英雄の誕生:『劇場版テレクラキャノンボール2013』

2月公開時に観よう観ようと思っていながら見逃してしまった『劇場版テレクラキャノンボール2013』、ポレポレ東中野で「凱旋上映」していたので、観てきた。驚いた。そして面白かった。


なにが驚いたかって、まず出てくる女優――ナンパして出演交渉した素人AV女優のほとんどがリアルなぽっちゃりぶちゃいくってところだよ。ここ数年、エスワンプレステージに甘やかされていたおれたちだが、VHS時代は、たしかにこういう女性が企画ものに出てたわけだ。
更に驚いたのは、この作品には30代〜40代のおっさんにとっての「青春」が描かれているんだよね。それも後ろ向きや回想でない、現役の「青春」だ。



最近の若者はAVなんて観ず、スマホの画面でオナニーするらしいので、一応書いておくのだが、AVは大きく分けて「単体もの」と「企画もの」の二種類があるわけだ。「単体もの」というのはトップクラスのAV女優がスターとして出演するAV作品のことをいう。一方、「企画もの」は、「○○市でナンパ」とか「アフリカの原住民と野外セックス」とか「オッサンの唾液50人分を飲む」とかいった(時にニッチな)テーマに沿って作られるAVのことだ。たいてい、年齢・容姿・芸暦などの点で「単体もの」よりランクが落ちるAV女優が何人も出演する。
「企画もの」の中でも「ナンパもの」――街中を歩いている素人女性に声をかけ、言葉巧みに交渉し、AV女優として出演してもらうような作品――はAV創世記からあったわけだが、もはや絶滅寸前だ。「これ、絶対に素人じゃないだろう」とひとりごちてしまうくらいルックスもスタイルも良い女性がガンガンでてくる。横に置かれている「企画単体もの」のDVDのパッケージをみると、まったく同じ女性が出てる。特にプレステージが衝撃的だったのだが、いつしかAV女優は、たとえ熟女やスカトロものでも、ルックスもスタイルも良い女性が当たり前となり、「素人ナンパもの」に本当の素人が出ることは無くなった。


テレクラキャノンボールBEST8時間 [DVD]
B00EZW6P3A

『テレクラキャノンボール』は企画もので、今時珍しい本当の素人が出てくる「素人ナンパもの」のシリーズだ。バイクや車でレースをしつつ、移動した先で素人女性と出演交渉してセックスを撮影し、「ナマでセックスしたら+1ポイント」「今までで1番イイ! と言わせたら+1ポイント」といった具合に稼いだポイントで一位を決めるというルールでレースを行う。「女性が40代だったら-1ポイント」という『デスレース2000年』の「老人をひき殺したらポイントアップ」を裏返したようなルールまである。選手としてレースに参加するのはAV監督で*1、「AV女優とヤリ放題」が賞品だ。


テレクラキャノンボール2013 賞品は神谷まゆと新山かえで [DVD]
B00HZZUVXY

で、『劇場版テレクラキャノンボール2013』は10時間あるシリーズ最新作を2時間弱に編集した劇場用作品でなのだが、出てくる「素人AV女優」が本当の素人なんだよね。だから、現代日本人の肥満率や少子化を反映するがごとく、ほとんどが小太りでおばちゃんだ。特に、40代のカンパニー松尾と熟女好きという嵐山みちるはガンガンおばちゃんをナンパし、ベッドインする。そして、そのどれもが本作における見せ場となっている。映画を観た後、バクシーシ山下が口説いたコギャル二人組や、梁井一がセックスした「猫と自宅でお待ちしております」の金髪40歳女性について話題にしない人はいないだろう。


TSUTAYAでもAVコーナーに置かれている10時間版が実用を考えてセックスシーンをきっちり収録しているのに対し、劇場版の濡れ場は最小限、笑いや情感やそれ以外のなにがしかを強調するような編集がなされている。だから観ているおれたちは金髪40歳おばちゃんが自宅でバランスを崩して転びそうになったり、コギャル二人組が口をぎゅっと閉じて全くあえぎ声を出さないようにしていたり、どんなに頑張っても射精できず「しゃかしゃか発射」するシーンに思わず笑ってしまうわけだ。


が、重要なのはそこではない。毎晩、AV監督たちはその日の釣果ならぬ撮れ高を確認する「ポイント判定」で爆笑する。金髪おばちゃんを「ほとんどおじさんじゃん」と評し、嵐山みちると熟女とのセックスシーンには「みちる選手、大型車にも果敢に攻め込みます」とテロップが出る。観客であるおれたちも、それを観て爆笑する。


だからといって、デブでブサイクな女を蔑視し、笑いものにしているかといえば、そうでもない。いや、単純に笑いものにしているばかりではない、と書くべきか。選手として出演するAV監督が全員、女性に対して紳士的を通り越して優しい。
驚くほどの熟女とセックスする嵐山みちるは皆の疑問に「全然OKですよ」と爽やかな笑顔で返すし、梁井一は○○○*2をくれたおじさんみたいな金髪40歳おばさんに「○○○をくれてありがとう」と丁寧にお礼を言う。おそらく、そこまで優しく扱われたことは彼女の人生で初めてだったのだろう、おじさんみたいな金髪40歳おばさんは思わず言葉につまり、感極まるのだ。
AVというジャンルは女性が出演しなければ成立しないジャンルであるのでこの優しさは当然なのかもしれないが、自分には驚きだった。
そういったものの積み重ねが、本作における最大の魅力――分かりやすい笑いでも情感でもなになにがしかを生み出しているわけだ。



今年はドキュメンタリー映画の当たり年だ。『テレクラキャノンボール』があって『アクトオブキリング』があって『ホドロフスキーのDUNE』があって、そろそろAKBのドキュメンタリーがある。AV監督たちがそれぞれのパフォーマンスに拘りつつ、「せめて二位」と高順位を目指す姿をみると、AKBメンバーが一位やセンターを目指す心持ちが理解できるような気がする。
共通するのは、人間として大事ななにかを棄て、英雄になるという構造だ。
これは神話的構造の一つだ。英雄とは、何かに優れているから怪物を倒し、英雄となることができる。何かを得るためには何かを棄てなくてはならない。凡人が英雄になるためには、人として大事な何かを棄てる必要があるのだ。若手監督たちの会話に出てくる「普通の人ができないことをやれるから、おれらご飯を食べれる部分がある」という台詞には、英雄を目指す凡夫という神話的構造を感じる。
人間的生活を棄ててアイドルになる。人間的善良さを棄てて共産主義者を殺す殺し屋になる。人間的正常さを棄てて世界を変えるようなカルト映画を監督する。そして、人間的ふるまいを棄ててAV監督になる。それが青春だ、と言い換えてもいいかもしれないが、本作を観て感動してしまうのは、英雄的構造があるからなのかもしれない。
そういえば、「戦う相手が化け物である」という点も同じだ。ぽっちゃりぶちゃいく女やキモオタファンという化け物とみせかけて、その実、大衆やシステムという化け物だ。

*1:『2013』の選手は全員AV監督だが、それ以前はAV男優も参加していた

*2:ここだけはネタバレしないでね、と言われたので一応伏せておく