殺人事件とやましさ

 半年くらい前だろうか、とあるブログだかミクシィだかに印象的な記述があった。ブログ主は加藤智大のアキバ殺傷事件にそれなりのショックを受け、それなりの共感を感じたのだが、それよりも印象的だったのは周囲の反応だという。殺人は絶対にいけないが気持ちは分かると一定の理解や共感を示す者達と、あんなキチガイの心情に共感できるところなど一欠片もないと完全否定する者達、真っ二つに分かれたという。これで敵と味方が分かった、とそのブログ主は書いていた。確認の為にもう一度読みたいと、今そのブログを検索してみたのだが、残念ながら発見できなかった。


 そんなことを思い出したのは鈴木邦男の「失敗の愛国心」を読んだからだ。鈴木はこの本の中で、自分が右翼になったきっかけは、17才の頃に起きた浅沼委員長刺殺事件だと書いている。

失敗の愛国心 (よりみちパン!セ 34) (よりみちパン!セ)
鈴木 邦男
465207834X

 その時、「臨時ニュース」で突然、画面が切り換わり、衝撃的なシーンが映された。
 演説中の浅沼さんが、少年によって刺殺された。学生服を着た少年が壇上に上がり、短刀を構えて体ごとぶつかって、刺す。そして、もう一度。
(中略)
 この刺殺シーンはテレビで何度も何度も流れたから、何十回も暗殺が行われたようにも思えた。そして毎日、毎日、テレビではこの衝撃的な映像が繰り返し流された。
(中略)
 僕と同じ十七歳の少年が、何故、人を殺したのか。愛国心にもとづいて、「国のため」にならない「左翼」の人を殺したのか。それだけでも驚きなのに、一ヶ月後、鑑別所で自殺している。これで、ますます分からなくなった。彼はまだ十七年しか生きていない。人生はこれからだ。それなのに、あっさりと命を捨てる。国のため、天皇陛下のために死ぬ。
 もしこの事件を起こした人が、十七歳ではなく、二十歳や三十歳の「大人」だったら、それほど衝撃を受けなかっただろう。また僕自身が当時十七歳でなかったら、同じように衝撃は受けなかったはずだ。「同じ十七歳の少年がやった」。この一点に衝撃を受けたのだ。賛同したり、反発したり、そんな反応ではない。ただ、分からなかった。「なぜ?」「なぜ?」と思った。同じ十七歳なのに、なぜ、こんなにも隔たりがある。これはいったい、何だと思った。何と考えていいのか分からなかった。
 それに不思議なことに、この事件については学校でも、家でも、誰も話題にしなかった。親はヒヤヒヤしながらも、あえて触れないようにしたのか。
(中略)
 そのへんの感覚は、いまとはまったく違うものだ。学校の友人どうしでも、話題にすらならなかった。あるいは、僕がすべて忘れてしまったのか。本当は先生は授業中に、話題にしたのかもしれない。クラスでも友達と話をしたのかもしれない。でも、そんなことは忘れてしまった。自分だけが刺殺事件に強烈に衝撃を受け、「自分の問題」として考えた。だからなのか、そこまで考えた人はほかにいないだろう。当時はそう思っていた。
 この事件を「なぜ?」と問い続けることがキッカケとなって、僕は右翼になる。その結果から見ると、僕の中でこの刺殺事件の占める位置は限りなく大きい。事件を起こした「山口少年」と、衝撃を受けた「僕」しかいない。あとのものはすべて、背景にしりぞいてしまう。意識の中では、そんな作用が働いたのかもしれない。


 これを読んで真っ先に連想してしまうのは、やはり加藤智大のアキバ殺傷事件だ。17歳の頃の鈴木邦男の様に、この事件を「なぜ?」と問い続ける若者が、多分かなりの数いるだろう。私はもう若者じゃないが、未だにふとした拍子に加藤智大と彼が犯した殺人について思いを巡らせてしまう。


 そう考えると、ここには一定のパターンというか類型というようなものがあるような気がする。時代時代にその時代を象徴するような殺人事件が起きて、多くの同世代、もしくは一つ上のものを考え易い世代が、自分達にとって看過できない問題がそこに含まれているとして、「なぜ?」と考え続けることにより、何かを掴める、社会の一部に参画する、みたいな。


 例えば宮崎勤による連続幼女誘拐殺人事件の時には、大塚英志香山リカ切通理作なんかが熱心にものを書き、ライターや評論家として名を成したりした。時代を下れば、永山則夫による連続射殺事件の時には江藤淳や中上健二が激論を戦わせていたりするし、連合赤軍の時は言わずもがなだ。オウム真理教酒鬼薔薇の時だってそうだろう。


 連合赤軍永山則夫宮崎勤オウム真理教酒鬼薔薇聖斗→加藤智大→小泉毅と考えていくと、次第にスケールは比較的小さくなっていくのに相関して、彼らが感じていたであろう社会からの阻害感は強まっていくようにも感じる。一昔前は集団でおこしていたであろうものを、今や個人個人が起こしえる、しかも若者ではなく行き詰った、いや、生き詰った「大人」が、世の中に流通するイデオロギーではなくオリジナルな妄執で。


 「失敗の愛国心」に戻ろう。
 いろいろあって大学卒業を機に右翼活動を一旦辞めた筆者だが、大学の時に右翼仲間として勧誘した森田必勝が三島由紀夫と共に自決したことをきっかけに右翼活動を「再開」する。それは、「負い目」や「やましさ」からくるものだった。

 三島(三島由紀夫)そして野村さん(野村秋介)は先の戦争で日本を守る為に死んでいった人々への「負い目」を感じていた。そして三島の決起に、伊藤(伊藤好雄)、西尾(西尾俊一)氏は「負い目」を感じ、経団連を襲撃する事件に参加する。また、その経団連事件に「負い目」を感じた人たちが、さまざまな事件を起こした。野村さんの門下にあった人たちが起こした住友不動産会長宅襲撃事件などだ。「負い目」の連鎖だ。
 僕だって、小さな事件で捕まった。経団連事件の直後だ。釧路で日ソ友好会館建設反対闘争があり、そこに参加して逮捕され、三十日間拘留された。この時は捕まってもいいと思った。いや、捕まりたかったのかもしれない。やり切れなかったのだ。いまはもうそういう気持ちはないが、当時は、右翼なんだから、国のために体をかけなくては、と思っていた。
 「体をかける」とは、国のために死ぬこと。あるいは決起し(=事件を起こし)、捕まることだ。愛国心の実行だ。つまり、いくらビラを撒いたり、演説したり、ものを書いたりしても世の中は変わらない。この体をぶつけて、表現するしかない、と思っていたのだ。死ぬか、捕まるか、そこまでやれば、激情も落ち着く。そういうかたちでしか、自分の中の激しさや「やましさ」を止める手段がなかった。
 そして、そうした行為をした人を絶賛し、あとに続こうと思ったのだ。三島事件では森田必勝氏に「負い目」を感じた。経団連事件では野村さんに「負い目」を感じた。実を言うと、経団連事件のことは薄々感じていた。謎をかけられていた。「金さえあればいいという経済至上主義、営利至上主義をつくったのは企業だ。財界だ」「この美しい日本を破壊しているのも彼らだ。反省を求める必要がある。違うか?」と野村さんに何度か言われた。「そうですね」と答えたが、まさか、その後の直接行動を考えているとは思わなかった。
 いや、直接行動を示唆してはいたが、野村さんは刑務所から出てきたばかりだ。そんなことはあるまいと思っていたのだ。これは、僕に対する口頭試験だったのか。それで落とされた。またもや「負い目」を感じた。そんな時、釧路での闘争があったわけだ。
 一ヶ月勾留され、帰京の途中、仙台の実家に寄った。「お前は捕まりたかったんだね」と母にひとこと言われた。すべて心は読まれてる。見すかされてると思った。


 今、私のような人間が加藤智大や小泉毅について語りたがるのは、彼らに一種の「負い目」や「やましさ」を感じているからなのかもしれない。そう思った。