監督、サイタマに還る

これまた友人に教えてもらったのだが、サイタマノラッパーの入江悠監督が貧乏を理由に実家に帰るという。


http://blog.livedoor.jp/norainufilm/archives/51672315.html


実家なら家賃かからないってことなんだろうけれども、辛い話だよね。
これが、ここ何年も作品を発表せず、久方ぶりに世に問う作品が女子高生がレイプされて妊娠して不治の病に苦しみながらもイケメン彼氏とセカイの中心で愛をつぶやく難病エクスプロイテーション映画だったのなら納得する話だよ。でも、『サイタマノラッパー』はいとうせいこうが二回観て号泣し、ライムスター宇多丸が号泣メ〜ンと叫ぶ、名作だったんだよね。いくら不況とはいえ、泣ける話だよ。いや、監督の実家は『サイタマノラッパー』の舞台にもなった深谷市で、これを都落ちと表現されると近隣の川越市に住んでる自分としては心穏やかじゃなかったりするんだけども。
2009年06月18日のブログ|readymade by いとうせいこう


自作のプロモーションの為に映画祭に出席したり取材を受けたりしても、全然身入りにならないというのはインディーズ映画作家にとっての常識らしい。


精神病とモザイク タブーの世界にカメラを向ける (シリーズCura)
480583014X

作風は全然違うのだけれども、ドキュメンタリー映画作家の想田和弘もメイキング本『精神病とモザイク』の中で同じように言及していた。
国際映画祭はたとえ招待されても基本的に航空機のチケットと宿泊代しか出ないので、一年に何度も参加すると生活が苦しくなるのだと。それでも、ダイレクトに自作の感想を観客や各国の映画人から貰えるのは貴重な経験なので、ジレンマがあるのだと。ドバイ国際映画祭なんか凄い豪華なホテルをあてがわれたので、もっと安宿で良いから差額を現金で欲しいなんて書いていたなぁ。

入江監督のブログで面白いのは、評価と経済状況の変遷を数値で表しているところだろう。

1)劇場公開が決まる。やったー。
(経済指数?100/評価指数10)

2)宣伝が始まる。
チラシ制作、ブログ開設、取材等が始まる。
テンション上がって、すべての制作費を支払う。
(経済指数ー150/評価指数30)

3)劇場公開が始まる。
意外と評判が良く、公開延長になる。
(経済指数?150/評価指数50)

4)さらに意外と評判が良く、地方でも公開が決まったため、地方の方にも観てもらえるように舞台挨拶やラジオ出演等に奔走する。
(経済指数ー170/評価指数80)

5)もっと評判があがり、海外の映画祭にも参加したりする。
一方で宣伝や舞台挨拶等で仕事をする時間はないので、収入はゼロ。
ただ生活費だけを浪費していく毎日が続く。
(経済指数ー180/評価指数100)

6)最初の劇場公開から約1年が過ぎてもまだ公開が続き、宣伝活動は地道に続けている。
ようやく劇場公開分の収入から配分が始まるが、この時点で最初の劇場公開時からかなりのタイムラグがある。
劇場→配給→(宣伝)→製作者(僕)の順番に払われ、しかもそれぞれが決められた部率ごとに収入から利益を得る。
(製作者には製作費の半分も戻ってこないこともある)。
一方で、映画賞などを受賞したりして映画、個人の評価は上がっていく。
実感として経済状況と評価状況が真逆になる。
(経済指数ー150/評価指数150)

あくまで監督の実感なのだけれども、ちょっと面白かった。


最近Twitterの説明なんかでよく出てくるので既に御存知の方も多いと思うのだが、「ウッフィー」という概念がある。


マジック・キングダムで落ちぶれて (ハヤカワ文庫SF)
川副 智子
4150115265

「ウッフィー」とはSF小説『マジック・キングダムで落ちぶれて』に出てくる造語で、「信頼」とか「尊敬」とか「評価」といったものを洗わすデジタル通貨のようなものだ。『マジック・キングダムで落ちぶれて』の作品世界では人々が装着しているヘッドアップ・ディスプレイに各自のウッフィーが表示され、ステイタスの基準となっている。

この「ウッフィー」という概念を社会学的に敷衍し、評価経済を説明しようと試みたのが「ツイッターノミクス(原題:The WhuffieFactor)」という評論本だ。以降、「ウッフィー」はTwitterにおけるフォローやRTのやりとり――評価のやりとりを表現する際に良く持ち出される単語となった。
ツイッターノミクス TwitterNomics
村井 章子
4163724001


で、話は元に戻る。『マジックキングダム〜』の未来世界ではウッフィーを貯めれば喰って行くのに困らなかったのだけれども、現実世界ではまだまだそうじゃない、ってことになるのかな。いやいや、辛い話だよね。


これがハリウッドなら、全然事情が違ったと思う。おそらく、オファーが次々と舞い込んで、準備金や契約金で暮らせたんじゃなかろうか。日本でも、もしこれがアニメ業界やゲーム業界だったら、ここまで経済的に困窮することは無かったと思う。そういやGyaoの『ひとり夜話』で岡田斗司夫が「アニメ業界の"貧乏"は普通の貧乏だけれども、邦画の貧乏は栄養失調になるくらいの貧乏」と言っていたなぁ。


ただ、ここでちょっと思うのだけれども、実のところウッフィーというのは数値化できない・しようとした人がいなかっただけで、昔からあったのではなかろうか。


たとえば、いとうせいこうは早速RTした*1。ライムスター宇多丸はラジオで「DVD買おうぜ!」と話題にした*2。自分がこれを知ったのも、とあるSNSにて友人が話題にしたり、twitterにてRTされたりしたのをみたからだ。で、このエントリを書いたわけだし、『サイタマノラッパー』のDVDもレンタルで済ませるのではなく購入してしまおう、なんて思ったりした。
SR サイタマノラッパー [DVD]
B0039XIA7A


のだが、amazonでは現在2〜4週間待ち。やったね、入江監督! そう遠くない未来に東京に戻れるのではなかろうか。


こういうのって、つまりは昔でいうところの互助会的なものに近いと思うんだよね。あいつは良いヤツだし皆の役にたつヤツだから、苦しい時は助けてやろうぜ的な。つまりは、そういう評価を皆から受けている隣人は、たとえ苦境に立たされたとしても皆が助けてくれるという、日本の昔ながらの助け合い精神だ。
異なるのは物理的・地理的近さではなく属性や文化圏や業界の近さという意味での隣人ってことなんだけれども、そういう昔ながらの美徳がネットの最先端(というわけでもないが)にみられるというのは、なんかちょっと面白いなと思った。