ビートたけし監督15年ぶりの新作:『アウトレイジ』

アウトレイジ (北野武 監督) [DVD]
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アウトレイジ』面白いわー。
面白いのだが、私がどこに面白さを感じたかを語るには、ちょっと説明が必要だと思う。


アウトレイジ』は北野武にとって久々の暴力映画という触れ込みなのだが、『その男、凶暴につき』や『ソナチネ』とは全く異なるタイプの映画だということは、ちょっと気の利いた奴なら一見して誰もが気づくだろう。


まず、画面にメタファーとかシンボルとかいったものがほとんど登場しない。それまでのキタノ映画に特徴的だった、鳥とか犬とか神相撲とか文楽人形とか直筆の油絵とかいったものが、一切スクリーンに映らないのだ。あるとすれば、蒼ざめた馬のようにヤクザ達を運ぶ、黒塗りの車くらいなものだろう。
その代わりに映し出されるのは、まるで野生動物のようなヤクザの生態だ。深町先生は『ダーウィンが来た!』に喩えていたが、確かに椎名桔平のセックスシーンなんて、死を目前にした野生動物が遺伝子を遺そうとしてる姿そのものだよな。
キタノ版ダーウィンが来た! 満腹映画「アウトレイジ」 - 深町秋生の序二段日記


また、映画というものは張りっ放しの伏線とか、思わせぶりでいてじつは意味が無いカットというのも含まれる(含んでしまう)ものなのだが、『アウトレイジ』は伏線がいちいち回収される。妙に存在感がありながらも、ヤクザのステロタイプにあてはまらないキャラは必ず裏があるし、理不尽な暴力を振るったキャラは、たとえそれが頬っぺたひっぱたくくらいの軽いものであったとしても、必ず仕返しされる。車を変えたほうがいいと言われれば何シーンか後でちゃんと車を変えるし、セックスとか不意の暴力とかいったキタノ映画なりの死亡フラグが立ったらきちんと死ぬ。まるでフリをかならず拾って笑いに変えるコント、お笑いバラエティーにおけるドラマ仕立てのコントみたいだ。


そうだ、コントだ。本作に関連したインタビューなぞ読むと、北野武は映画でやりたい殺し方を思いつく度にノートにメモしていて、最初に「みせたい殺し方」のシーンありきで、このシーンを繋げるように逆算でストーリーを作っていったらしいのだが、これは池ポチャとか逆バンジーとか爆発とか、「みせたい笑い」のシーンありきでストーリーと作っていくコントの作り方そのままではなかろうか。


だいたい本作は暴力映画なのだけれど、それほど痛みを感じないんだよね。いや、肉体的な痛みは感じるよ。カッターで指つめやらされたり、中華包丁でスパっと指をやられたりと、即物的な暴力の痛さは感じるよ。でも、カッター指つめや歯医者のシーンはまるでコントで、虚空から落ちてきた金ダライが頭に当たった痛みが大きければ大きいほと笑えるのと一緒で、笑えてしまうんだよね。
反面、精神的な痛みというか、キャクターの心情に入り込んでの憎悪とか不安とかいうのはあまり感じない。コントに出演している芸人がどれだけ愛や怒りや悲しみや喜びを語っても、どこかウソっぽく、笑いの為にそうしているんだろという感覚が拭えないのと一緒だ。


だからといって『アウトレイジ』がつまらないかといえば、決してそんなことはない。最初はなんてことないイザコザが次第にエスカレーションし、良い顔をした男たちがドンドコ死んでいくさまをキタノ映画ならではのストイック極まりない映像で捉えたフィルムは、他の監督では撮れないだろう。



アウトレイジ』を語るにあたっては、北野武、あるいはビートたけしと呼ばれる人間にとっての映画制作とはどのような意味を持った行為であるかを考える必要があるんじゃないかと思う。

映画というものは、それを撮った人間の情熱とか、やむにやまれぬ思いとか、情念とか、そういうものがないと成立しない。
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押井 守
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こう語ったのは押井守だった。
では、北野武にとっての「やむにやまれぬ思い」とは何か? 初期のそれはまず間違いなく「芸人ビートたけしではない、クリエータ北野武にとっての自己実現」であった筈だ。


そうそう、よく初期○○とか後期○○とかいうが、映画監督北野武にとっての初期・後期の定義は簡単だ。原チャリで事故る前が初期、事故った後に復活してからが中期、あるいは後期だ。具体的にいえば『その男、凶暴につき』〜『ソナチネ』が前期、『キッズリターン』以降が中期もしくは後期だ。物語も、主人公が必ず自殺したり破滅したりする『その男〜』や『ソナチネ』と、この世に生きる辛さを滲ませながらもみっともなく生き延び続けていく『キッズリターン』や『HANA-BI』と、事故を境に変化した。北野武あるいはビートたけし自身も、原チャリ事故は半分自殺のようなものだったとあちこちで語っている。


しかし、ヴェネチア国際映画祭グランプリを筆頭に、世間的な評価を得るに連れ、北野武にとっての「やむにやまれぬ思い」は薄れてゆくようにみえた。映画監督として撮りたい主題が段々と無くなってしまうようにみえたのだ。実際、北野自身が自嘲をこめて「ゴダール病というかフェリーニ病というか」と語った自己投影三部作は、撮りたい主題が無くなったフェリーニが映画監督としての自身に題材を求めた『8 1/2』を三回連続でやったような作品群にみえた*1
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されどしかし、芸人としてもとっくの昔にピークを越えた北野武あるいはビートたけしにとって、映画制作というのは人生の愉しみの一つであることは想像に難くない。一流の俳優とコミュニケートできる撮影現場が好きで、様々な絵を繋ぎ合わせることで全く別の意味を持たせられる編集という作業が好きなことは、まず間違いないだろう*2


そんな北野武あるいはビートたけしが「そろそろポテンヒットくらい飛ばさないと、死ぬまで映画作り続けられない」と、絶妙なマーケティングにおけるバランス感覚と、自らの映画的記憶ならぬ映画監督的記憶だけで作った映画、それが『アウトレイジ』なのではなかろうか。
そういえば初期北野が行詰まった際。芸人ビートたけし名義で監督した『みんな〜やってるか!』に本作はどことなく似てないだろうか? 『みんな〜やってるか!』の「笑い」を「暴力」に置き換えれば、『アウトレイジ』が誕生するのではなかろうか?
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北野武
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我々は異形の映画監督が最高の職人監督に生まれ変わるさまを、今まさに目撃しているのかもしれない。

*1:でも、『TAKESHIS’』なんかはわりと好きだったりする

*2:他人の映画の編集だけやりたい、なんてことも言っていた