墓場まで持って逝きたい:「定本コロコロ爆伝!! 1977-2009」

 かつて、私にとって三種の神器とは、ファミコンミニ四駆ビックリマンのヘッドのことであった。全てのホビーは勝負と友情のコミュニケーション・ツールであったし、全てのマンガが新しい世界への入り口だった。藤子不二雄両人と高橋名人は今でも私にとっての「神」であり続けているし、どんなにゴーマンをかまされようとも小林よしのりに絶対的な悪印象を抱けないでいる。
 そんな価値観を持つに至った理由は、小学生の頃コロコロの読者であったという一点に尽きる。特に現在二十代後半から三十代の方には、程度は違えど同じような価値観の持ち主が多いのではなかろうか。
 や、ライバル雑誌であるボンボンもきっちりチェックしていたし、友人が次々とコロコロを「元服」していく中、中学生になっても買い続けていたのだが。さすがに高校生になると本屋で買うのが恥ずかしくて恥ずかしくて、わざとエロ本やエロマンガと一緒に買ったりしたのも今となっては良い思い出だ。普通、エロ本の方が恥ずかしいよな。


 さて、そんな熱きコロコロ魂の持ち主には見逃せない一冊が先月末に発売された。「定本コロコロ爆伝!! 1977-2009『コロコロコミック』全史」なる、コロコロの創刊から現在までを編集者やマンガ家や様々な関係者へのインタビューや座談会でまとめた研究本だ。
定本コロコロ爆伝!! 1977-2009 ~ 「コロコロコミック」全史
渋谷 直角
4870319144


 この本、半端ではない。
 歴代編集長に編集者に社外ライター、藤子不二雄(A)やすがやみつるといったコロコロを代表する漫画家をはじめとして、マンガ家はのむらしんぼビッグ錠小林よしのりから、樫本学ヴ橋口たかしを経過し、松本しげのぶむぎわらしんたろうといった現役世代を含めた三十余人を網羅。玉井たけし徳田ザウルスの箇所では涙、涙、ただ涙だ。ホビー関係では高橋名人毛利名人タミヤの前ちゃんや反後博士にもきっちりインタビュー。果ては「コロコロの真のライバルはボンボンじゃなくてジャンプだ!」という観点から、最後に鳥嶋和彦のインタビューを載せるという見事な構成。熱い。熱すぎるぜ!

伊藤善章【藤子プロ社長】
編集者がどんどん変わるでしょ。(中略)雑誌もどんどん変わってくるものです。でもね、ありがたいのは、年末になると『コロコロ』の編集者と若いスタッフ含め全員で、藤本先生の部屋を見に来てくれるんですよ。そこに先生がいるわけじゃないし、先生の机と身の回りのものがあるだけなんですけど、編集者のみなさんが「ああ、藤子・F・不二雄はここで仕事をしていたんだ」って眼を輝かせながら見てくれる。これ、毎年必ずです。毎年来てくれるんです。

藤子不二雄(A)
絵が上手いとたしかに引き込まれるけど、今の子供たちはいろんなマンガを読んでるから、「なんだこれ、内容がないじゃないか」と思われたら、もう読んでもらえないわけ。逆に、絵がヘタな人でも本当に自分のマンガをおもしろいと思って描いていて、「どうだ、おもしろいだろう?」と投げかけてくるような作品。そういうものが子供にはウケる。そういう熱さが、子供には必要なんですよ。自分がいかに描きたい、おもしろいと思うものを描いて、「子供に見せたい!」という熱量を持ったマンガ家が必要だと思うんだね。

のむらしんぼ
でも当時は、心のどこかに「子供マンガなんてくだらない」みたいな気持ちがあったんです。稚拙だ、ってバカにされるし、物書きとしてはレベルが低いみたいに卑下してしまって……。ある日、千葉大学付属病院に入院していた男の子がいて、そのお母さんの友達から手紙が来たんです。その子は亡くなったんですけど、「先生の描いてくれたハゲ丸の色紙を抱いて、天国に昇って行きました。ありがとうございました」って書いてあった。その時は、僕のほうがありがとう!って感謝の心でいっぱいでした。それで、一生児童マンガ家でいい!って思えたんです。偽善と思われるかもしれないけど、こんな素晴らしい職業が他にあるか、意地でもやんなきゃ!って。

あすかあきお
ところが、例の部屋で合作のために作家さんたちが集まることがありまして、その場をおもしろくしてやろうとたまたま余興で夜中にスプーン曲げをしたんですよ。それが……間違いだったな(笑)。(中略)作家さんから平山さんから編集長も飛んできて「どうやったの?」って聞くから「たいしたことないっスよ」って答えてたんだけど、そのうちに編集者が固まってボソボソと語りだしたの、「連載しよう」って(笑)。でも僕はスポーツマンガが描きたいから、「いやぁ……でもこれやり方があるんですよ」って言ったら、「やり方がある?そのほうがおもしろいじゃないか!!」って。それで逃げられなくなったんだよお〜!

Moo.念平
連載中、2代目編集長の福島さんに「『男吾』、人気ないんだよ、Moo.さん」って言われたんです。「でも、ひとつの雑誌の中には、人気アルナシにかかわらず『男吾』みたいなマンガがなきゃ駄目だ。だからなんとか続けてますよ」とおっしゃってくれて。ああ、『男吾』は人気云々を飛び越えて、存在として大目に見てくださったのかなって思いますね。ホビーマンガばっかりじゃダメなんだと思ってくれていたのかもしれない。ただその後、原稿を届けに編集部に行ったら、福島さんに「そろそろ人気、なんとかしてくれ」って言われましたけど(笑)。

小林よしのり
子供はそのマンガを好きになったら、とことん好きになってくれるわけよね。ただ、もしつまんないマンガを1回でも描いたら、子供はすぐ切り捨てるわけよ。昨日まで単行本全部揃えてても、「アレはもうダサい」とか平気で言えちゃう。だから子供は、楽しいけど恐ろしいの。子供に限らず、読者が楽しいと思ってるかどうか、作家はそれにいつもビクビクしてないとダメなわけ。つねに自分の横にそういう読者というものを置いてるかどうかが、作家としてダメになっていくか、いかないかの境い目よね。それだけシビアなのよ。だって権威が通用しない。名前もなにも通用しない。おもしろいか、おもしろくないかだから。それを今、いろんな学者に教えてやろうと思っとるわけ(笑)。

平山隆【第3代目編集長】
中一の夏休みを過ぎると大人になっちゃうんだよ。突然ナンパになる。小学6年生までは最後まで硬派なんだよ。よく言うのは、親友同士で1人の女の子を好きになっちゃう。中学以上の人は「なんとか俺の彼女にしよう」て思う。戦うわけ。でも『コロコロ』の読者が思うのは、「一緒にあきらめよう」(笑)。
――あきらめるんですか。「君に譲る!」とかでもなく(笑)
譲るのは少年っぽくない。それは大人の考え方(笑)。「やっぱり友情だよな!」って、一緒に女の子をあきらめるのが『コロコロ』。『コロコロ』のマンガの精神ってそこなんだよね。

高橋利幸
でも今になって思うのは、子供たちには、こっちも本当に全力でぶつかっていかないと、反応が返ってこないんですよ。対等の目線で、向こうの意見をちゃんと聞いて、反対に僕らもある程度は言いたいことを言う。あの頃、ファミコン名人は僕と毛利名人以外にもたくさんいたんです。でもぜんぜん記憶に残っていないでしょう?それはきっとね、口先だけで子供と接してきたからなんですよね。子供との接し方、ちゃんと向き合っているかいないかで、今でも記憶に残っているかいないかの差になっているんだと思いますよ。学校の先生と同じことですよね。

前田靖幸
『コロコロ』に商品を紹介してもらうというのは、ホビーメーカーにとって、自動車メーカーがレースに参戦するのに似ているんです。マンガや記事を使ってRCカーの可能性の限界まで見せてあげることによって、子供たちはそのマシンに憧れ、ベースマシンとして商品をイメージしてくれる。オモチャをただのオモチャで終わらせない、というスタイルを作ったのは『コロコロ』なんですね。「オモチャ」という言葉は絶対使わないという編集部の姿勢もありましたし。タミヤの姿勢とすごくマッチしていて、やりがいがありました。

秋元輝夫【三代目副編集長】
未完成な部分がないとダメっていうメンタリティーが『コロコロ』にはあった。それが今も受け継がれている。ミニ四駆はその最たるものだった。
前田靖幸
それと、「子供のレベルには合わせない」というのもありましたね。専門用語とかもそのまま出してました。「悔しかったら、調べればいい」って。子供は、子供扱いされたと思ったら、もうダメなんです。絶対こっちに来てくれない。こっちが目線下ろした瞬間、もうダメなんですよ。
黒川和彦【4代目編集長】
文章にも平気で「ギア比」とか「トルク」とか使ってからね。お母さん、チンプンカンプン(笑)。

柏原順太【ビックリマン担当編集者】
思い出深いのは「キャラクター・アイデアコンテスト」。読者に、「ビックリマン」のキャラクターを考えて送ってくれ、と。それで賞品にシール全弾セットをアルバムに入れようって企画をしたら、すーごい反響があって、10万通以上来たんですよね。(中略)1人で10万通見ましたよ。毎日残業して、ずっとハガキだけ見て一ヶ月かな……。いくらやっても終わらない(笑)。しかも同じ姿勢でハガキを見てたから、首が回らなくなってしまって。辛かったけど、読者の考えたキャラクターは最高に面白かったですね。

窪内裕【ビックリマンゾイド担当ライター、「スーパービックリマン」原作者】
『コロコロ』の編集者にはすごく影響を受けました。とにかくおもしろがる。夜中に「打ちあわせやる」って言うから、編集部に行くじゃないですか。そうすると、編集者が「ちょっと待ってね」と言いながら、延々ゲームをやってる。もちろん、それも仕事ですが……、たぶん本気で楽しんでもいる(笑)。そういう編集部だったんですよね。それで結局、打ちあわせを始めるのが夜中の4時。「じゃあ、こんな時間だし、酒でも呑みながら」とか言って。(中略)いつもなんでこんなもの見つけて、こんなに真剣に遊ぶのかなあって思ってました。だから自分も、すっごい楽しんでやってましたよ。

秋本輝夫【ファミコン担当編集者】
あと、イベントに来てもらうと、読者の子供たちは本当の意味での『コロコロ』のインサイダーになってくれるわけです。たとえば、ラジコンで成績が良くて優勝すると、どこの誰々と雑誌に載る。そうすると、傍観者からインサイダーになってコミットしてくれる。イベントというと1回やって終わりみたいに思われがちだけど、「子供たちをインサイダーにしていくための装置」みたいな感じとして理解するとわかりやすい。

鳥嶋和彦
で、僕の前の編集長は『少年マガジン』に追いつかれて、『マガジン』ばっかり見てたわけ。だから僕が編集部に戻って、まずスタッフに言ったのは「『マガジン』のことは一切気にしなくていい」と。
――おお、カッコイイ!
あれは全然別の雑誌だから。『ジャンプ』はキャラクターを中心に作ってきた雑誌。でも『マガジン』はドラマで作ってるから、方法論が全く違う。読者年齢は向こうが上だし、あれは少年誌じゃない。『マガジン』よりむしろ『ジャンプ』に近いのは『ヤンマガ』のほうだと。本当にこっちが意識してほしいのは『コロコロ』なんだ、と。
――うおお。
なぜなら、小学校低学年は『コロコロ』がおさえている。その低学年の子供が高学年にいくところで『ジャンプ』がどう奪うか、だから。間口をキチッと大事にしてほしい、と。ほしいのは小学校高学年と中学生。『コロコロ』を意識してほしいのと同時に、『ジャンプ』の原典を大事にしてほしい。他は一切見なくていい。そこがブレてるから、マンガ作りがおかしくなってるんだ、って言ったんだ。


……と、上記引用はごく一部。こんな感じで名言や注目発言が延々と続く、恐るべき本だ。実は、ブログで紹介する為にエエこと聞き出してる箇所に付箋を貼っていこうと思ったのだが、途中で辞めてしまった。


 いや、これは買いですよ、買い。
 この本はrelaxという雑誌で2003年に行なわれたコロコロ特集をベースにしているらしく、そこからの転載が結構多いのだが、同誌を持っていない私のような人間は絶対に買いだ。ただ、その他の記事も2007年収録というのが多いのだが、まとめるのにかなり時間がかかったんだろうな。
垣間見えるのは、『コロコロ』の編集者やマンガ家が読者をどのような存在として捉えていたかという認識だ。多分、彼らのほとんどは子供達を単なる消費者やお客様とは考えていなかったのだろう。一度でも子供扱いしたら失望され、興味を失われ、棄てられる、油断のならない客。しかし、きちんと相対してぶつかっていけば、びんびんに反応を返してもくれる。正に、「好敵手」と書いて「とも」と呼ぶような存在として捉えていたのじゃなかろうか。そして、その認識は今の『コロコロ』の作り手達も同じなのだろう。


 さて、そこまでお薦めしたくなる理由としては、この本をまとめた渋谷直角と私が同い年であるという同世代的価値観の共有も大きいと思う。逆にいうと現在二十代後半から三十代、団塊ジュニア世代、1970年代生まれといった同世代なら必携必読の書といえよう。あ、男子に限るけれども。

秋元輝夫【三代目副編集長】
今の30代前半くらいの世代、ちょうどノリの良い世代なのね。子供の数が非常に多くて、92年くらいに少子化のピークが来るんだけど、その頃はまだ手前。だいぶノリが良い子供たちで。ミニ四駆でもファミコンでも、ある種、オピニオンリーダーだった子たちがすごかった。


 この本で呼ばれている「子供」というのは、我々のことだ。
 そういうわけで、我々が小学生だった頃、コロコロを作っていた人達がいかに熱かったかを示すと共に、我々がどんな子供であったかを照射する書でもあるのだな。
 これを受けて、現在の我々が目の前の仕事にどのように取り組むか?子供の頃とは変わってしまった世界とどのように対峙するか?この先の人生で、かつて確かに感じた熱きコロコロ魂を取り戻せるのか?そして、どう生かすのか?そのようなことに思い至る一冊でもある。大袈裟でなく、そう思う。