恐怖のお笑い大魔王ポン・ジュノ:「母なる証明」

ボーナス前のこの時期は金欠なのでなるべく外に出ないように過ごしているのだが、これだけは観ておこうと思い立ち、「母なる証明」を観た。「殺人の追憶」や「グエムル」を越える凶悪な映画だと感じたよ。
映画の前半、警察のいい加減な捜査とか、ほとんどエンターテイメントな現場検証とか、「殺人の追憶」を想起させるシーンが続き、ポン・ジュノ監督もとうとう自作のエピゴーネンに手を染めるようになったかと思いきや……嗚呼、これは「殺人の追憶」と全く逆の構造を持った映画だったのだなと深く頭を垂れて映画館を出た。や、今年の韓国映画で強く印象に残った作品に「チェイサー」ってのがあったけれど、こういう映画がヒットする韓国って絶対に儒教の国じゃないなと思ったよ。……いや、儒教の国だからこそ、こういう主題を持った作品がヒットするのかもな。
殺人の追憶 [DVD]
B000FHIVYA

チェイサー ディレクターズ・エディション【初回限定生産2枚組】 [DVD]
B002FHSDY6


以下、なるべくネタバレの無いように書くつもりだけれど、カンの良いヒトにはネタが割れてしまうので注意して読んで欲しい。


人間の心の奥底には暗闇があり、鬼が棲み、モンスターが潜んでいるというような物語は、古今東西山ほど作られてきた。子を思う親が鬼の形相で悪事を犯す、愛する恋人の為に盗みを働く、肉親の為に一線を越える、テレビをつければ、そんなドラマで一杯だ。人間が善悪の基準を発明したと同時に、このような物語が誕生したと言って良いだろう。
にも関わらず「母なる証明」が衝撃的なのは、やはりその語り口故だと思う。具体的に書けば、徹頭徹尾「画」で説明しきろうとする映像スタイル、細田守を越える同ポジションの多用、北野武ばりの省略とモンタージュ、常に観客の期待を裏切る編集*1、BGMとキャストの適確な使い方……といったところなのだが、今回改めて感じたのは凶悪な笑いのセンスだ。


この映画、冷静に考えてみると、笑えるシーンが沢山ある。たとえば、へべれけになって倒れていたおっさんが○○であると判明するシーン。たとえばゴルフクラブに付着していた血が○○だったと判明するシーン。「母」が生理用品を買うシーンに引きつった笑いを浮かべた方もいるかもしれない。盗みに入った家出、箪笥に隠れてやり過ごそうとしたら、家主がセックスを始めてしまうシークエンスは、三谷幸喜だったら最大の見せ場にする筈だ。なによりもまず、何の気なしに落書きしたゴルフボールが契機となって逮捕されるくだりがお笑いだ。
にも関わらず、引きつった笑いこそ浮かべてしまうものの、このようなシーンに爆笑できないのは、上記のシーンが全てシリアスなサスペンスの文脈を外す意図で使われているからだ。これが悪夢の煮凝りのような効果を発揮する。喩えるなら、食い合わせの悪い料理のようなものだ。生魚と一緒に飲む赤ワイン。ショートケーキをブチこんだ鍋料理。「お笑い」という人を笑顔にさせるスイーツも、モツ鍋に入れたらイライラさせるだけの代物でしかない。ケーキのクリームとモツの旨みの絡み合いが、人を不快にさせる。料理としては大失敗だ。


しかし、イライラさせることが目的だとすれば、話は変わってくる。


きっとポン・ジュノ監督にとって、世界は常に定量できないリスクに満ち、不安と焦燥でイライラさせるものだったのだろう。だからこそ伏線ゼロで交通事故が起き、だからこそ薬草を切る機械で指を怪我し、だからこそ無実の罪で収監される。
しかし、それをそのまま描いても、創出されるイライラさには限度がある。だからこそ、コメディとサスペンスの間のような作風に辿りついたのだろう。思い返せば「吠える犬は噛まない」は、犬の殺害や犬食のシーンに場違いな落ち着かなさを感じるものの、基本的にコメディだった。
ほえる犬は噛まない [DVD]
B0001N1QSQ


人が人を殺す、そういった反道徳的な行為はそもそも、イライラするものだ。だが、この映画は基本的に「母」の目線で話が進む。「母」が感じることを我々も感じ、「母」の愛や焦燥を追体験し、「母」の思考をなぞるように作られている。だからこそ映画のクライマックスで「母」がとる行動がすとんと腑に落ちる。母の愛は強し。何よりも強し。しかし、言語化できない、割り切れない思いが心の奥底に残る。そこが本当に上手い。


そんなことを、刑事役の俳優がどこかしら島田紳助に似てるなぁなどと思いつつ、妄想しました。

*1:終盤、ちょっと強引なところもあるのだが、テンポで押し切る所が上手い