アクト・オブ・キリングAKB:『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』

楽しみにしていた『DOCUMENTARY of AKB48』シリーズ第四作『The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』鑑賞。自分はAKBにあまり関心が無いのだが、このシリーズだけは楽しみだ。ただ、今年は作るの大変だったんだろうなあと思ってしまったよ。


『DOCUMENTARY of AKB48』は、特に二作目以降、アイドルのドキュメンタリー映画としてはなかなかにえげつないシリーズとなっていった。
たとえば第二作『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』では、まるで戦場のような舞台裏が描かれた。単に忙しそうという甘っちょろいものではない。高橋みなみは鬼軍曹そのものだったし、完全に目がイっちゃってた前田敦子は孤独な獣のようだった。ライブや総選挙といった「戦場」を舞台に過呼吸やストレスでどんどん倒れ、「戦死」していく少女たちの姿は、この映画の見せ場の一つだった。
自分の感想は↓
マクロスとビッグダディのあいだ:『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら、夢を見る』 - 冒険野郎マクガイヤー@はてな


たとえば第三作『DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』では、大きな流れでは前田敦子の引退を語りつつ、「アイドルと恋愛」というテーマを描いていた。恋愛という禁を犯し、謝罪や他チーム移籍という「禊」をせざるをえないアイドルたち。それを当然と思う者もいれば、「卒業」していく者もいる。それまで笑っていたアイドルが突然泣き出す姿は完全に残酷ショーであり、それこそがAKBの本質ではないかということさえも表現していたフィルムだった。
自分の感想は↓
怪物か岡田有希子か:『DOCUMENTARY OF AKB48 NO FLOWER WITHOUT RAIN 少女たちは涙の後に何を見る?』 - 冒険野郎マクガイヤー@はてな
いずれも、これまでの同種のドキュメンタリーでは、描かれたことのないシーンや要素が満載で、実に挑戦的で批評的な映画だった。


二作に共通していたのは、AKBという閉じられた世界を映しつつ、その外部を描いているのではないかと思わせる点だった。日々、理不尽で非人間的な競争を強いられるさまはまるでブラック企業のようであったし、勝者が生まれる分だけ敗者も生まれるさまは、社会の縮図のようだった。AKBは一面において日本社会の、「現在」の象徴なのだ。二作目における被災地慰問シーンや、三作目で「世間」という掴みどころのないものに謝罪し、「生贄*1」となるAKBの姿に、自分たちが生きている社会について思いを巡らさない観客はいないだろう。
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第四作(実質的には第三作)である『DOCUMENTARY of AKB48 The time has come 少女たちは、今、その背中に何を想う?』で最も印象的だったのは、視点の変化だ。
本作では、これまで以上にAKBメンバーしか映らない。衣装を用意したりマッサージしたりとメンバーたちをサポートするスタッフは必要最小限しか画面に映りこまないし、前作・前々作で僅かながらも登場していた運営側の「大人たち」は声が漏れ聞こえるのみだ。
更に、前作・前々作で効果的に挿入されていた、過去を振り返る形式の別撮りインタビューが無くなった。代わりとばかりに、手持ちカメラの映像がこれまで以上に舞台裏の「素(と思しき)」メンバーを映し出す。マッサージを受けながら「しんどいわー」を連発する高橋みなみはまるで今まで以上に鬼軍曹のようだし、ショートカットに痛々しさを感じなくなった峰岸みなみは「NMBに行かないでよー」と他のメンバーに甘え、カニばさみをし、じゃれあう。カメラは彼女たちをこれ以上ないくらいのアップで捉える。どれくらいのアップかというと、大島優子の肌荒れが手に取るように分かるくらいまでアップにするのだ。そのアップで、彼女たちがあたかも本音を語っているかのように思えてくる。確かにこれなら別撮りインタビューは必要ない。
なんでも、これまでは沢山の人間が撮った映像素材から映画を構成していったが、近作では監督自らカメラを抱えて現場に入り込んだらしい。そんな視点の変化が、如実に現れている。


そういった手法で、表面的には大島優子引退という大きな流れを語りつつも、描かれているテーマは「AKBと暴力」だったりする。
メンバーの意思を無視した「大組閣祭り」にて、年若いメンバーは泣き叫び、過呼吸になる。だが、うら若き彼女たちはまだ良い。後に大島優子が語る通り、AKBは巨大になってしまった。マンネリや馴れ合いを防ぎ、新陳代謝を促すには定期的な再配置が必要だ――年長のメンバーはそれを分かっているので、年下のメンバーを優しく慰める。「これも長い目でみたら○○ちゃんのためになるから……」いや、全ての先輩がこうであって欲しいよね。
イヤーな気分にならざるを得ないのは、いつまでも名前を呼ばれず、俯きながら呆然となる年長AKB48メンバー*2だ。最後の最後で発表されたのは、トップチームであるAKB48から他チームへの移籍だった。ある者はさめざめと泣き、ある者は怒りに震える。アイドルとしての人気はいまいちだし、この年齢なら、ファンにも運営にも将来性を期待されてないことを、どこかしら自覚している――そんな涙と怒りだ。この都落ち感、そしてリストラ感。これが「暴力」でなくてなんだというのか。都落ちやリストラに怯えるおっさんがみるには辛すぎる場面だった。


次に描かれるのは、国立競技場での大島優子卒業コンサートだ。悪天候となって中止となったことだけは知っていた。スクリーンに映るのは、判断が揺れる「大人たち」に翻弄される少女たちの姿だ。中止にするのか、強行するのか、最後まで判断がつかず、使い捨てのレインコートを着こんでリハーサルを繰り返すメンバーたち。疲れた顔で舞台下で待機したり、控え室に集合して指示を待ったり――その姿は、塹壕で戦いを待つ兵士たちのようだ。将校である「大人たち」の戦略説明がものすごく要領を得ないのに対して、下士官であり鬼軍曹である高橋みなみの指示がこれ以上ないというくらい明瞭なのも印象的だ。
だから、それまで文句の一つも言わずにリハーサルしていた彼女たちが、中止が決まった瞬間泣き出す姿に、どうしても「暴力」を感じてしまう。会場の選択、日時の選択、中止を決定するタイミング……そういったもののしわ寄せが、最終的には全て現場というリアルな戦場にふりかかる。しかも現場には会場や日時や中止決定の権力が無い。これが「暴力」でなくてなんだというのか。


そういうわけで、やっぱりこのシリーズは凄いなあ、面白いなあと観ていたのだが、この後の展開に驚いた。
最後、AKBを襲うのは、リアルな暴力――皆さんもご存知であろう、握手会襲撃事件だ。この「暴力」に対するAKBのリアクションを、本作はGoogle+の投稿や、イベントやコンサートでのAKBの発言という形でしか描かないんだよね。高橋みなみがチームAに激を飛ばす姿が映るくらいだ。
何故、これまでのように、手持ちカメラの映像で「素」のリアクションや心情に迫らないのか。岩手のローカルヒーローなんて関係ないじゃん!*3



これまでの「暴力」は、いってしまえば運営側が仕掛けた「暴力」だった。しかし、握手会襲撃事件は違う。(運営でもAKBメンバーでも不可避の自然現象でもないという意味で)第三者による、リアルな暴力だった。この暴力にメンバーのみならず運営側も動揺しているのがありありと分かる描き方だった。


でも、たぶん、AKBメンバーにとっては「大組閣祭り」も「卒業コンサート中止」も「握手会襲撃事件」も、同じような「暴力」にみえているのではないかと思う。この「暴力」という怪物に、にある者は食い殺されて死に、ある者は食い殺されつつも、自らも得体の知れない怪物として生まれ変わる。自分が(この映画を通して描かれる)AKBに感じていた最大の魅力はそこだった


「辛いこともあるけれど、前向きに頑張ろう!」とでもいうような最後のメッセージに、(このシリーズには似つかわしくない)プロパガンダフィルムのような胡散臭さを感じてしまったのは、自分だけではないと思う。
おそらく作り手は、手持ちカメラを持ってAKBに近づきすぎてしまったが故に、必要以上にAKBを愛しすぎてしまったのではなかろうか。「握手会襲撃事件」という暴力に戸惑い、直にAKBと触れ合ってリアクションを引き出すという手法ととることで、彼女たちを更に傷つけることを、最後の最後で怖れてしまったのだ。
でも、他に色々と方法はあった筈だ。一緒に傷ついたり、恥を晒すことになるかもしれないけれど、単なるプロパガンダフィルムにならない描き方があった筈だ。
そこだけが残念な映画だった。

*1:佐村河内や小保方さんや塩村都議のように

*2:菊地あやか佐藤すみれ、岩田華怜らしい

*3:これをやるなら前半で被災地訪問におけるマブリットキバとメンバーとの交流を1カットでもいいから挿入しておくべきだ