ピクサーにとっての「敵」:『モンスターズ・ユニバーシティ』その1

モンスターズ・ユニバーシティ』鑑賞。『カーズ2』『メリダとおそろしの森』と残念作の続いたピクサーだったが、久しぶりの傑作だった。なんと挫折と夢を諦めることが主題の学園映画だったのだが、やっぱりピクサー作品は苦い結末が似合うよなぁ。


アメリカには「学園映画」というジャンルがある。高校ならばジョックスやナードといった階層社会、大学ならフラタニティと呼ばれる学生寮に属する生徒たちを登場人物とする映画のことだ。
ハイスクールU.S.A.―アメリカ学園映画のすべて
長谷川 町蔵 山崎 まどか
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学園映画は単に学生を主人公としたり、高校や大学を舞台にしたから学園映画と呼ばれているわけではない。そこには弱者がいて強者がいる。勝者がいて敗者がいる。つまり、「学園」は青春の象徴であると同時に、社会の隠喩であるのだ。
アメリカ映画は『ブレックファストクラブ』や『アニマルハウス』から『ハリー・ポッター*1』や『ソーシャル・ネットワーク』まで、手を変え品を変え社会の隠喩としての「学園」を主題にした映画を送り出し、学園映画はジャンルとして確立した。『仮面ライダーフォーゼ』や『きっと、うまくいく』は、学園映画が世界中の人間に受け入れられる普遍性を持っていることの証だろう。
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一方、ピクサーはこれまで、自分たちがアニメ映画を作る思いや志というものを、過去の名作映画を下敷きにして表現してきた。
たとえば『トイ・ストーリー』は「バディ映画」を下敷きに、子供の玩具である自分たちが、如何に子供を楽しませるかという話だった。
たとえば『ファインディング・ニモ』は「ロード・ムービー」と「脱走もの」を下敷きに、いつの間にか親になってしまった自分たちが「子供の成長」とどう向き合うかを描いていた。
モンスターズ・インク』は「アパートの鍵貸します」に代表される50〜60年代に作られた会社員コメディ*2を下敷きにしている。描かれたのは、それまで子供のことなど意識していなかった独身貴族が、子供を楽しませることで自分たちも幸せになる、という『トイ・ストーリー』の変奏のようなお話であった。


つまり、モンスターズ・インク社は、どう考えてもディズニー社もしくはピクサー社の隠喩なのだ。
で、『モンスターズ・ユニバーシティ』は続編というか前日譚で、「学園映画」を下敷きに、「怖がらせ屋」という名のクリエイターを目指す青年たちの青春――その光と影を描いている……いや、光じゃないな。これは挫折の話だ。子供の頃から何も持っていなかった人間が、大学に入って友愛やリーダーシップを学ぶも、大事に抱えていた夢をどこかで諦める――学生時代に一番になれなかった人間の怨念で溢れている映画だ。
本作のマイク・ワゾウスキー(いかにも新移民の末裔っぽい、すてきな姓ではないか!)は、徹底的に何も持っていない人間……じゃなかったモンスターとして描かれる。サリーに比べて才能が無いだけではない。当初、彼には心を許せる友人がいない。冒頭、社会見学でコンビを組んでくれる相手がいないので、先生とコンビを組むも名前で呼ばれることを拒否される描写は、あくまでディズニーのアニメ作品というおもしろ演出で描かれているものの、よくよく考えれば残酷だ。前作で登場したママも今回は登場しない。マイクには夢しかない。努力が得意なのではなく、努力するしかないのだ。


以下ネタバレだけど、なるべくネタバレのないように書くよ。


しかし、その夢が叶うことはない。マイクが夜の湖で、足が泥で汚れるにも関わらず膝をつき、うなだれるシーンの凄まじさといったらない。暗くて、冷たくて、寂しくて、仲間のモンスターなぞどこにもいないあの湖は、マイクにとっての地獄なのだ。『トイストーリー3』で出てきたゴミ焼却場が玩具が行き着く先の地獄だとしたら、あの湖は夢を失った人間じゃなかったモンスターが墜ちる地獄だ。凡百の映画だったらマイクに涙の一粒でも流させるところを、背中だけで語らせる演出がすごい。まさかあのような、ニコちゃん大王の親戚みたいな緑のデブ小人の背中で泣かせられるなんて!

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興味深いのは、「敵」が今までのピクサー作品とは若干違うところだ。
これまで、ほとんどのピクサー作品では、主人公の影や暗部を象徴するようなキャラクターが悪役だった。『モンスターズ・インク』のランドール、『Mr.インクレディブル』のシンドローム、『カーズ』のチック・ヒックス、『カールじいさん』のマンツ、『トイ・ストーリー2』のプロスペクターや『3』のロッツォ……彼らは主人公にとって「ありえたかもしれないもう一人の自分」だ。
ところが、『モンスターズ・ユニバーシティ』の敵はこれまでと異なる*3。エリート・フラタニティであるロアー・オメガ・ロアーのリア充学生たちに勝利しても、それはマイクにとっての勝利ではない。彼にとっての勝利は単にリア充どもに勝つことではなく、子供の頃からの夢を叶えること――立派な「怖がらせ屋」になることだ。



だから、湖の場面で、マイクは湖面に映った自分の姿を忌々しげに払いのける。この時、マイクは真の「敵」――「もう一人の自分」に負けたのだ。
この後、マイクはクリスタル・レイクみたいな湖のほとりのキャビンを舞台に大活躍し、別の道に気づく。これは一見ハッピーエンドにみえる。しかし、マイクが子供の頃から抱えていた夢を叶えられなかったことに変わりは無い。
モンスターズ・ユニバーシティを去るマイクがウーズマ・カッパの仲間たちにかける言葉がまたすごい。「自分を信じて……」これは、単に自分の才能を信じろとか、夢を信じろとか、努力し続けろとかいった意味ではない。夢を失っても、才能が無くても、努力が実らなくても、それでも残る自分というものを信じ続けなければならない、そうでなければ死んでしまう、あの暗くて、冷たくて、寂しい地獄に堕ちてしまうぞ……そんな意味じゃなかろうか。
*4夢とは呪いなのだ。

*1:特に映画版一策目は資本も監督もアメリカである

*2:多くはニューヨークのような都会を舞台にしている

*3:ジョン・ラセターやジョー・ランフト、ブラッド・バードアンドリュー・スタントンといったピクサーの面々が、カリフォルニア芸術大学出身であることは有名な話だ。ところが、本作に出てくるモンスターズ・ユニバーシティは西海岸にあるような新しくてモダンな校舎ではなく、東海岸にあるような古くて歴史ある大学のような校舎だ。これは、ピクサーの制作陣が第二世代に移ったことを意味しているのかもしれない

*4:木場勇治のいうように