世界が違うということ:「意志の勝利」その2


以下、「意志の勝利」の感想の続きというか余談。




オタ的にはRAD(国家労働奉仕団)屋外集会が気になった。参加者が一人ずつ出身地を言い、「沼地で!」「塹壕で!」「我々は働きます!」なんて叫ぶのだが、「沼地」に「塹壕」ですよ。これとゲッベルスの総力戦演説が「HELLSING」の少佐の演説のネタ元なのだろう。平野耕太は勉強家だ。庵野秀明が実際の資料映像を観まくって爆発シーンを描いたのと同様に、ナチ幹部達の演説シーンを観まくって「諸君、私は戦争が好きだ」で始まる少佐の大演説シーンを描いたのだろうな。




また、劇場で映画を観るという行為の利点は、大画面で集中してみられるということの他に、どういう属性の観客がどのような反応をするか観察できる楽しみもあるのだと、最近ようやく気づいたのだが、真面目そうな初老の人が多かったのが印象的だった。中でも、日本人男性とドイツ人女性の初老の二人組がいて、この人達はもしかして「アドルフに告ぐ」や「終戦のローレライ」みたいに戦前・戦中に国際結婚してなんたらかんたら〜みたいな、想像を逞しくしてしまったよ。


ただ、一番の驚きは、映画館の真下にアニメイトがあったことだ。勿論、件の国際結婚夫婦もその前を通過する。いや、世界が違うとはこのことだね。


しかし、そんなアニメイトにも「HELLSING」はちゃんとあるわけだ。いや、良く考えてみれば、これは凄いことだと思うよ。
HELLSING 3 (ヤングキングコミックス)
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視点や世界観やそれまで生きてきた人生が異なる人間とあったとき、我々はよく「世界が違う」とか「違う島宇宙に属している」とか「バカの壁がある*1」といった言葉を使う。それは単なるアナロジーであるけれど、コミュニケーションの絶対不可能性を無理矢理納得させられる言葉でもある。


しかし、それは単なるアナロジー以上のなにものでもなくて、本当は、世界は違わないんだよな。物理学的に同じ島宇宙に属しているし、バカの壁なんてものは妄想の中にしか存在しない。飛行機に乗ればドイツに行けるし、時間軸を遡れば(可能であればの話だけど)ナチス政権下のドイツに行けるだろう。


それはつまり、条件さえ整えば、「自分の世界」がアナロジー上の「違う世界」や「違う島宇宙」に変質してしまうことを意味する。全てを破壊し、全てを繋げ!


その後、意外に中古DVDが安い渋谷ブックオフにいってみたら、どうみてもオタクなドイツ人青年二人組がドラゴンボールZPS2ソフトを手に熱く語り合っていて、おれ達はこういう世界を大切にしないといかんなー、と強く思いましたとさ……という、嘘のような本当の話です。

*1:古いね、どうも