超非現実の王国:伊勢田大博覧会3

 この前のオタクアミーゴスのライブ*1で目をクギづけにされた孤高の自主アニメ作家、伊勢田勝行監督の新作上映会があるというのでロフトプラスワンまで行ってきた。その名も「伊勢田大博覧会3」。


 YouTubeにイベントの予告映像がアップされているのだが、「彼こそが日本のヘンリー・ダーガーなのか?」とか「片道キップでGO!超非現実の王国へ」といったコピーがこれほど似合いすぎる人もいないだろう。


 知らない方の為に今一度説明すると、伊勢田勝行とは神戸在住の自主アニメ作家である。ただ、一人で作画し、一人で撮影し、一人で編集し、一人でアフレコし、一人で劇伴をつけ、一人で完成させるという点が余人の追及を許さぬ最大の特徴だ。
 ニコニコ動画に代表作である「恋愛戦士ラブコメッサー」がアップされているので、御覧になって頂ければどういった作品なのか理解できるだろう。


 ちなみに女性キャラのアフレコは喉仏を上にあげることで高音を出しているらしい。


 今回楽しみだったのは生伊勢田監督に会えるという点だった。
 伊勢田監督が作るアニメを観て、ちょっと不思議に感じていた点があるのだ。
 彼のアニメを観て、皆大爆笑する。それには大きく分けて二つの意味合いがある。一つは作品に仕込まれたギャグの部分に笑うという、作品を素直に楽しむという意味合い。もう一つは、クオリティの低さや稚拙さを哂う、という意味だ。
 で、前者の笑いっていうのは監督本人にとって嬉しいものだろうけれど、後者の哂いっていうのはどうだろう?
 例えば、「“アニ横”って“アニメオタク横丁”の略なんだよね?」とか、「くらえ、この話は無かったことに光線!」というのは、伊勢田監督が「ここで笑って欲しい」という願いを込めていれたものだ。でも、明らかに意味合いの異なるカットとか、全然繋がってない動きなんかが理由で自分の作品が哂われている場合、監督本人はどんな思いをしてそれを眺めているのだろう?仕方ないと思っているのか。一度作品として世に問うた以上、これはこれでアリだと思っているのか。つまり、どこまで狙ってやっているのか?ということなのだが、そういうのを監督本人の表情やリアクションをみて確認できる良い機会だ……と思っていたものの、残念なことに伊勢田監督は本業の都合で欠席だった。まぁ、これは次回のお楽しみかな。


 今回上映されたのは以下の三本。

  • 「浅瀬でランデブー」の最終話:なんと「私もアフレコやりたい!」という後輩の女の子の出現により、主人公であるケンちゃんのみ一部別声優に!でも、ヒロインの声はやはり伊勢田監督がアフレコ。普通逆では?
  • 「きらら」:少女漫画家を目指す気弱な主人公のラブコメかと思いきや、後半からの超絶展開に腰が抜けそうに。
  • 「でりばりんぐ」:“でりばり部”なるラブレター代筆部を舞台にした少女漫画的アニメ。北九州が舞台で、男も女も変な九州弁で喋りまくる。


 それぞれに監督本人が登場キャラのコスプレをし、キャラになりきって解説する映像特典つき。コスプレ衣装をガサガサさせつつ、喉仏を上に上げて高音で「……と監督は思ってたらしいです」といちいち伝聞調で解説するさまは、笑い死にするんじゃないかと思うほど面白かった。


 改めて思ったのは、伊勢田監督の「本気度」だ。
 例えば「浅瀬でランデブー」の主人公ケンちゃんは特撮オタにして鉄道研究会所属といういかにも監督本人が自己を投影していそうな人物設定なのだが、このアニメは学園モノなので、クライマックスではヒロインであるゆいちゃん共々、早くしないと受験会場に間に合わない!という状況に陥る。
そこで一言。

「安心しろ、ゆいちゃん!鉄研のボクなら、最短の乗り継ぎが分かる!」

 もう一つ。「きらら」の主人公星田きららも少女漫画家を目指す気弱な中学生という設定だ。彼はずっと少女漫画みたいな恋に憧れているのだが、親友の彼女が助かる見込みの無いといわれた重い心臓病で危篤になる。「こんなことならこいつの告白にOKなんてしなきゃ良かった……」と呟く親友にこう憤る。

「馬鹿!“同情は優しさじゃないんだよね”っていう有名な少女漫画の台詞をキミは知らないのかい?何故死ぬって決め付けるんだ。本当にこの娘が好きならこうやって手を握り、回復を祈ってやれよ。少女漫画がハッピーエンドなのは、作家が読んでる人達にそういう幸せが訪れて欲しいって願いを、かけてるからなんだろー!」

 そりゃ、どのアニメもクオリティという点ではお笑いだ。動画が全く繋がっていない所や、明らかに撮影ミスと思われる絵のボヤけた箇所も頻出する。意味の無い繰り返しも多い。シリアスな場面になると挿入される、テレを表したようなデフォルメ絵も、少女漫画といよりも吾妻ひでお的であったりする。
 でも、見ている間は割と引き込まれちゃうんだよね。タマに全然意味の無いカットがあるのだが、裏を返せばそれ以外のカットには(一応)映像としての必然性があるということだ。「どうせ“鈍行”のボクに彼女は不釣合いなのさ」、「昨日、サンバルカン体操やりすぎちゃって」等々、伊勢田監督独特の言語センスが光る細かいギャグや、マイケル・ナイト・シャマランが裸足で逃げ出すようなやり方で伏線が回収されたりもする。劇伴は、普通に上手い。
 なによりも感じ入ってしまうのは、その情熱だ。やっぱりさ、作品という名がつくからには、やむやまれぬ思いとか、狂気の如き「作りたい!」という情熱が込められているべきなんだよな。しかもその作品が、いわゆる悪い意味でのアート系とかサブカル系とかいった難解で独りよがりのものでなく、万人が笑ったり(或いは哂ったり)できるエンターテインメントとして成立している所が伊勢田作品の凄いところだろう。


 伊勢田作品を観て笑ったり哂ったりする我々は、明日からきちんとマーケティングされリスク配分され採算性を考察されたアニメや映画やTVドラマをテレビやシネコンで観て、どんな顔をすれば良いのだろうか。
……やっぱり笑うんだろうな。


 そうそう、会場で販売されていたDVDを三枚ほど買ったのだが、こんなに面白いのならもっと買っておけば良かったと後悔したよ。通販すれば良いのになぁ。今年は用事がたんまりあるので無理だけど、来年はコミケ行くか?