メリークリスマス飯島愛

 三十代、未婚、子無しの女性が孤独死、しかも死後一週間経った後にクリスマスイブに発見され、自殺も疑われているというニュースを聞くに及び、やはり飯島愛は我々の仲間だったのだなと思う。伊達にまんがの森のCMをやっていたわけではないよな。
 ミクシィニュースで「元AV女優には見えなかったよね」という若者のコメントを読んで、これがジェネレーションギャップかと心底驚いたりしたのだが、私は筆下ろしをしてくれたお姉さんが死んでしまったような気分で一杯だ。久しぶりに飯島愛でオナニーでもするかと、物置の奥から秘蔵の裏モノAVを引っ張り出してきたりしたのだが、画面が白く滲んだようにみえたのは、VHSテープの保存状態が悪かったせいだけではないだろう……スマン、冗談だ。

 今のところ死因は不明なのだが、自殺だとしても驚かない。何故かというと、以前自殺した自分の友達の時と、雰囲気が似てるんだよね。正確に書くと、その友達の死因は事故ということになっているのだが、数ヶ月前ぶりに再会すると以前と別人のような受け答えをしていたりとか、突然連絡が取れなくなったりとか、鬱病気味になって心療内科に通院したりとか、そういったことの雰囲気が似ていると感じる。や、私は飯島愛の友人でも知人でも何でもなくて、実際の彼女を肉眼で確認したことすらなく、テレビ画面を通して観たり聞いたりオナニーしたりしていただけなのだけれども。

 私は医師でもないしカウンセラーでもないから全くの素人考えに基づく意見なのだけれど、彼女は完全に仕事を辞めるべきじゃなかったと思う。やっぱり、それがどんな仕事であるにせよ、仕事というものは個人と社会とを結ぶ最後のよすがだ。プライベートで友達がいない人は一杯いるが、仕事上での人間関係が皆無という人はまずいない。職場での人間関係に悩むことはあっても、字義通りの孤独に悩むことはない。憎んだり憎まれたりする方が、憎む相手も憎まれる相手もいないよりマシだ。ゼロよりはプラスやマイナスの方が良い。大橋巨泉程度でも良いから少しでも仕事を続けていれば、一週間も自宅を訪問する者がいなかったなんてことは無かったはずだ。死因が病であったとしても、倒れた翌日や翌々日に誰かが訪問していれば、もしかして助かっていたかもしれないではないか。

 腎盂腎炎やその他の持病に苦しんでいたとか、コンクリ詰め殺人事件関連報道に悩んでいたとか、失恋のショックとか人間不信とか、色々なことが言われているけれども、そういったことを理由にして仕事を辞めたり自分の行動に制限をかけたりしてはいけないと思うんだよね。何よりも自分の為に。

 こういう時に思い出すのは、足立倫行の「妖怪と歩く」という水木しげるの評伝だ。「あくせく働くのはバカバカしい」などと言いながら完全なるワーカホリックという矛盾した男、水木しげるの内面を執拗な取材の果てに曝け出していくという名作なのだが、戦争で左腕を失った水木が、その後どのような覚悟で生き延びてきたかについて、見事に聞き出した部分がある。

妖怪と歩く―ドキュメント・水木しげる (文春文庫)
足立 倫行
416734405X

 ここで注意深く排除されているのは、前途ある青年の将来に深く関わる戦傷が当然本人と関係者にもたらすはずの“暗い雰囲気”である。本人の“言い知れぬ不安”“嘆きと怒り”、家族の“激しい動揺”“同情と悲しみ”、などだ。水木はそれらのやるせない感情と空気を描かない。かなり意図的にそうしている節がある。水木と四六時中一緒にいて非常に印象的なのは、日常生活において隻腕であることのハンディを微塵も感じさせないことだ。不自由さについて水木は一言も口にしない。
 長女の尚子が僕に話してくれたことがある。
「子供の頃は、父が片手だってこと、特に意識しませんでした。右手一本でなんでもできるからです。でも中学一年の時だったかな、いつものように家族でデパート巡りしてて、夏だったから父も半袖だったんですが、何人かの人が父の左手をジロジロ見てるのに気がついたんです。それでハッとして、“お父さん、片手なんだ!”って思いました。だからといって、それからも、父の行動にハンディキャップを感じたことはありませんけど」
 水木は身内に対しても、失くした腕に関して愚痴めいたことをこぼしたことはなかったそれどころか、障害者という事実さえことさら感じさせないように振舞ってきた。
 いったい水木はいつから、どういう理由で、そのように自らを律し始めたのか。
 僕は今回の宝塚滞在中に水木に尋ねてみた。
「ナマレにいた頃からじゃないですかね」
 名誉軍人部で、食糧生産にいそしむ傍らトライ族の村に通っていた頃だったと言う。
「働かせながら治療するところですから、手足のないのや目のないの、いろんな兵隊が寄り集まってるんです。そこで気がついたのは、五体満足でなくなると精神も弱々しくなってしまうってことですね。ある曹長も片手がなかったんですが、二言目には“手棒(てんぼ)になってしまった”って溜息をつく。会話の最後に必ず“でも、俺は手棒になってしまった……”悄然としてうなだれるわけです」
 水木は傷害を持った自分の体に絶望してしまうたくさんの将兵を見た。精神的落ち込みは、年齢が若ければ若いほど激しかった。
「私、“これじゃダメだな”と思ったんです。私自身が生まれつき負けん気が強かったのかもしれませんが、“弱気になったら、こりゃ生きていけん”と思いましたね。体の一部が欠落したら、その分知恵を使わにゃいかんなと。だから私の場合、落胆の気持は普通の傷痍軍人の三分の一くらいだったんです」

 これはつまり、単純に前向きに生きて行こうとか、障害は個性の一つですとかいった生易しいレベルの話ではない。生き延びる為に、自らを律して障害が無いように振舞うという姿勢だ、何よりも自分の為に。
 水木の場合、ハンディは肉体的な欠落なのだが、これが精神的なものでも同じだと思う。多少状況は異なるが、明石家さんまが風邪をひいても風邪であることを認めないとか、みのもんたが生放送中に居眠りしながらもきた仕事は全部引き受けるとかいったエピソードにも同様のものがあるのかもしれない。
 自らを前向きに律するのは誰の為でもなく自分の為なのだ。