グローバリゼーションのレイプレイ
若さが……若さが足りん!と感じた時に、「文化系トークラジオ Life」のポッドキャストを聞き、読まれる葉書の青臭さに身悶えするという、あまり人に自慢できない視聴の仕方をしていたのだが、東浩紀がゲストとして参加し、「現代の現代思想」について語りまくった5月分は素直に面白かった。誰かが「ハードコアな回」と言っていたが、いやこのくらいの方が面白いよ。
批判、というかディスりに対する反応が余裕の無さのように感じられて、若かりし頃の東浩紀があまり好きではなかったのだけれど*1、現在の東浩紀はちと違う。
うしろゆびさされ組に対する思いのたけを語った後「資本主義の抵抗とかしてる場合じゃない!」。女をクドく際は「つきあうってどういうこと?という定義問題に持ち込め。『とはなにか?』論最強!」。ダイエットに話が及べば「痩せる前のオタキングより太っているわけじゃないので、ぼくの場合重要なのは痩せるスピード、そうじゃないとインパクトが無い!」。
……いや、面白かった。特にべしゃりが。文章でもこういう芸人的余裕をみせれば良いのに。
ただ、ピーター・シンガーの話は真剣にタメになったな。
どういう話かというと、ポッドキャストがあるので実際聞いて貰えれば良いのだが、自分の為にまとめたい。Charlieもテキスト化することでこの先にいけるのじゃないかと言ってたしな。
2009年5月24日「現代の現代思想」Part4 (文化系トークラジオ Life)
ピーター・シンガーはオーストラリア出身の功利主義的倫理学者なのだが、ある種のコスト計算を基礎としていて、コスト計算を突き詰めたが故にラジカルな結論が出るということを体現している人でもある。
例えば、人類全体幸福を考えるのなら、先進国の富の1/3位を発展途上国に分配すべきだということもいう。ある種の原理主義者なのだが、原理的功利主義者は普通に功利主義的である新自由主義と全く逆の結論に達する。
グローバリゼーションの倫理学
Peter Singer 山内 友三郎 樫 則章
で、ピーター・シンガーは苗字から分かるようにユダヤ系で、親戚がポーランドのヘウムノ収容所で虐殺されたりしている。
欧州は、日本と違って、歴史修正主義者はマジで罪にに問われる。しかし、オーストリアでガス室は無かったと書いた記者が、有罪判決を受けた際、シンガーはその記者を釈放すべきだと主張した。
丁度その頃デンマークでムハンマド風刺漫画掲載問題があり、風刺漫画家にイスラム圏の国々から死刑宣告が出されたりなんかして、大騒ぎになるという事件があった。シンガーはその事件を引き合いに出したのだ。
つまり、自分はガス室はあったと思っているが、それとは全然別の問題で、あったと主張する人間を罪に問うべきではない。何故かというと、そんなことをすれば、我々はムハンマドの風刺画を書いたイスラム圏の人間と変わらなくなる。自分が最も崇高だと考えていることを馬鹿にされても耐えるということが、ヨーロッパの自由主義の本質であって、それはムハンマドの風刺画問題にもナチのガス室問題にも同様に当てはめるべきだ、と。
だが、シンガーのこのような立場は共感を呼ばないだろう。しかし、思想というものは人間的な共感とは別のレベルにまで達する。だからこそ思想は普遍性を持つ。
おれは親戚をヘウムノで殺されたんだよね、というような言説が普通は共感を呼ぶ。日本で政治的とされるのはこのような共感のロジックだ。おれもかつてフリーターだったから他人事じゃないんだよね、というような。でも、おれはかつて派遣労働者だったけど、派遣切りは正しいと思う、と主張する奴が現れて欲しい、派遣切りが正しいかどうかは別問題として。思想というのはそういうことを、共感とは別次元の議論を可能にする。それが思想であって、自分の立場を肯定する為にロジックを作るのが思想ではない。
何が言いたいのかというと、シンガーのロジックをレイプレイ規制問題に敷衍したいのだ。調度、佐藤亜紀のブログで「悪魔の詩」が出て来たところであるし。
2009.6.3: 日記
や、私はシンガーと違って、自分の立場を肯定する為にこのロジックを利用しているところがあるのだけれど。でも、レイプレイ規制問題において、男が基本的には変態であるということを認めるというのは、一つの思想的態度であるといいたいのだ。ネタ的、ともいえるが。そして、女にとっての思想的態度とは、言わずもがなだろう。
動物実験反対!みたいな運動の論拠としてピーター・シンガーの思想が活用されてることから忌避していたのだけれど、喰わず嫌いだったかもな。
*1:それはつまり、私も若かったからだ