である精司を演じる鷹野毅の本業は土方であるし、ラッパーである猛を演じる田我流の本業もラッパーだ。
劇中、精司も猛もミャオもビンちゃんも、全ての登場人物が生き辛さを抱え、人生に行き詰まるか、行き詰っていくかのようにみえる。この行き詰まりを打破するものはなにか。実のところ、監督は映画製作という手法をもって、自主とプロのボーダーラインがかつてないほど薄くなっている現在、それを示しているんじゃないかとも思った。