年が明ける前に近所にある100円ショップで包丁を購入した。プラスチック製の柄の合わせ目にマイナスドライバーを差し込むと、パカリと外れた。思った通りだ。


 嫁が実家に帰ってから一ヶ月になる。もう彼女が家に戻ることは無いだろう。
 正直な話、今や嫁に対する愛情も友情も消え失せたのでスッキリしたことこの上ないのだが、子供に会えないのは辛い。子供というのはやっかいなもので、側にいればウザいことこの上ないのだが、一旦居なくなると無性に会いたくなるという、実に面倒臭い存在なのだ。子供が出来るまでは自分がそのような心持ちになることなど想像だにしていなかったのだが。
 あの嫁のことだ。今後の調停如何で、例えば週に一回とか月に三回とか、定期的におれと子供が会うという取り決めをしても、それ以外の時間の全てを使って子供達に完璧なるマインドコントロールを施し、父親と会いたいなぞと露ほども思わぬように仕立て上げるだろう。


 柄を外した包丁にこれまた100円ショップで買ってきた厚手のビニールテープをぐるぐると巻く。ただひたすらに巻く。巻く場所を調節し、柄の中心部に緩やかな膨らみができるよう調節する。何十周かした頃には、細めの日本刀の柄くらいの太さになってきた。よし、こんなものだろう。


 年末、新聞を読んでいたら、今年は理不尽な殺傷事件が多かったという社説を目にした。加藤智大や小泉毅のように、よく分からない理由で殺人事件を犯す若者が増えてきたのだと。
 よく分からない、というのが驚きだった。きっとこの記者は年収一千万プレーヤーで、首都圏で持ち家か都内で自分名義のマンションに住んでいて、美人の嫁も子供もいて、定年したら死ぬまで喰うに困らないだけの蓄えがある団塊の世代くらいの勝ち組なのだろう。


 諸星大二郎の「マッドメン」に「アモク」というのが出て来た。

アモク――ランニング・アモクともいう
ニューギニアの場合、技術文明の浸透と共に表面化してきた一種の社会的軋轢による精神的発作だ。
彼は何日も一人で考えこんでいるかと思うと、ふいに森の中に入って行っていつまでも出てこない。
そして森から出てくると、突然暴れだしヤリやオノをふり回して、だれかれの見境なく切りつける。
とりおさえられるか力つきて倒れて死ぬまでやめようとしないのだ。


マッドメン (1) (創美社コミック文庫 (M-1-1))
諸星 大二郎
4420250062

マッドメン (2) (創美社コミック文庫 (M-1-2))
諸星 大二郎
4420250070

主な症状は、何らかの悲しい出来事に遭い、侮辱を受けた後、部族の人との接触を避け、引きこもり、暗い目をして、物思いに耽っている様な状態になる。そして、突然、身近にある武器を手に外へ飛び出し、遭遇した人を無差別に殺傷してしまう。殺戮は本人が自殺、または、殺されるか、取り押さえられるまで続き、後で正常に戻った時には、人を殺傷していた時の記憶を失っている、といった特徴がある。このことから、近代化される以前の部族社会では、アモックと呼ばれる、人を無差別に殺傷する事件が起きていた。

アモックが起きる背景には、文化的な要因が大きく影響しているとされており、「アモックが起きていた当時の部族社会では、悪霊の存在が信じられていて、その悪霊が乗り移って、アモックが起きる」、「子供に非常に寛大であるが、大人は厳格な規律を守るように求められる当時の社会では、大人になった若者が、社会に窒息感を覚え、暴力への衝動が生まれる」、「アモックになった本人は命を失うことが多いので、自殺に関して寛容でない部族社会における、一種の自殺である」等、さまざまな説がある。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A2%E3%83%83%E3%82%AF


 つまり、これは現代のアモクなのだ。


 ビニールテープ製の柄の表面に接着剤を塗り、薬局で買ってきた包帯を巻く。包帯に接着剤が染み込み、色が変わる。それを隠すかのように、ぐるぐる、ぐるぐると、何周も巻く。頃合の太さになったところで包帯を切り、結んで固定する。試しに握ってみると、掌に吸い付くような感触だった。上出来だ。


 おれは21世紀の先進国に生きる、21世紀の人間だ。だから彼らのようにだれかれ構わず切りつけてやろうとは思わない。今更あんなことをしても、近所の馬鹿そうな女子高生やおばちゃんが「怖いね」と呟くだけで終わりだ。一ヶ月経ったら、誰も覚えていないだろう。
 おれは近代に生きる、近代的な人間だ。部族社会に生きているわけではない。悪霊に乗り移られたわけでもない。近代人が自分の意思で大事をなす以上、そこには政治的な意図やメッセージがあるべきだ。


 先週のことだ。まるで稲妻にでも打たれたかのように、おれの頭の中に候補地として最適な場所が突然思い浮かんだ。何故か、理由ははっきりしている。まだ嫁とつきあい始めた頃、つまりは幸せだった頃、二人して道に迷い、渋谷のあの辺をウロついたことがあった。何故あそこにあのようなデカい家があるのか、その時はまったく分からなかったのだが、今なら理由がわかる。
 本日、下見をしてきた。数十メートルおきに警察官が立っていたが、心配ない。私も加藤智大を見習って、トラックを借りた。あの道の広さなら大丈夫だろう。トラックは我が家から歩いて数分の関越高速道のガード下に停めてある。正月なので駐禁キップを切られることも無いだろう。
 正月なので、“彼”は自宅に居るはずだ。万が一、いなくとも心配無い。何人か親族を始末し、壁に血文字で「未曾有」とか「踏襲」とか書き殴れば目的は達成される。
嗚呼、明日が楽しみだ。おれの人生にいいことなんて何一つ無かった。使い切れないほどの金を手に入れることも無ければ、金などいらないと思えるほど豊かな人生経験もできなかった。心を奮わせるほどの感動も無ければ、心底ぞくぞくするような興奮を覚えたことも無かった。他人から好意や悪意を持たれることも無かったし、強い関心を向けられることすら無かった。だが明日は、明日だけは人生の主人公になれるのだ。



































 だが、朝起きて一歩外に出ると、ジョディ・フォスターみたいなパツキン外人に逆ナンされ、セックスさせて貰ったらやる気を無くした。




……という初夢をみました。